3 伝説の薬師
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「う…ん……」
鳥のさえずりが聞こえ、優里は目を覚ました。
(えーと……あれ? 私……)
あんなに倦怠感を感じていたのに、妙にスッキリしていた。
(そうだ、昨日、男の人に生気を貰って……その後、寝ちゃったの?)
気付けば朝になっていた。隣を確認したが、男の姿はなかった。
(いないってことは、死んではいないってことだよね……? でも、どこに行ったんだろう?)
優里はテントを出て、辺りを見回した。すると、湖の方から水音が聞こえ、目をやると昨夜の男が水浴びをしていた。優里は反射的に身を隠したが、男は優里に気付いて、声を掛けてきた。
「目が覚めたのか」
「は、はい! えーと、昨日は、その、ご迷惑をおかけしました……」
優里は、なるべく見ないように目をそらした。
「別に迷惑とは思っていない。提案したのは、わたしの方だからな」
「あの、体の方は大丈夫ですか? 毒の影響は……」
優里がおずおずと尋ねると、男は一瞬キョトンとした顔をして、少し呆れたように言った。
「お前は、本当に人の心配ばかりしているのだな。昨夜の人間のことといい、死にそうなのはむしろお前の方だったんだぞ」
「はぁ……。えと…生気を分けていただいて、ありがとうございました……」
優里は、今度は素直に礼を言った。冷静に考えて、この男がいなければ、昨夜の男性も自分も、死んでいたかもしれないと思ったからだ。
「構わない。わたしにも利点がある。そもそもそれが目的で、お前を連れていくと決めたのだ」
「え?」
(利点? でも、そうだ、この人はどうして生気を分けてくれたのだろう? 昨夜の男の人のことは、死んでも関係ないって言ってたのに……私のことは、なぜ助けようとしてくれたの?)
考え込んでいる優里に、男はすっきりとした顔で続けた。
「わたしは旅をしているのだが……不眠症でな。なかなか寝付けないのだ。しかしお前のスキルのおかげで、昨夜は一瞬で眠りについた。寝不足続きで、旅を続けるのも少々辛くなってきていたのだ」
「はぁ!? ふ……不眠症!? つまり……私は睡眠薬代わりってことですか!?」
思いがけない理由に、今度は優里が呆れたような声を出した。
「お前は生気を得て、わたしは睡眠を得る。お互い上手くやっていけると思わないか?」
「思いません!!」
あまりにも予想外でバカバカしい理由に、優里は浅はかな自分を呪った。
(こんな人にドキドキして、焦って、本当にバカみたいだ! 新しい人生では、ステキな恋をするって決めたのに、ここで道草してるヒマなんてない!)
「睡眠不足も解消されたようなので、私はもう行きますね。では、さようなら。良い旅を」
優里はローテンションで一気にそう言うと、その場を離れようとした。
「何を言っている。わたしは今後と言ったはずだ。即ち、わたしの旅に同行してもらうということだぞ」
「はいーーーー!?」
優里は、すっとんきょんな声を出したが、男の言葉は核心を突いた。
「お前は忘れているのかもしれないが、サキュバスは生気を吸わないと生きられない。昨夜のように、例の毒スキルで人間を殺して回るというのなら止めはしないが。お前の毒に効く解毒薬は、かなり希少なものだから、手に入れるのも難しいだろう」
「……!!」
歩き出した優里の足が止まった。
(そうだ……私はサキュバス……しかも、厄介なスキルが勝手に発動してしまう。こんな体で、普通の恋なんて……)
「わたしなら、死なずにお前に生気を分けられる。どうだ、悪くない話だろう?」
男の言葉に、優里は何ひとつ反論できなくなった。そして決心し、男に向き直った。
「わかりました。私は死にたくないし、誰も死なせたくありません。あなたの旅に同行します。当面は! 解決策を見出せたら離脱するので、そのつもりで!」
急に凛とした態度を見せた優里に、男はより一層興味を持った。
「わたしはお前のことが気に入った。それにお前は抱き心地がいい。手放すつもりはない。当面はな」
「だっ……抱き心地!?」
優里は動揺し、顔が真っ赤になった。
「覚えていないのか。昨夜お前は、あまりの空腹にわたしの方へ倒れこみ、抱きかかえたわたしにしがみつくと、そのまま首筋に吸い付いて……」
「ふっ不可抗力です!! 死にたくなかっただけです!!」
死にたくない、そう言った優里に対して、男は自信満々に言った。
「安心しろ。これから毎晩、わたしがお前を抱いてやろう」
すらりと伸びた長い手足、深く、冷たい海のような濃紺の瞳、金色の髪からは水が滴り、朝日を浴びてキラキラと輝いていた。
(だ……抱くって……抱くって、一体どういう意味ですかーーーーーーーー!?)
謎の男に気に入られた優里は、一抹の不安を覚えながらも、旅に同行することになってしまった。
(うぅ……これからどうなってしまうんだろう……)
男は水浴びが終わると、簡単な朝食を作りながら優里に尋ねた。
「お前、名はなんという?」
「……優里です」
「ユーリ? 北の国のものか?」
「え? ええと……」
出身地を問われて、優里は困惑した。
「どちらかというと、東? 寄りというか……」
「東の国!?」
男は手を止め、優里を見た。
(な、何? 日本ってよく東の島国とか言われるから、何となくそう言っちゃったけど……何かまずかった!?)
常に沈着冷静な男だったが、めずらしく動揺しているようだった。
「ではお前は、伝説の薬師に会ったことはあるか!?」
「え? 伝説?」
「その者は本当に東の国にいるのか!? どんなケガや病気もたちどころに治すという噂は本当か!?」
男は優里に詰め寄った。
「あ、あの、わかりません! ごめんなさい!」
優里は少し大きな声を出した。すると男はハッとして、気まずそうに優里から離れた。
「いや……わたしこそすまない……」
「い、いえ……」
(何だろう……びっくりした……)
しばしの沈黙のあと、男はスープとパンが乗った皿を、優里の前に置いた。
「朝食だ。サキュバスは生気に満たされていれば死ぬことはないが、食事は嗜好品のようなものだ」
男も、自分の分を準備し、優里の隣に座った。
「ありがとうございます……」
優里は、ゆっくりとスープに口をつけた。
「おいしい……!」
確かに体は満たされていたが、優里にとって、本当に久しぶりの食事のような気がした。
(猫さんが、私は3ヶ月間昏睡状態だったって言ってたもんね……)
おいしそうに食べる優里を見て、男は少しホッとした。
「さっきは、怖がらせてしまってすまなかった」
男は本当に反省しているようだった。
「わたしは……薬師を探す旅をしている」
「薬師……ですか?」
「その者は、各地を転々としながら、どんなケガや病気も治して回っていると聞く。どの国にも属さず、名前や種族もわからない。最近では、東の国に現れたという噂を耳にした」
(あぁ…それで、さっきあんなに……)
「噂が本当かどうかもわからない。だが、わたしは必ず、その者を見つけ出すと決めたのだ」
男は湖を見据えていたが、心はどこか別の場所にあるようだった。
(薬師を探しているだなんて……この人、どこか悪いの? それとも、家族や、誰か大切な人が病気とか……?)
優里は、それ以上は何だか踏み込んではいけない気がして、口をつぐんだ。
深刻な顔をしている優里に気付いた男は、優里の頭をポンポンと撫でながら、冗談まじりに言った。
「その薬師なら、お前の厄介なスキルもどうにかできるかもしれないな」
「えっ、それは朗報です!」
「では、さっさと食べて、出発するとしよう。街までは、まだ大分歩く」
男は立ち上がり、優里に手を差し出した。
「わたしはシュリアだ。シュリと呼んでくれ。よろしく、ユーリ」
優里は少し戸惑ったが、差し出された手を取り、答えた。
「はい、よろしくお願いします、シュリさん!」
月・水・金曜日に更新予定です。