33 北の国
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(シュリさん、もう起きたのかな……)
朝、目覚めた優里は、隣にシュリがいない事に気が付いた。
(シーツが冷たくなってるし、大分早く起きたのかな……)
そんな事を考えながら、優里は、昨晩シュリが言った言葉を思い出し、ひとりで赤くなった。
『ユーリ、お前に出来る事は、ずっと…ずっとわたしに……抱かれる事だ』
(ずっと……抱かれる事って……ずっと、一緒にいろって事? それって……)
そこまで考えて、優里はフルフルと首を振った。
(違う違う! シュリさんは、毎晩快眠する為に私が必要なだけで、それ以上の感情はないんだから! 期待しちゃダメだ!)
優里は、自分で自分のほっぺたを両手でパンと挟み込むと、再び考えた。
(あれ? 期待って……? 私、どうしてそんな事……)
「ピピ!」
その時、裏庭からクルルの鳴き声が聞こえた。
優里が窓から庭を覗くと、ミーシャとバルダーがクルルのそばで談笑していた。
(バルダー来てたんだ。北の国に出発するのは今日だから、行く前に挨拶しときたいな)
優里はそう思い、部屋を出て裏庭に向かった。キッチンに目を向けると、シュリが朝食の準備をしていた。
優里の胸は、ドキドキと鼓動が早くなったが、自分を落ち着けるように深呼吸をして、シュリに挨拶をした。
「シュリさん、おはようございます」
「おはよう」
作業場のソファーでは、ルーファスが座って紅茶を飲んでいた。
「ルーファスさん、おはようございます」
「おはよう、ユーリ」
ルーファスはにこやかに挨拶したが、優里は何故か違和感を感じた。
(あれ……? 何だろ…何か……)
いつもなら、シュリが料理をしている時は、ルーファスがまとわりついて邪険にされているのに、今朝はふたりの間に距離を感じた。
(気のせいかな……)
少し気になったが、優里はそのまま裏庭に出た。
裏庭には、昨晩のうちにハヤセが描いた、大きな魔法陣があった。
(すごい魔法陣! これが転移魔法陣ってやつなのかな?)
魔法陣を見つめながら、優里はミーシャとバルダーに挨拶をした。
「ミーシャ、バルダー、おはよう! すごい魔法陣だよね」
「ユーリ、おはよう。これだけの魔法陣で大人数を転移させるなど、さすがエルフだな。彼は特に魔力が高いようだ」
バルダーは、クルルのほっぺたをぐりぐりと撫でながら言った。
(優一郎君て、エルフだったんだな……。エルフって、確か頭がいい妖精だよね)
優里が魔法陣を見ながらぼんやりと考えていると、ミーシャがバルダーに向き合った。
「バルダー様、……バルダー様も、一緒に北の国に行きませんか?」
ミーシャの言葉に、優里もバルダーも驚いた。
「実は今、北の国では兄君のアイリック様とハラルド大臣が国政に関わっておられるのですが、ハラルド大臣は差別的な所があって……一度北の国へ戻り、その目で今の国の現状を見て頂きたいのです。出過ぎた事を言っているのは重々承知ですが、どうか……北の国の未来の為に、お願いします」
ミーシャは胸に手を当てて、バルダーを見つめた。
「兄上とハラルドが政治を? 陛下はどうされているのだ?」
バルダーがミーシャにそう訊くと、ミーシャは何か少し言いづらそうに、口を開けたり閉じたりしていた。
「バルダー様……あの、実は……国王陛下は今……病に臥せっているという噂があるのです」
「陛下が!?」
ミーシャの言葉に、バルダーは顔色を変えた。
(陛下って……バルダーのお父さんの事だよね? 病気なの……?)
「はい……。バルダー様がお亡くなりになったと言われてから公の場に現れなくなり、アイリック様が言うには、自分たちの成長の為に一線を引いているとの事なのですが、実はご病気なのではないかという噂が流れていて……」
「そうだったのか……。俺は……何も知らずに……」
バルダーは俯いて、ギュッと拳を握った。
「無理もありません。これは、噂とはいえ極秘事項です。北の国の民も、そんな事を信じたくはありませんし……。アイリック様のご心労も計り知れません。バルダー様のお力添えが必要なんです」
ミーシャは、改めて強い口調でバルダーに訴えた。
「しかし……俺は死んだ事になっている。不用意に姿を現せば、国民に混乱を与え、余計不安感を煽ってしまうかもしれない」
「オレの家の庭に転移してもらえば、人目にはつきません」
「お前の家には、たくさんの使用人がいるだろう」
「それは……」
ミーシャは言葉を詰まらせた。
(でも、お父さんの事もお兄さんの事も心配だよね……。何か…いい方法は……)
その時、優里はふと思いついた。
「あの、変身して行くってのはどうかな?」
「変身?」
「ほら、バルダーは変身能力があるでしょ? だから、何か動物に変身すれば、みんなバルダーって分からないんじゃない?」
「なるほど、そうか! バルダー様! そうしましょう!」
「いや、しかし……」
「カシラ、行って来て下さい!」
渋るバルダーの後ろから、デクの声がした。目を向けると、デクとスライ、バルダーの部下たちがいた。
「お前たち、何故ここへ?」
「お嬢ちゃんたちは、今日北の国に出発するんだろ? カシラひとりで見送りなんてズルいですぜ」
「そうそう、俺たちだってお嬢ちゃんたちには世話になったんだ」
「決して、シュリさんの朝ごはんを食べに来た訳じゃないぜ!」
(食べに来たんだな……)
部下たちが口々に言う中、スライはフンと鼻を鳴らした。
「まぁ、俺は何の世話もかけていませんが」
「いや、オメーが一番の加害者だろ……」
「ミーシャ君! せっかく忘れてるんだから!」
ミーシャがボソッと呟いたのを、優里が慌てて小声で制した。
「ところで、さっきの話ですけど、カシラも一緒に行くべきだと思いますよ! カシラが留守の間、“深淵の番人”の事は俺に任せて下さい!」
そう言ってスライは、ニヤリと笑った。
「オイ、こいつ絶対、また何か悪巧みしてるぞ」
ミーシャがそう言うと、デクがガシッとスライの肩を抱いた。
「安心してくだせぇ、カシラ! 俺たちこれからは、何でも話し合って決めるって、昨日話したじゃねぇですか!」
「そうですぜ! いくら参謀でも、スライの言う事に納得がいかなかったら、俺たち全員でちゃんと意見を出し合います!」
「だからカシラは、俺たちの事を信じて、北の国に行って来て下さい! あ、でも、落ち着いたらちゃんと帰って来て下さいよ?」
「な、何なんですか貴方たち……」
少し動揺しているスライに、デクが言った。
「スライ、俺たち全員で、“深淵の番人”だ! そうだろ?」
「は…はぁ……そうですね……?」
いつも、オロオロと自分に意見を求めてきていたデクたちが、何故か今は自信に満ち溢れていて、スライはその迫力にたじろいだ。
(デクさんたち……きっと、昨日のバルダーの言葉を聞いて、何か思う所があったんだろうな。 上司の言葉に、社会人としての自覚が芽生えた時の事を思い出すなぁ……)
「お前たち……」
バルダーも、見違えるほど頼もしくなったデクたちを見て、フッと笑った。
「わかった。俺がいない間、“深淵の番人”の事は皆に任せる」
「バルダー様、では……」
「ああ。共に北の国へ戻る。構わないか?」
「はい! 勿論です!」
バルダーの言葉に、ミーシャは満面の笑みで答えた。
「バルダー、またトカゲに変身するの?」
優里が尋ねると、バルダーは少し考えた。
「……いや、小さすぎる生き物は、いざという時に危険だと今回思い知らされた。もう少し大きくて、強さと素早さを兼ね備えた生き物がいい」
「強さと、素早さですか……」
ミーシャは、チラリとクルルを見た。
「ミーシャ君、確かにクルルは両方兼ね備えてるけど、それって、ルーファスさんが一緒に鍛錬したからじゃないの?」
必ずしもクルルと同じ種類の鳥が、クルルと同じ戦闘力や機動力を持っているとは限らないと、優里は思った。
「まぁ、確かにそうだけど、元々この種類の鳥は頭もいいし、身体能力も高いって本で読んだ事がある。ましてやバルダー様が変身なさってれば、かなり強いと思うぞ」
「そうなんだ!? バルダー、決まりだね!?」
優里は、キラキラした瞳でバルダーを見た。
「でも、トカゲの時みたいに、真っ赤な色は悪目立ちするかもしれないから、なるべく薄い感じがいいんじゃないかな?」
「薄い色……。色に関して、意識して変身した事はないが、やってみよう」
バルダーはそう言うと、神経を集中させた。バルダーの体は山吹色に光り、次第に体の輪郭がぼやけ、光が消えるとそこには、ベージュ色に赤いくちばしの、大きな鳥の姿があった。
(こ、これはまさしく……シナモン文鳥! どうしよう、可愛すぎる!)
昔、文鳥を飼っていただけあって、優里は文鳥の種類に詳しかった。
『どうだ? これならあまり目立たないか?』
優里とミーシャの頭の中に、バルダーの声が響いた。
「うん! すっごく可愛いよ、バルダー!」
優里は思わず、鳥姿のバルダーのほっぺたをぐりぐりと撫でた。
『……っ!』
「おいユーリ、バルダー様に対して失礼な事するな」
ミーシャの言葉に、優里は慌てて手を離した。
(そ、そうだった! 文鳥姿とはいえ、バルダーだった!)
「ご、ごめんバルダー!」
『いや、大丈夫だ』
バルダーは顔を赤くしたが、鳥姿だった為、周囲にはバレずに済んだ。
「ピ…ピピィ! ピーヨピーヨ!」
クルルは、鳥姿になったバルダーを見るや否や、ピョンピョンと飛び跳ねた。
「クルルのヤツ、どうしたんだ?」
ミーシャが問いかけると、その光景を見た優里がハッとした。
「これは……求愛ダンス!」
「は?」
「鳥の求愛行動の一種だよ。クルル、バルダーの事すごく気に入ったみたい!」
「へー。クルルのヤツ、メスだったのか」
ミーシャがそう言うと、優里は首を振った。
「ううん。求愛ダンスを踊るのは、オスだけだよ」
「は?」
「鳥って、意外とオス同士が仲良くなったりするから……」
優里の説明に、ミーシャは遠くを見た。
「いや、オレはルーファスの影響だと思うぞ……」
『俺は…ふたつの意味でクルルの気持ちには答えられないな……』
「ピーヨピーヨ!」
優里とミーシャが黙って見つめる中、クルルはバルダーに求愛し続けるのだった。
月・水・金曜日に更新予定です。




