41 王子と犬
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~王子と犬~
昔々あるところに、とても大きな国がありました。立派な王様が国を治めていて、国は平和でとても栄えていました。
やがて王様と王女様の間に男の子が生まれました。生まれてきた王子は国中の民に祝福され、愛されて育ちました。
少し大きくなった王子に、王様は一匹の犬を与えました。
「王子、この犬はお前しか頼る者がいない。犬が寂しくないように、しっかりと面倒を見るのだぞ」
「はい、父上!」
王子は父の言いつけを守り、一生懸命犬の世話をしました。犬も王子にとてもよく懐いて、王子と犬はいつも一緒に遊んでいました。
しかしある時、王子は周りの者から避けられている事に気が付きました。
昔はよく一緒に遊んでいた者達も、王子が犬を連れて近付くと、一目散に逃げていきました。
「どうして? どうして逃げるの?」
王子はみんなにききました。するとみんなは、声をそろえて言いました。
「僕たちも王子様と遊びたいです。けれど、僕たちはその犬が怖いのです」
みんな、王子といつも一緒にいる犬を怖がって、王子から離れていっていたのです。
「大丈夫だよ、この犬はとってもかしこくて優しいよ」
王子は、一生懸命みんなを説得しようとしました。しかしみんなは、犬と一緒にいる王子を避け続けました。
そのうち、犬は悪魔にとりつかれているという噂がたち、周りの者はますます王子と犬から離れていきました。王子はとても寂しい気持ちになり、涙を流すこともありました。犬はそんな王子に寄り添い、ペロペロと頬を舐めて励ましました。
ある日、王子はひとりで出かける用事がありました。すると、いつもは王子を避けていたみんなが、王子のそばに寄ってきました。
王子は久しぶりに犬以外の者達と遊び、とても楽しい気分になりました。
それからというもの、王子はしばしば犬を置いてひとりで遊びに行くようになりました。
みんなと遊ぶのが楽しくて、王子は犬の世話を忘れることもありました。たまに王子が犬のところに行くと、犬はしっぽを振って喜びました。
やがて大きくなった犬は、王子が鎖でつないでおいても、自分で鎖を外してついてきてしまうことがありました。犬の姿を見たみんなは、やはり怖がってすぐ逃げてしまいました。
そんなことが続くので、王子は犬のことを疎ましく感じ始め、世話をするのもわずらわしくなりました。
「犬さえいなければ、ぼくはもっと自由になれるのに」
王子は、犬を森に連れて行って、置き去りにしました。
しかし次の日、犬はしっぽを振って王子の元へ戻って来ました。
王子は、何度も何度も犬を森に連れて行き、置き去りにしようとしました。けれども、どんなに遠くの森に連れて行っても、そのたびに犬は、何日かかっても必ずしっぽを振って王子のところに戻ってきてしまうのでした。
王子はだんだん腹が立ってきました。その時、一匹の悪魔が王子にささやいたのです。
「そんなに邪魔なら、いっそ殺してしまえばいい」
王子は迷いました。しかし、毎日毎日王子の後を追い、そばを離れようとしない犬がいよいよ邪魔になり、とうとう王子は、犬を崖から突き落としてしまいました。
犬は、それから王子の元には戻ってはきませんでした。
時がたち、王子はその国の王様になりました。しかし犬がいなくなってから、悪意のある者が王子のまわりに集まるようになりました。王子はまわりの者にけしかけられ、ほかの国と争いごとを起こしてばかりいました。平和で、栄えていた王子の国は、いつしかどんどん勢力を失い、いつ滅びてもおかしくない状態にありました。
そんな国の状況にいきどおりを感じた家来たちが、王子に剣を向けました。
「あなたはこの国の王にふさわしくない」
そう言った家来の背後には、かつて王子にささやいた、あの時の悪魔の姿がありました。
「おろかな人間どもめ。お前たちの悪感情は、最高に美味だ」
悪魔は、悪意のある者には犬が化け物に見える呪いをかけていたことを明かしました。
そうして王子を孤独にさせ、甘い言葉でそそのかし犬を排除させると、今度は王子のまわりを悪意で埋めつくし、わざと戦争を起こさせ、たくさんのたましいを手に入れていたと告げました。おろかな人間のことをあざ笑っていた悪魔は、心底楽しそうに王子を見下ろしました。
王子は、自分がしたおろかな行為にやっと気が付きました。しかし、遅すぎたのです。
王子は死を覚悟しました。家来が王子に向かって剣を振り下ろそうとしたその時、王子をかばうように黒い影が飛び出してきて、王子はその正体に驚きました。
それはかつて、王子が崖から突き落としたあの犬だったのです。犬は王子の元に戻るために、落ちても落ちても必死で崖をよじ登り、傷だらけになりながらもこの地にたどり着いたのでした。長い年月が過ぎ、犬はすでにぼろぼろの姿で、だいぶ年もとっていました。
しかし、犬は剣を向けている家来から必死で王子を守り、戦いました。家来たちは、倒しても倒しても起き上がってくる犬に、やがて恐れを抱いて逃げ出しました。
舌打ちをした悪魔に対して、犬は最後の力を振りしぼり牙を向けました。犬の牙は悪魔を引き裂き、悪魔は黒い塵となって消えました。
危険は去ったと確信した犬は、その場に崩れ落ちました。王子は急いで犬にかけ寄り、抱きかかえました。
「どうして、どうしてぼくなんかを助けたりしたんだ!」
王子は泣きながら、傷だらけの犬を抱きしめました。
犬は力なく王子を見つめると、小さくしっぽを振りました。そしてそのしっぽは、もう二度と動くことはありませんでした。
王子は、自分を見つめたまま冷たくなっていく犬を抱き、延々と泣き続けました。
「ごめん、ごめんよ、ぼくがおろかなばっかりに」
王子は泣きながら犬に謝りましたが、その声はもう犬には届いてはいませんでした。
泣いて泣いて、やがてその涙はその地に溜まっていき、王子は冷たくなった犬と共に自分の涙でできた泉に沈んでいきました。
王子と犬の最期をふびんに思った月の女神は、その地に王子の名前をつけました。もう二度とこのような悲しい出来事が起こらないように、月の女神は祈りを捧げたのでした。
「……っていう話だ。ちなみに、この物語の舞台がこの王都ダヴィードで、ダヴィード王子の涙でできた泉が、この地のどこかにあるっていう伝説が……」
物語を話し終わったミーシャが優里を見ると、すでに号泣していた。
「ひっ、酷い話だよ! その悪魔最低だよ!」
「まぁ……、オレもこの物語を読んでから、悪魔の事が大っ嫌いになったけどな……」
ミーシャはチラリとリヒトを見た。
「ひどい風評被害だ。俺は悪い悪魔じゃないよ」
リヒトは、なぜか声色を変えてそう言った。
「なんだそれ? 悪くない悪魔なんていねーだろ」
「とにかく、鎖を溶かそう」
すでにリヒトに潰された両眼が完治していたルーファスは、泣きじゃくる優里を抱えると、バルダーが繋がれている鎖の所に連れて行った。
優里の涙は紫色に変色していて、その涙はリヒトの思惑通り、魔力で出来た鎖をみるみるうちに溶かしていった。
「やりましたわ! さすがユーリ様です!」
鎖が外れたバルダーは床に手を付き、まだ起き上がれる状態ではなかった。
「バルダー、キツイだろうが、すぐにでもここを離れよう」
ルーファスの言葉に、バルダーは息切れをしながら答えた。
「駄目だ……待ってくれ……。兄上の、誤解を……解かねば……」
「しかし、ぐずぐずしていたらキミは処刑されてしまう。ここは一旦引いた方がいいよ」
「バルダー様、ルーファスの言う通りです! ここは一度引きましょう! 誤解を解くのは、それからでも遅くはありません! リヒト! お前の瞬間移動で、オレたちを屋敷まで運べるよな!?」
ミーシャがリヒトの方を向いて叫んだ。
「俺の瞬間移動は、俺を含めふたりまでだ。何度か往復する事になるが……」
「はぁ!? お前のスキル、ちょいちょい使えねぇな!」
ミーシャの言い草に、リヒトは少しムッとした。
「仕方ないだろ。地上は煉獄と違って、魔力量が制限されるんだ」
「は? 煉獄? ……お前、煉獄の悪魔だったのか?」
ミーシャが訊き返し、リヒトはしまったというような顔をして口を噤んだ。
ルーファスは、そんなリヒトを黙って見つめていた。
(煉獄? それって、確かクロエを使い魔にするって時に、ミーシャ君が説明してくれたよね? 人間が使い魔として召喚するのが、煉獄の悪魔だって……)
優里は、その時の事を思い出していた。
「お前、人間に召喚されてるのか? お前の主は何処に……」
ミーシャの言葉の途中で、地下牢の重厚な扉がバンと開いた。
「私の鎖が壊された気配がしたと思えば、こんな所にネズミが何匹も入り込んでいたとはな!」
その声に優里が扉の方を見ると、そこには、バルダーと同じ赤い髪に山吹色の瞳をした、端正な顔立ちの男性が立っていた。バルダーほどガタイは良くなかったが、逆三角形の引き締まった体に、一本の立派な角が頭に生えたその男性は、見下すような視線をバルダーに向けていた。
「兄上……」
まだ起き上がれずにいたバルダーは、そう言って男性を見上げた。
(兄上!? この人が……)
男性はふふんと鼻を鳴らし、優里たちを見回した。
「私は北の国の第一王子、アイリック=バーグである! 貴様ら、我が愚弟の脱獄を幇助しようとするなど、それ相応の覚悟は出来ているのであろうな!?」
アイリックはそう言って、ギラリと山吹色の瞳を光らせた。
バルダーの優しい瞳とは違う、強く荒んだような雰囲気をまとったアイリックに、優里はごくりと喉を鳴らしたのだった。
月・水・金曜日に更新予定です。




