30 ハヤセの正体
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「ユーリ、この男は、やはりお前の知り合いだったのか?」
静かな声色でそう言ったシュリに、優里は慌てふためいた。
「え!? いえっ、知り合いというか……」
(転生仲間ではあると思うけど、婚約って!? 全然身に覚えがない!)
「そういう訳なんで、これからは僕が優里さんの面倒を見ます。今までお世話になりました」
「ま、待って下さい! そういう訳って言われても、私には何が何だか……」
ハヤセが優里の手を掴もうとしたが、シュリが優里を自分の方へ引き寄せ、阻止した。
「お前は嘘をついている。そんな信用のできん奴に、ユーリは任せられない」
シュリは真っ直ぐハヤセの目を見ると、ハヤセは眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせた。
「……それを言うなら、僕の方こそ、どこの馬の骨かわからない君に、優里さんを渡せないな」
「わたしは馬ではない。ユニコーンだ」
「いや、シュリさん、馬の骨ってそういう意味ではなくて……」
宥めようとする優里を間に挟み、シュリとハヤセは静かににらみ合った。
(な、何か以前もこんな事があったような……。てゆうか、婚約の事訊きたいけど、前世に関わる事だったら、ここで切り出すとシュリさんたちを混乱させちゃうし、どうしよう……)
「先生、シュリさんに嘘は通用しませんよ。結婚の約束を交わしたのは、子供の時のごっこ遊びだったと正直に言ったらどうです?」
うろたえる優里を見かねて、リヒトが助け舟を出した。
「ごっこ遊びだったとしても、約束は約束だ。僕は約束は守る男だよ」
「いや、普通に怖いですよ、先生」
(子供の頃!? じゃあハヤセさんは、前世で子供の頃に私と会ってるの?)
優里は考えを巡らせた。
(子供の頃……ごっこ遊び……婚約……)
必死で思い出そうとしている優里に、ハヤセが言った。
「桜の木の下、ふたりでよくおままごとをしたよね」
「桜の……」
ハヤセの言葉に、優里は幼稚園の時、桜の木の下でよくおままごとをしていた事を思い出した。
「もしかして…優一郎君……?」
「僕の事、覚えててくれたんだね、優里ちゃん!」
ハヤセは心底嬉しそうに笑った。
(この人、幼稚園の時いつも一緒に遊んでた、早瀬優一郎君なの!?)
優里が幼稚園に通っていた頃、早瀬優一郎という大人しかった男の子を、優里がよくおままごとに誘っていた。
「まぁ、あの頃の僕は子供だったけれど、今では君を養える地位も財力もあります。いつでも結婚できますよ!」
ハヤセは白い歯をキラリと輝かせて、胸を張った。
(どうしよう…リヒト君が言うように、普通に怖い……)
苦笑いをする優里に、バルダーが問いかけた。
「ユーリ、お前には随分沢山の仲間がいたのだな。一体どういう関係なんだ?」
「えっと……」
優里が説明するよりも先に、シュリが口を挟んだ。
「わたしはユーリの初めての男だ」
「バルダー様、オレもそうです」
「俺は、先程ユーリさんに裸を見られました」
「ボクは間男だよ」
「僕は昔、ユーリさんの遊び相手だったんだよ」
「ちょっ!? 絶妙な言い方しないで!」
慌てる優里に、デクがボソッと呟いた。
「嬢ちゃん……純粋で真面目な女だと思ってたが……意外とあばずれだったんだな……」
「え!? いやいや、違うんです、デクさん!」
バルダーも、少し気まずそうに言った。
「そ、そうか、お前はサキュバスだったな……。沢山の男性と関係を持つのは、お前の性のようなものだ。恥じる事はない」
(そのフォローが恥ずかしいんですけどーーーーーー!!)
慰めるように優里に優しい目を向けたバルダーだったが、すぐにシュリに向き合った。
「シュリ、俺はバルダーという。今回は俺の部下が酷い事をして本当に申し訳なかった。俺たちの処分は、お前の思うようにしてくれ」
真摯な態度を見せたバルダーの背後から、地の底を這うような恨みがましい声が聞こえた。
「何が……処分ですか……」
シュリとバルダーが目を向けると、目を覚ましたスライが睨みつけていた。
「……ハヤセ、お前、わたしの傷を治す時に使った気付け薬を、スライにも使ったな」
シュリがハヤセにそう言うと、ハヤセはにっこりと笑った。
「何の事かわからないけど、もしかしたら、傷薬に誤って少し混じってしまっていたかもしれないね」
「気付け薬?」
優里がシュリに訊き返した。
「ユーリの毒を食らって、こんなに早く目覚めるのはおかしい。ハヤセはわたしの傷を治してくれたようだが……その時、気付け薬を混ぜたのだろう。恐らく、スライにもどこかの機会で使ったはずだ。今後の事で、早く話を進めたかったのだろう」
(そういえば……優一郎君は、スライの事も診てたっけ……)
「はぁ…まったく、何もかもお見通しって訳か。そうだよ、僕は一刻も早く、あなたたちと話をつけて、優里ちゃんと今後について語り合いたいんだ」
ハヤセはそう言うと、スライを見た。スライは、まだ優里の毒の浄化が終わっていないようで、立ち上がる事はできないようだった。
「俺は…諦めませんよ……。どんな手を使ってでも……絶対にユニコーンの角を手に入れてやる……」
凄い形相でシュリを見ているスライに、バルダーが言った。
「スライ、それは俺が絶対にさせない。諦めるんだ」
「うるさい! 呪われた子め! 貴方のそばにいたせいでこのザマです! 貴方の呪いのせいですよ!」
呪われた子と呼ばれ、バルダーは押し黙った。
「こいつ……殺した方がいいんじゃないか?」
バルダーを侮辱され、ミーシャは静かな怒りをスライに向けた。
「待て、ミハイル。スライは……権力者に家族を殺されたんだ。だから、力を手に入れて、自らを守りたいだけなんだ」
バルダーはミーシャを宥めようとした。
「そうです! 力があれば、もう二度と奪われない! ユニコーンの角さえあれば金が手に入り、金があれば力が手に入る! 俺は絶対に力を手にするんです!」
スライは瞳をギラギラさせ、肩で息をしながら大声で怒鳴り散らした。
「彼の気持ちもわからなくはない。けれど…心が欲望に支配され、そのせいで冷静な判断が出来ないでいる。もう、こちらの言葉も届かないみたいだ。時間をかければ説得できるのかもしれないけど……生憎僕は忙しい。リヒト、頼むよ」
スライの様子を見ていたハヤセは、そう言ってリヒトを呼んだ。
「わかりました。皆さんは俺の後ろに下がって、俺の目を見ないようにして下さい」
リヒトはそう言うと、スライの前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
「な、何ですか? 貴方は」
「……俺の目を見ろ」
リヒトはおもむろに右目の眼帯を取った。すると、眼帯の下から黄色い左目とは違う色の、黒い右目が現れ、その瞳からどす黒い靄が発生し、瞬く間にスライを包み込んだ。
(な、何!? 私と同じ靄!?)
シュリは、優里を守るように自分の方へ引き寄せ、様子を窺った。
「くそ! 何なんです!?」
漆黒の靄は、スライの言葉ごと彼をのみ込み、やがて消えた。
靄が消えた後、キョトンとした顔のスライが皆を見上げていた。
「こ…ここは? なぜ俺はここに……?」
(えっ……?)
さっきまで、シュリに対して執拗に向けていた欲望の塊のようだった瞳が、疑問を投げかけるような視線に変わっていた。
「なぜ……」
バルダーがリヒトを見ると、リヒトは再び右目を眼帯で隠し、皆の方を向いた。
「俺の魔眼は、記憶を消す事ができます。彼の、ここ最近の記憶を消しました」
(記憶を消す!? じゃあ……シュリさんがユニコーンだって事も……覚えてないの!?)
「ま、これで彼はもうシュリには付きまとわないと思うよ。今後の彼の動向については、オーガの彼次第って事になるけどね」
ハヤセの言葉を聞いて、バルダーは下を向いた。
「俺は……今まで、自分の理想ばかりを部下に押し付けていたのかもしれない。俺の理想は綺麗事だ。そのせいで、スライは俺に不満を抱いていた。部下の意見にも耳を傾け、それぞれの理想を実現できるよう、話し合いをする事が必要だった」
そしてバルダーは顔を上げると、スライとデクたちを見た。
「俺はどこかで、スライたちを守れるのは力の強い自分だけだと思っていたのかもしれない。けれど、そうしてスライの実力を見誤ったり、デクたちの可能性を潰してしまっていたんだ。皆の事を信じてやれず……すまなかった……」
「カシラ……」
「俺は、皆でより良い居場所を作りたい。皆が笑って……安心して暮らせるような、そんな居場所を、俺たちの手で作りたいと思っている。お前たちは、俺が思うより遥かに強く、しっかりとした信念を持っている。そんなお前たちとなら、実現出来ると確信した。だから……これからも、俺に力を貸してくれ」
そう言ったバルダーの瞳には、強い意志が宿っているように見えた。
スライは相変わらず訳が分からないといったような顔をしていたが、デクたちは、威厳のあるバルダーの態度に、キラキラした瞳を向けていた。
「さて……とりあえずここは丸く収まったし、僕たちは今後の話をしようか」
ハヤセはそう言ってシュリを見た。シュリは未だに真意の分からないハヤセを、静かに見つめるのだった。
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