29 ハヤセ
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「バルダーが北の国の王子様だったなんて……」
(きっと、クロエもこの事実を知らないはず。お互い、名前も明かさなかったみたいだったし……)
驚きを隠せない優里に、バルダーは少し気まずそうにした。
「その話は後で説明する。とにかく今は、作業場に急ごう」
バルダーの言葉に優里は頷いて、作業場へと足を向けた。
作業場に着き、スライに解毒薬を呑ませ、シュリとデクにも応急処置をした。
シュリをベッドに寝かせた後、ミーシャはバルダーの元へ向かった。
「バルダー様、北の国では、貴方は雪崩に巻き込まれ、お亡くなりになったと言われていました。でもご無事で……本当によかったです」
「お前は変わっているな。北の国で、俺を必要とする者などいないと思っていた」
「そんな事はありません! 少なくとも、父上……我がヴォルコフ家の者は皆、バルダー様の死を聞かされた時、悲しみに暮れました。ですが、なぜ王都には戻らず、身分を隠してこの様な場所におられるのですか?」
「………」
バルダーはミーシャの問いに押し黙った。そんな様子のバルダーを見て、ミーシャはハッとして頭を下げた。
「……申し訳ございません。出過ぎた事を……。バルダー様には、バルダー様のお考えがあるのですよね」
「そんな大義名分はない。俺は…ただ……」
「えっと……、私、お茶を淹れてきますね」
言葉を濁すバルダーを見て、優里は席を外そうとした。
「気を使わなくていい、ユーリ。デク、お前にも身分を隠していてすまなかった。でも俺は……もう王族ではないんだ」
「え……?」
「ミハイルは知っている事だが、俺は月食の日に生まれた“呪われた子”だ」
「呪われた子?」
優里が首を傾げると、バルダーは息をひとつついて話し始めた。
「北の国では、月は神聖なものと考えられていて、月が隠れる月食は縁起が悪いと言われている。だから月食の日に生まれた子は、月の祝福を得られなかった、“呪われた子”として忌み嫌われるんだ」
「そんな……!」
優里は胸が痛んだ。
「だから俺は死んだという事にして、王家を出た。その方が民にとっていいと思ったからだ。北の国はどちらかというと閉鎖的な国だし、俺は王家にいる頃から表には立たないようにしていたから、顔もあまり知られてはいない。北の国の者でなければ、気付かれる事もなかった」
「オレは呪いなんて信じていません! バルダー様は、誰よりも国の事を思っている立派な方です!」
ミーシャはギュッと拳を握りしめ、バルダーに向き合った。
「……少しでも不安に思う民がいる限り、俺はいない方がいい。陛下と……兄上も、そう思っているはずだ」
バルダーはそう言うと、まだ眠っているスライを担いだ。
「俺たちは外にいる。ユニコーンの彼が起きたら、改めて謝罪する。デク、行くぞ」
バルダーとデクは外に出て行った。
ミーシャは、そんなバルダーの後ろ姿を見送る事しかできなかった。
「ミーシャ君……」
優里が心配して声をかけると、ミーシャは俯いて悔しそうな顔をした。
「国で……災害が起こると、いつもバルダー様のせいにされてたんだ。“呪われた子”が王家にいるからだって……でも、地震とか雪崩とかは自然災害だ。絶対にバルダー様のせいじゃないのに……。それに、災害が起こった時、バルダー様はいつも率先して被害を食い止めようと動いて下さった。それなのに、感謝もしないで忌み嫌うなんて、絶対に間違ってる」
月食の日に生まれたというだけで、周りからそんな風に見られる事など、優里には到底理解出来なかった。
(きっとバルダーは、小さい頃から辛い思いをしてきたんだ……)
その国にはその国で信じられている事があって、他の者が異を唱えても受け入れられない。それは前世でもありえる話だった。
(私なんかじゃ、どうする事も出来ないってわかってるけど、でも……)
その場の空気が重く、誰もが言葉を失っていた時、作業場に突然緑色の光が差し込んだ。
「きゃ!」
「ユーリ!」
ミーシャは光に驚いた優里を庇うように、前に立ちはだかった。
光は床に魔法陣の様なものを描き出し、その中央に柱の様に細長く天から伸びていた緑色の光から、眼鏡を掛けた童顔の男が現れた。
「何者だ!?」
ミーシャが警戒し毛を逆立てた。
「先生!」
光から現れた男を見て、リヒトが叫んだ。
(先生!?)
「リヒト、君が戻らないから、何かあったと思って千里眼を使って状況を確認したよ」
眼鏡の男はリヒトに向かってそう言うと、優里の方を見た。
「……あなたが、優里さんですね」
(この人、先生って…まさか……)
眼鏡の男は優里の方に歩み寄ると、遠慮がちにはにかんだ。
「はじめまして。僕はハヤセといいます。世間では、伝説の薬師なんて言われてますけど……」
(この人が、伝説の薬師!? 私と同じ転生者!?)
金茶色の髪の毛から尖った耳が覗き、眼鏡の奥の若葉のような緑色の瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいた。小柄で童顔のその男は、優里には中学生ぐらいに見えた。
「伝説の薬師……!? こいつが!?」
ミーシャも、大分幼く見えるこの男が、探し求めていた“伝説の薬師”だとは到底信じられないようだった。
「ミハイル失礼だぞ。先生は生意気でいけ好かないただのガキに見えるが、立派な薬師だ」
「リヒト君、キミの方が失礼だよ……」
ルーファスは苦笑いをしながらそう突っ込んで、ハヤセに向き合った。
「ハヤセ、キミが薬師だと言うなら、診て欲しい患者がいるんだけど……」
その言葉に、優里もハッとした。応急処置をしたとはいえ、シュリは酷い怪我を負っていた。
「ハヤセさん、お願いします」
優里はハヤセを、シュリの元へ案内した。
「これは……魔法による裂傷だね」
ハヤセはシュリの怪我の具合を確認すると、カバンから数種類の薬草を取り出し、器に入れた。
それに手をかざすと、器は緑色に輝き、薬草はクリーム状になった。
それを一番酷い額の傷に塗ると、みるみるうちに傷口が塞がった。
「すげぇ……!」
そばで見ていたミーシャが、思わず声を上げた。
体中の怪我も、同様の手順で診察をし、テキパキと薬を塗った。
「リヒト、君はこの薬を呑んで」
ハヤセが渡した薬を呑むと、リヒトの首筋にあったルーファスの咬み跡が消えた。
「これで、君もスキルが使えるようになったはずだよ」
「ボクの咬み跡まで治しちゃうなんて、さすがだね。本来なら、3日は元に戻らないのに」
その様子を見ていたミーシャが、ハヤセに向かって頭を下げた。
「さっきは失礼な事を言って、すみませんでした」
「大丈夫、慣れっこだから」
どうやら、ハヤセはこの見た目のせいで、よく舐められるらしかった。
「ハヤセさん、外にも怪我をした人がいるんですけど、診てもらえますか?」
優里は、自分の涙によって怪我をしたデクの事を気にかけていた。
ハヤセに適切な治療をしてもらう為、優里はデクが怪我した時の状況を説明した。
「これは、魔力による傷じゃないね」
ハヤセはまじまじと、デクの傷を見た。
「酸による化学熱傷に似ている。涙って言ってたけど、優里さんの目は無事なの?」
「酸!? わ、私の目は何ともないと思いますけど……」
酸というフレーズに、優里は思わず自分の目をこすった。
「うーん、ちゃんと調べてみないとわからないけど、優里さんの涙は、通常よりアルカリ性が強いのかもしれない。まぁ、魔族の涙がアルカリ性なのかどうかは謎だけど……」
「アルカリ性? 酸性じゃなくてですか?」
「人の涙は、元々弱アルカリ性なんだよ。ただアルカリ性はタンパク質を溶かすけど、虫籠は溶かせないと思うんだよね。という事は、魔力で作った物は、タンパク質なのかな……。優里さんの涙が水酸化ナトリウムのような性質だとしたら、アルミニウムに近いのか……?」
ハヤセは何やらブツブツと考え込んでいたが、優里にはよくわからなかった。
「アルカリ性が強いと、危険なんですか?」
「火傷を負わす程のアルカリ性の涙が出たとなると、普通なら失明してるよね」
「失明!?」
ハヤセの口から恐ろしい言葉ばかりが出るので、優里は不安に駆られた。
「まぁでも、優里さん自身が何ともないなら、大丈夫じゃないかな。涙は女の武器って言うし」
「ある意味、すごい凶器ですね」
リヒトの追い打ちに、優里は愕然とした。
(私……あの時シュリさんに涙を拭って貰ったような……。全身傷だらけだったから気付かなかったけど、シュリさんが指を怪我してたとすれば、私がやったのかも!)
自分の涙が思いのほか危険なものだったと知り、優里には更に悩みが増えてしまった。
その時、ふとハヤセが眠っているスライに目を向けた。
「彼は、どうしたんだい?」
「えっと……私が毒を盛っちゃって……」
優里が自分のスキルについて説明すると、近くにいたバルダーも驚いていた。
「あの紫の靄は、猛毒だったのか。だからあの時、俺に離れろと言ったんだな」
「うん……。あの時の私は、シュリさんを助ける為なら、スライを傷付けても構わないと思ってた。でも、それがどんなに恐ろしい事だったか、今ならわかる……。あなたの部下に酷い事をして、本当にごめんなさい、バルダー…、あっ、申し訳ございませんでした、バルダー様」
優里はそこで、バルダーが王子だったという事を思い出し、慌てて言い直した。
「俺はもう王族ではないと言っただろう? 敬語など使わなくていい」
バルダーは、ふっと笑って優里に言った。
「彼に与えた解毒薬は、先程のユニコーンが作ったの?」
「……はい、そうです」
(ハヤセさんは、シュリさんがユニコーンって事知ってるんだな……)
「とても効果が高いものだ。ユニコーンの彼が目覚めたら、色々話が聞きたい。彼には、優里さんの事でお礼も言いたいしね」
「お礼?」
ハヤセは、きょとんとした優里に向き合うと、にっこりと笑って驚くべき事を口にした。
「ええ。僕の大事な婚約者である優里さんを、今までずっと守ってくれていたんだから」
(は……?)
優里は、言われた事を理解できず、固まった。
「はぁ!? 婚約者!? ユーリ、お前、伝説の薬師と結婚の約束をしてるのか!?」
思わずミーシャが声を上げ、優里に詰め寄った。
「えっ!? ええっ!?」
その時、慌てふためく優里の背後に影が落ちた。
「……どういう事だ、ユーリ」
よく通る馴染みのある声が聞こえ、振り向くと、そこにはシュリが立っていた。
「シュリさん! 目が覚めたんですか!?」
「やあ、はじめましてシュリ。僕はハヤセ、伝説の薬師と呼ばれている者です。そして……優里さんの婚約者だ」
ハヤセは堂々とシュリにそう言った。それはまるで、シュリに挑戦しているかのような態度だった。
月・水・金曜日に更新予定です。




