37 深い眠り
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「脈拍や呼吸にも異常は見られない。本当に、ただ眠っているだけみたいだ」
一通り手を尽くしたハヤセが、ふぅと息をついた。
「眠っている……だけ?」
震える優里を長椅子に座らせ、騒ぎを聞きつけたクロエが優里の肩を抱いた。
ルーファスも呼ばれ、一同はシュリが寝ているベッドを囲み、ハヤセの話に耳を傾けた。
「気付け薬を嗅がせたけど、効果がない。優里ちゃん、何か、いつもと違うような事はなかった?」
「いつもと違う……昨日は、いつもと違う事がたくさんあって……。お酒を飲んだり……」
優里は、シュリに甘い言葉を囁かれたり、自分がベッドに押し倒した事を思い出したが、それは言えなかった。
「その姿はどうしたの? 生気を吸う時は、人型から本来の姿に戻るの?」
「え?」
ハヤセにそう訊かれ、優里は、自分がサキュバス本来の姿になっている事に気が付いた。
「そういえば……昨日は、スキルが発動する前になぜか変身して……。この姿で、毒スキルを発動して生気を吸ったのは初めてかも……」
「なるほど……」
ハヤセはしばらく考えた後、優里を見た。
「これは僕の憶測だけど……、サキュバス本来の姿で発動したスキルは、人型の時よりも毒素が強くて、浄化に時間がかかってるのかもしれない。シュリは、眠っている時に毒を浄化してるんだよね?」
「う、うん、前にそう言ってた。浄化が優先されるから、夢も見ないって……」
「優里ちゃんがもんのすごいいやらしい夢を見せてて、シュリが目覚めるのを拒否してるっていう線も考えたけど、それは違うんだね」
「違うよ!! ……た、たぶん……」
優里は赤くなって下を向いた。
「先生、セクハラ行為はやめて下さい」
「あらゆる可能性を考えてるだけだよ!」
リヒトの横やりにハヤセは声を荒げたが、ウウンと咳払いをして優里に向き合った。
「とにかく、シュリの体は至って健康だ。このまま様子を見るしかない」
「……」
優里は、自分に出来る事は何もないと悟り、俯いた。
ミーシャの母親の件も、シュリがこの状態では無理だと判断し、延期する事になった。
優里はその事に責任を感じ、部屋を出て行こうとするミーシャを呼び止めた。
「ミーシャ君、ごめんね……。私のせいでこんな事になって……」
申し訳なさそうに首を垂れる優里に、ミーシャはひとつ息を付いた。
「お前のせいじゃねーよ。魔力が制御できないのは、オレだって同じだし仕方ない事だ。気にすんな」
「うん……」
それでも目を伏せている優里に、ミーシャは軽くデコピンをした。
「痛っ!」
「シュリは大丈夫だ。あいつがそう簡単にくたばるわけねーだろ」
おでこをさすりながら顔を上げた優里に、ミーシャはそう言って笑った。
そして眠っているシュリの方を見て、声をかけた。
「おいシュリ! 早く目覚めないと、ユーリにキスするぞ」
「え!?」
顔を赤くした優里の頭をポンポンと撫でて、ミーシャは再び笑った。
「これくらい言っとけば、すぐに目ぇ覚ますだろ」
(ミーシャ君……私が落ち込んでるから、元気づけようとしてくれてるんだな……)
ミーシャの、不器用ながらも優しい気遣いに胸が温かくなり、優里も笑顔になった。
「ミーシャ! ここにいたのか!」
丁度その時、ミーシャの父親のヴィクトルが部屋を訪れた。
「父上、どうかなさったのですか?」
「実は今……」
ヴィクトルは何か言いかけて、部屋にいた優里たちの事をチラリと見た。ミーシャは、他の者がいる所では話しづらい事なのだと察し、ヴィクトルと共に廊下に出た。
優里は再びベッドのそばにある長椅子に腰掛け、眠っているシュリを見つめた。
(シュリさん……本当に眠っているだけ? 早く…早く目を覚まして……)
下を向いてギュッと手を握りしめる優里の隣に、ルーファスが座った。
「ユーリ、心配しないで。シュリは不眠症だから、こうやってぐっすり眠れば、目覚めた時はきっと元気いっぱいだよ」
「ルーファスさん……シュリさんは、いつから眠れなくなったんですか?」
優里にそう訊かれ、ルーファスは少し困ったような顔をした。
「ボクが出会った時から、すでに眠れないでいたよ。シュリはまだ小さかったから、ボクも心配したんだ。ルドラに訊いたら、以前住んでた村を、人間に襲われた事が原因かもって……でもこの話、シュリに口止めされてるから、内緒だよ」
ルーファスは人差し指を自分の唇の前に立てて、シーっと言うようなポーズをとった。
「シュリは同胞をたくさん失ってる。それこそ、眠れなくなるような事が、色々あったんだろうね」
遠くを見据えるような目をしたルーファスに、優里はそれ以上何も訊けなかった。
シュリはユニコーン族の数少ない生き残りで、きっと様々な酷い光景を目の当たりにしてきたのだろう。シュリの事を何でも知りたいと思っていたが、本人が口を閉ざしているような事を、勝手に聞き出すような真似はしたくないと思った。
(いつか……シュリさんの方から、何でも話してくれるようになればいいな……)
優里は再びシュリを見つめた。
「大丈夫。ミーシャも言ってたけど、シュリはそう簡単にくたばったりしないよ。それに、ボクにユーリをとられると思ったら、眠ってる今だって気が気じゃないんじゃないかな?」
ルーファスはそう言って、いたずらっぽく笑った。
ルーファスの言葉に、優里は少し動揺したが、自分の事を心配して慰めてくれるミーシャとルーファスの優しい心遣いに感謝した。
「その話は本当ですか父上!?」
その時、廊下からミーシャの驚いたような声が聞こえた。
「私も到底信じられない。バルダー様が生きていたという事も含め、きっと、何かの間違いに決まっている」
(え? バルダー?)
バルダーという言葉が聞こえ、優里は立ち上がって廊下に出た。
「……父上、バルダー様が生きていたというのは本当です。実は……」
ミーシャはこれまでの経緯をヴィクトルに話し、バルダーが今、北の国にいるという事も伝えた。
「……そんな事が……。お前が帰って来た時、少し懐かしい匂いも混じっていたような気がしたのだが、それは気のせいじゃなかったのだな」
「はい……。ご報告が遅れてしまい、申し訳ありませんでした」
目を伏せたミーシャに、ヴィクトルは息を付いた。
「とにかく、私は真偽を確かめる為、これから王都に行く」
「オレも行きます!」
「お前はここに居なさい。他から何か情報が入るかもしれない。ヴォルコフ家の長男として、その対応を任せたい」
「父上! しかし……!」
「大臣たちの中には、私の古い友人もいる。王子への謁見許可を貰えないか訊いてみる。お前には、家の事とレイラの事を任せる」
「はい……わかりました……」
ミーシャは、玄関の方へと向かうヴィクトルの背中を、呆然と立ち尽くしたまま見つめていた。
「ミーシャ君、大丈夫……?」
心配になり優里が声をかけると、ミーシャは口元を手で覆い、青ざめた。
「どうしよう……オレの……オレのせいだ……」
ルーファスも廊下に出て、動揺しているミーシャを支えた。
「ルーファス! どうしよう、オレ……! オレが、バルダー様に北の国に戻って欲しいなんて言ったから……!」
「ミーシャ君、落ち着いて」
ルーファスは息が乱れているミーシャの背中をさすった。
「バルダー様が……国王陛下暗殺未遂の容疑で……捕らえられたって……」
「暗殺!?」
優里は思わず大きな声を出してしまい、慌てて両手で口元を覆った。
廊下では人目につくと思い、ルーファスはミーシャを連れて部屋に戻った。
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