32 シュリの苦悩
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「本当に……申し訳ないと思ってる。僕の浅はかな行動が、君を事故に巻き込んだんだ」
ハヤセは心底辛いといったような表情をして、優里を見た。
「ま、待って優一郎君! 私、あの事故は、むしろ自分のせいだと思ってるの! 私のせいで、あの男の人……優一郎君が死んだって……。今更何を言っても遅いけど、ずっとあなたに謝りたかった。本当に……本当にごめんなさい」
「それは違うよ、優里ちゃん。謝らないで。君は何も悪くない。悪いのは僕なんだ」
「でも……!」
「僕は、君が天国を選んだら、その時点で潔く諦めようと思っていた。でももし転生を選ぶのなら、僕は絶対に君と結婚して、君の新しい人生が少しでも充実したものになるように、ポイントを譲渡すると心に誓ったんだ! 神様が、君が3ヶ月後に亡くなる事を教えてくれて……だから、君が転生したらすぐわかるように、君だけを感知できるスキルも、その時転生ポイントを使って取得したんだ!」
「えっ!?」
「ストーカーですよね。通報しますか?」
リヒトが、少し引いている優里に耳打ちした。
「君の事が心配だったんだ! だけど僕はポイントもためないといけないし、君を事故に巻き込んだっていう負い目もあって……君が僕を受け入れてくれないんじゃないかって思うと、なかなか会いに行く決心がつかなかった。だから、リヒトに君の護衛を頼んだんだ」
「俺は先生に弱みを握られていて……犯罪の片棒を担がされました」
「優一郎君……」
優里は、何ともいえない顔でハヤセを見た。
「リヒト! 君ってホント大概だよね!」
ハヤセが声を荒げたので、リヒトはさすがにまずいと思ったのか、真剣な顔で優里を見つめた。
「俺は、先生に助けられたんです。それで先生の助手をやる事になって…。先生は、真面目過ぎる人なんですよ」
「うん……」
真面目という事は、優里にも伝わった。真面目過ぎて、結婚して責任をとるという所まで話が進んでしまったんだろうと思った。
けれど優里も、ハヤセが亡くなったのは自分のせいだという思いを拭いきれなかった。もしも譲渡の件を知っていたら、自分もハヤセと同じ事をしたかもしれないと思った。
優里は少し考えて、自分の今の気持ちを、正直に言う事にした。
「優一郎君、私……あの事故の事、後悔してばかりだった。でも、こうしてあなたに会って、謝る事ができて、少し心が軽くなった。だからあなたも、もうそれ以上思い詰めないで欲しいの。それに私、この世界で生きていくって決めて、問題は多々あるけど、それでも充実した毎日を送ってる。だから、その、け、結婚とかはまだ考えれないというか……。優一郎君も、私の為じゃなくて、自分の為に新しい人生を送って欲しい」
ハヤセは、真剣な顔で真っ直ぐに自分の心の内をぶつけてくる優里に、何も言えなくなった。
優里の綺麗な紫色の瞳に見つめられると、逆らえない何か不思議な力が作用したように言葉が出なくなり、ハヤセは唇を動かすために、大きく息をひとつ吐いた。
「…わかったよ、優里ちゃん。ポイント譲渡の件は、とりあえず保留にする。だけど、僕は諦めないよ。決して、責任感や後ろめたさだけでこんな事を言ってるんじゃない。僕は、君が……」
「食事だ」
ハヤセの言葉を遮るように、シュリが大盛りのおかずをハヤセの目の前にドンと置いた。
「シュリ……君ってホント、タイミングが悪いよね」
「たいみんぐ? 何だそれは?」
「先生、冷める前に食べましょう。シュリさんの作る料理は、前々から美味そうだと思っていたんです」
リヒトはどこからか持ち出したハンカチのような布を、前掛け代わりに首に巻いた。
「リヒト……君ってホント、大概だよね」
ハヤセは再び大きく息を吐いて、フォークを手にするのだった。
食事を終え、シャワーを浴びた優里は、ベッドルームにある椅子に腰掛けて、例の地図を見ていた。
(この星マークが、救いを求めてるって意味だったなんて……。じゃあ、星の色が変わったルーファスさんは、私に救われたって事?)
優里は、今朝ルーファスに言われた言葉を思い出した。
『キミが、ボクを……ボクの心を救ってくれたんだ』
(そうだ、ルーファスさんは、確かにそう言った。夢の中で、私がシャルル君の言葉を伝えたから? ルーファスさんの心を、私が、救ってあげられたの? だとしたら、シュリさんもミーシャ君も、今日星マークが現れていたリヒト君もバルダーも、私に助けを求めていて、私だけが助けられるの?)
優里が考え込んでいる時、部屋の扉が開き、シュリが入って来た。
「ユーリ、先に眠ろう。ミーシャはルーファスと何やら盛り上がってる。恐らく本の話でもしてるのだろう」
「シュリさん……」
優里は地図をポーチにしまうと、シュリを見つめた。
「あの……シュリさん、何か、私に出来る事はありませんか?」
「…急にどうした?」
シュリが優里を見つめると、優里は顔を赤くした。
「あ、そ、そうですよね、急に、変ですよね」
(馬鹿だ私……何言ってんだろう)
優里は、シュリの為に自分が何かできるかもしれないと思った事が、急に恥ずかしくなった。
(シュリさんの悩みも、助け方も分からないのに、いきなりこんな事訊いちゃうなんて……。でも私…私は……)
優里は下を向いて、目を伏せた。
(シュリさんの為に、何かしたい)
「ユーリ、大丈夫か?」
シュリは、様子のおかしい優里の顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫です! すみません変な事言っちゃって! 今日もシュリさんを一瞬で眠らせてみせますよ! 本日2回目ですけど!」
優里は明るくそう言うと、立ち上がり、ベッドに向かって歩き出した。
「さあ! 準備はいいですかシュリさん! 毒吐きますよ!」
そう言って振り向こうとした優里を、シュリは後ろから強く抱きしめた。
シュリの吐息が耳にかかり、優里の胸が震えた。
「シュ…リさ……」
「ユーリ、お前に出来る事は、ずっと…ずっとわたしに……抱かれる事だ」
耳元でそう囁かれ、優里は涙が出そうになった。いつもなら恥ずかしくて何か言い返すのに、シュリのその言葉が、なぜだか嬉しかった。
(シュリさん……私……私は……)
優里は、自分のこの気持ちを、どう伝えていいのかわからなかった。
シュリの甘い香りに誘われるまま、ゆっくりと振り向いてシュリを見つめた。
「ユーリ……」
シュリに優しく名前を呼ばれ、優里は胸がぎゅうと苦しくなり、そのままシュリの首筋に顔を埋めた。
紫の靄がふたりを包み、シュリは優里を抱きしめたままベッドに横になって目を瞑った。
首筋に優里の温かい唇が押し当てられ、自分の生気が奪われていくのと同時に、シュリは別の何かも奪われていくような、そんな不思議な感覚に陥りながら、眠りへと誘われていった。
朝方、シュリはいつもより早く目が覚めた。隣で眠る優里の頭を優しく撫でた後、そっと部屋を出て、キッチンに水を飲みに行った。
作業場のソファーでは、ミーシャがいびきをかいていた。
「シュリ、もう起きたのかい?」
キッチンには、ルーファスがいた。
「ルーファス、お前も早いな」
「昨日はミーシャと話をしてて、そのままふたりでソファーで寝ちゃったんだよ。ミーシャは夜中少しうなされてたけど…今はよく寝てるみたいだ」
シュリとルーファスは水を手にして、作業場の裏庭に出た。
少し肌寒い中、ふたりは裏庭にあるベンチに腰掛けた。
「……どうしたのシュリ。何か、思い詰めた顔をしているね」
ルーファスにそう言われ、シュリは水の入ったカップに視線を落とした。
「ルーファス、お前の言う通りだった」
「え?」
「わたしは昨日、体調が悪かったのに、ユーリを守れると過信して、逆にユーリを追い詰めてしまった。そのせいでユーリは……わたしの為に、人を殺そうとした」
「……!」
「ユーリに、わたしがいなくても、お前にはルーファスがいるから大丈夫だと言ったら、あいつは涙を流して怒った。そんな事を言うなと……わたしを死なせないと……必死で助けようとした」
ルーファスは、黙ってシュリを見つめた。
「わたしは…その事が……嬉しかったんだ。ユーリが、わたしを大事な人だと思ってくれた事が、嬉しかった。お前がユーリに生気を分けたと知ってから、わたしの心はずっと、訳の分からない感情が渦巻いていて、落ち込んだり、腹が立ったり、自分で自分が止められなかった。その正体は……嫉妬だ」
シュリは顔を上げ、ルーファスを見た。
「わたしはユーリを愛している」
「シュリ……」
ルーファスは目を見開いた。
「治療の順番をミーシャに譲ったのは、少しでも長くユーリと居たかったからだ。アリシャを治す事よりも、ユーリと一緒にいる事の方を選んでしまった。だがわたしには、ルドラとの約束がある。ユーリと一緒にはなれない……。だからルーファス、アリシャの治療が終わり、わたしが旅をする理由がなくなったら……わたしは……お前にユーリを任せたい」
真っ直ぐルーファスを見つめ、そう言ったシュリに、ルーファスは一度息をのんでから、眉間にしわを寄せた。
「シュリ、それ本気で言っているの? だとしたら、キミは独りよがりの大馬鹿者だ」
ルーファスは立ち上がるとシュリを見下ろした。
「キミは自分の言い分だけを押し付けて、ユーリの気持ちを考えていない。ボクにユーリを任せるだって? それを、ユーリが望んでいるとでも思っているのかい?」
「望む望まないは関係ない。ユーリは……生気を吸わないと生きていけない。誰も殺したくないと言ったあいつの信念を、心を……わたしは守ると決めたのだ。誰も殺さず生気を奪えて、ユーリを大事に思っている、信頼のおける相手は、お前しかいない」
「そうかい、それは光栄だね。けど、ボクから言わせれば、キミはまだまだ人生経験が足りない。たとえそれしか道がないとしても、人の気持ちはそんなに簡単じゃない。キミはもっと、ボクや…ユーリの気持ちを、理解しようとするべきだ」
ルーファスの言葉に、シュリが顔を上げた。
「お前だって……ユーリを愛しているのだろう」
シュリの言葉に、ルーファスは軽く唇を噛んだ。
「それって、ボクを理解しているとでも言いたいの?」
「……」
シュリは黙り込んで、手元のカップに目線を落とした。
「確かにボクはユーリが好きだ。何百年もの間、ボクが抱えていた暗い心をユーリは救ってくれた。そんな優しい彼女を、今度はボクが守っていきたいと思っている。だからこそ、ボクはユーリの気持ちを尊重したい。自分の勝手な言い分だけを、彼女に押し付けたくない。キミみたいにね」
ルーファスはそう言うと、作業場に戻って行った。
シュリは俯き、手に持った水に映る自分の顔を、ただ見つめるしかできなかった。
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