23 ルーファスの過去 その3
23
あれから何百年経ったのだろう。ボクは醜くも生きながらえていた。
世の中は、魔族と人間が共存するようになっていたが、ボクだけは相変わらず、人々から恐れられていた。
森にある小さな空き家に住み、野菜を植え、狩りをして、たまに動物の血を飲んだりした。
通りがかりの盗賊団から小銭を拝借して、ぶらりと街に行く事もあったが、ボクの姿を見ると、誰しもが“暴食の吸血鬼”だと言って逃げ出した。
長い年月をかけ、人々の手によって、ボクは危険な怪物に仕立て上げられていた。いや、でも、あながち間違ってはいない。それは確かに、ボクがしたことだったんだから……。
それでもボクは、自分の容姿を偽ろうとは思わなかった。長い黒髪に真紅の瞳、首の傷も隠そうとせず、ボクは“暴食の吸血鬼”として日々生きていた。
そうして人々に恐れられ、嫌われて生きる事こそ、贖罪だと思っていたから。
ボクは、ひとつの場所に長く住まないようにしていた。賞金目当ての輩が、ボクを退治しようと家にやって来るからだ。ボクはどうやらお尋ね者で、ギルドで高額の討伐対象として名を馳せていた。
ボクひとりの為に、森を焼き払おうとしたり、魔法をバンバン打ち込んで、周囲の動物たちの生態系を脅かそうとする者もいて、ボクはそれを守る為に戦う事もあった。
でも誰も、ボクを殺せなかった。
そんなある日、ボクは新たな拠点を探すため、森を彷徨っていた。
それは不思議な森だった。何らかの魔力が働いていて、ただ歩いているだけだと、同じ所をぐるぐる回っては、元の場所に戻って来てしまうといった感じで、ボクは魔力で位置を確認しながら、森の奥へと進んだ。
静かな森だったが、どこからか甲高い鳥の鳴き声がして、ボクは声を頼りに辺りを見回した。すると大きな木の根元に、小さな鳥のヒナがうずくまり、必死で鳴き声をあげていた。
大きな木を見上げると、かなり高い所に鳥の巣らしきものが見えた。
「お前、巣から落ちたのかい?」
ボクは、そっとそのヒナを手に取り、木を登り始めた。
「大丈夫、昔こうして、よく木登りしていたんだよ。すぐにキミを巣に戻してあげるよ」
大分上の方まで登り、ヒナを巣に戻そうとした時、バキリという音を立てて、ボクが乗っていた枝が折れた。
ボクは本当によく落ちる。この高さなら、ボクはまた死ぬだろう。
ボクの手の中には、巣に戻しきれなかったヒナがいた。せめてこいつだけは守らなければ。
バキバキと枝を折りながら、ボクは落ちた。
暫くして目を開けた時、ボクの事を、ひとりの子供が覗き込んでいた。
金色の髪に濃紺の瞳、透き通るような白い肌に、桜色の唇。ボクはついに、天使が迎えに来たと思った。
「ああ……やっと……死ねたんだね……」
ボクがそう呟くと、金髪の子供は不思議そうな顔をした。
「死ぬ? お前は生きているぞ」
見た目とは裏腹に、大人びた口調のその子供は、深い海のような冷たい瞳をボクに向けた。
「こんな所で何をしている?」
「え? ああ、鳥を……巣に戻そうとしたんだよ」
ボクは、手の中のヒナをその子に見せた。ヒナは、ボクの手の中ですやすやと眠っていた。
「……だが、もう戻せないだろう。枝が折れて、巣も下に落ちている」
金髪の子供にそう言われ、辺りを確認すると、巣は枝ごと下に落ちていた。幸い、他にヒナはいなかったようだ。
「ああ……本当だ。仕方ない、責任をとって、この子はボクが育てるよ」
「知識はあるのか?」
「知識? 餌をあげれば大きくなるだろう?」
ボクがそう言うと、金髪の子は立ち上がり、未だ寝転がっているボクを見下ろした。
「鳥のヒナを育てるのは、お前が思っているほど容易くはないぞ。家に帰れば図鑑があるし、森の動物については、兄が詳しい。ついて来い」
ボクは言われるがまま、その子供について行った。
「ねぇキミ、名前はなんていうの? ボクはルーファス」
「怪しい奴に、名前は教えられない」
金髪の子は、振り向きもせずに答えた。
「その怪しい奴を、家に連れてったりしていいのかい?」
ボクは思わず苦笑した。
「あのままお前を見捨てて、面倒事になることも考えられる。兄に引き渡して、本当に怪しい奴だったら、殺す」
ボクは目を見開いた。でも逆に、何故か安堵を感じた。
「…殺す、ね。随分物騒な事を言うんだね」
ボクは考えていた。この森から感じる魔力は、何かを守ろうとしている? だから、森の奥に行けないように、魔法がかかってるのか?
奥まで辿り着いたボクを、この子は小さいながらも警戒している。最初はただの人間かと思ったけど、種族隠蔽のスキルを使っているのかもしれない。
見捨てるという言い方もおかしい。ボクは別に助けを求めてはいない。
そしてボクが“怪しい奴”だったら、殺すだって?
そこまでして守りたいものが、この森にはあるのか?
暫く歩くと森が開け、一軒の家に辿り着いた。
庭先で、ひとりの若い男が薪を割っていた。
「兄さん」
金髪の子が声をかけると、男が顔を上げ、ボクを見て少し驚いたような顔をしたが、すぐに明るい笑顔を見せた。
「やあ、ようこそ」
ボクは拍子抜けした。
(ようこそって……歓迎された?)
兄さんと呼ばれたその男は、弟と同じ綺麗な金色の髪をひとつに束ね、浅瀬のような薄い水色の瞳をボクに向けた。
「こんにちは。怪しい吸血鬼です」
ボクはわざとそう言った。すると男はふふっと微笑んで、薪割を切り上げた。
「よかったら上がりなよ。今、お茶を淹れるから」
男は金髪の子と同様に、とても綺麗な顔立ちをしていたが、笑うと子供のように愛らしかった。
ボクはその笑顔に誘われるまま、家の中に入った。木を基調にした温かみのある部屋は、この男の雰囲気にピッタリだった。
この兄弟は、こんな森の奥で暮らしているから、ボクのことを知らないのだろうか。
長い黒髪に真紅の瞳、首に大きな傷がある吸血鬼のこのボクを、人間のみならず魔族だって恐れているというのに。
弟に案内されテーブルにつくと、暫くしていい香りのお茶が出てきた。ここ何百年と、水か血液しか口にしてなかったボクは、その美味しさに感動した。
「それで、“暴食の吸血鬼”さんは、どうしてこの森に?」
男の言葉に、ボクは思わずお茶を吹いた。
「兄さん、ルーファスという名前があるそうだ」
「ああ、そうなんだね。失礼、ルーファスはなぜこの森に?」
ボクは咳込みながら、向かいに座っている兄弟を見た。
相変わらず兄はにこやかな笑顔をボクに向けていて、弟は静かにお茶を飲んでいた。
「キミたちは……ボクのことが怖くないのかい?」
ボクがそう尋ねると、兄はきょとんとした顔でボクを見た。
「一目見て、ルーファスは怪しい奴じゃないってわかったし、悪い奴でもないみたいだから、怖くないよ」
ボクは開いた口が塞がらなくなった。ボクに対して、そんな事を手放しで言う奴がいるなんて。
ただのお人好しなのか、それとも、逆にボクを油断させようとしているのか?
ひとまずボクは、兄の質問に答える事にした。
「知ってるだろう? ボクは……嫌われ者なんだ。 だからなるべく、人と関わらないように……ひっそりと暮らせる場所を探して、この森に入ったんだ」
兄は黙ってボクの答えを聞くと、耳を疑うような事を言った。
「じゃあ、ルーファスさえよかったら、ここで一緒に暮らさないか?」
「……は?」
「見ての通り、ここは人里離れているし、部屋も余ってる。ここには、僕たち兄弟と僕の婚約者しかいないから、遠慮することはないよ」
この男は何を言い出すんだ。ボクは呆れた声で言った。
「いや、えーと、ちょっと待ってくれないかい? キミ……猜疑心がなさすぎるよ。こんな黒い噂が絶えない吸血鬼相手に、悪い奴じゃないとか一緒に暮らそうだとか……まさか、逆にボクをハメようとしてるの? 弟くんには殺すとか言われたし、飴と鞭作戦なの?」
動揺するボクを尻目に、弟は悪びれもせずに言った。
「冗談のつもりだった」
「えー! あれ冗談だったのかい? わかりにくっ!」
弟に翻弄されるボクを見て、兄はまた子供のような顔で笑った。
「ルーファス、種明かしをすると、僕の弟は何故か、その人が嘘をついてるかどうかがわかるんだ。君が僕たちを騙そうとしていたのなら、きっと君をここまで連れて来てはいない。弟は初めから、君の事を怪しい奴とは思ってなかったはずだよ。そして、君をここまで連れてきたという事は、君を……ひとりにはさせたくなかった、ということだ」
弟は、ボクを見ると静かに口を開いた。
「ルーファスは木から落ちる時、鳥を死なせないように庇った。なのに自分は無防備で、まるで死にたがってるようだった。そんな奴をほってはおけない」
ボクは思わず息をのんだ。こんな子供が、あの一瞬のボクを見て、そんな事を思ったのか。
そしてそんな弟を理解し、信頼している兄は、ボクを無条件で受け入れようとしている。
見捨てるという言い方は、そういう意味だったのかと理解した。
こんな、自分より遥かに若い子供たちに心配されるなんて、ボクはなんて不甲斐ないんだろう。
「そうだね……確かにボクは、死にたがってるのかもしれない。だから、キミに殺すと言われた時、少し安心したんだ」
ボクは正直に答えた。
「さっきも言ったけど、ボクは嫌われ者だ。誰もボクを必要としていない。ボクがいてもいなくても、誰も何も思わない。何より……ボクは、自分の過去の罪の重さに耐えられないんだよ」
ボクは目を伏せた。
だから死にたい、そう続けようとした時、弟が言った。
「ルーファス、1ヶ月ぐらい前に、この森の東にある町に行っただろう?」
「え? あ、ああ……そういえば行ったね」
(いきなり何の話だ?)
「その町では、夜、盗賊の被害が相次いでいたのだが、“暴食の吸血鬼”の目撃情報が出るや否や、ピタリとなくなった。お前への恐怖心により、盗賊たちは町から離れ、結果、町の治安は良くなった。つまりお前の存在が、町を守った」
ボクは顔を上げて、弟を見た。彼は、綺麗な深い海の色の瞳でボクを捉えた。
「お前は必要とされている。少なくとも、わたしはそう思う。だから、自分の存在を否定するな」
「………」
ボクは思わず固まってしまった。この子供は、ボクを、ボクの心を、どうにかして助けようとしているのか。
「それにお前は、そのヒナを育てると約束した。自分の言った事に責任を持て」
ボクの右手では、小さな鳥が相変わらずすやすやと眠っていた。
ボクは、フッと息をついて、弟に言った。
「ああ、そうだね、その通りだ」
そんなボクたちのやり取りを、静かに見守っていた兄が、優しく微笑んだ。
「ルーファス、君の過去に何があったかはわからないけど、僕のかわいい弟がここまで言ってるんだ。君には生きてて欲しいって思うよ。どんなに辛い過去だとしても、受け入れて、逃げずに、前を向いて、くじけそうになったら、僕たちに寄りかかればいい」
ボクは、胸が熱くなるのを感じた。この兄弟は、ボクを支えようとしてくれている。
ボクは、もう何処にも逃げずに、この子たちと一緒にいたいと思った。
その時ボクは、やっと気付いた。
(そうか、ボクは、寂しかったんだ。だから早く、みんながいる所へ逝きたかっただけなんだ)
「少し……辛いから、寄りかかってもいいかい?」
ボクがそう言うと、兄弟は声を揃えて言った。
「もちろん」
こうしてボクは、この優しい兄弟たちと一緒に暮らす事になった。
月・水・金曜日に更新予定です。




