138 シュリの過去 その7
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「シュリはお湯を準備して!! ルーファス! 清潔な布をもっと持ってきて!!」
1年後、新しい命が誕生した。リアが狼狽えるわたしとルーファスに指示を飛ばし、初めての経験だったがアリシャも無事に出産する事が出来た。
アリシャはユニコーン姿で出産し、赤ん坊もユニコーン姿で生まれてきた。角はまだ小さく、先端も丸まっていて、母体を傷付けない様な仕様になっていた。
生まれてきた小さなユニコーンは男で、アリシャがアンシュと名付けた。
わたしたち魔族は成長と共に魔力が操れる様になるのだが、ユニコーンという種族は元々魔力の制御に長けていて、生まれてから3、4年ほどで、人型になったり結界に魔力を組み込むといった、簡単な制御なら出来る様になる。アンシュも例外ではなく、4年ほど経ったある日、アリシャに教えられ人型になった。そばでその様子を見ていたわたしは、人型になったアンシュを見て息をのんだ。
アンシュは、兄そっくりだった。兄と同じ金色の髪に水色の瞳、同じ笑顔を見せるその幼い子の姿を、わたしはどうしてもアリシャに見せてやりたいと思うようになった。
わたしを庇った事でケガをしたアリシャの緑色の瞳は、白く濁り視力は失われ、かろうじて光を感じる程度だった。何度か町まで行って医者に診て貰ったが、恐らく視力の回復は無理だろうと言われた。
わたしは兄の事もアリシャの事も、自分のせいだと思う気持ちが常にあった。兄の事は、もうどうする事も出来ないけれど、アリシャの事は、もう一度その瞳に光を戻す方法がないか、ずっと模索していた。
そんな時、仕事で町に出ていたルーファスが、興味深い話を持って来た。
「シュリ、今日出版社に行った時に聞いたんだけど、“伝説の薬師”って呼ばれてる、凄い薬師がいるみたいだよ」
「伝説の薬師?」
「うん。なんでも、どんなケガでも病気でも、たちどころに治しちゃうんだって! どの国にも属してなくて、旅をしながら病気の人を治して回ってるらしいよ」
わたしは眉間にしわを寄せた。
「……胡散臭いな」
「ボクも最初はそう思ったけど、実際に治して貰ったっていう人が結構いるみたいなんだよ。でも、みんな何故かその薬師の顔も名前も思い出せないんだって」
「病気やケガを治す代わりに、記憶を奪うのか?」
「それはどうかわからないけど……。噂って案外馬鹿にできないよ。“暴食の吸血鬼”だって、実際にいるんだから」
ルーファスはそう言って小さく笑った。
確かに、何もない所から噂は生まれないだろう。わたしが少し考え込んだ時、アンシュが本を抱えながら駆け寄って来た。
「父さま! ご本よんで!」
「アンシュ、わたしはお前の父ではないと言っただろう」
わたしはそう言いながらも、アンシュを膝に乗せ本を広げた。
「わかってるよ。でもルドラ父さまもシュリア父さまも、ぼくの“父さま”だ」
アンシュはわたしの事を“父さま”と呼んだ。アリシャがきちんと兄の事を話し、アンシュもそれを理解していたので、わたしも呼び方に関して、それ以上は何も言わなかった。アンシュは、本当の父親である兄の事を尊敬していた。
ルーファスから“伝説の薬師”の話を聞いてから、わたしはずっと考えていた。もし本当にそんな人物が実在するのなら、アリシャの目を治す事が出来るかもしれない。アリシャに、兄に生き写しのアンシュの姿を見せてやる事が出来るかもしれない。
わたしは考えた挙げ句、アリシャ本人に相談する事にした。もしわたしが薬師を探す旅に出るのだとすれば、きっとしばらく戻れない。その間、アリシャとアンシュの事は、ルーファスとリアに任せる事になる。わたしがいない事で、アリシャやアンシュが不安になるのなら、薬師を探す旅は諦めるしかないと思った。しかし、この話をした時、意外にもアリシャはとても嬉しそうだった。
最初は、自分の目が治るかもしれないという希望が見えた事に喜んでいるのだと思ったが、そうではなく、わたしが旅をするという事に興奮していた。
「でも、貴方ひとりでは心配だわ。ルーファスも連れて行って」
「駄目だ。女性と子供だけ置いて行く訳にはいかない」
ルーファスの件で多少揉めたが、最終的にはクルルを連れて行くという事で納得してもらった。いや、実際にはアリシャは納得していなくて、後からルーファスに追いかけさせたのだが。
アンシュに旅に出るという事を告げた時、「ぼくも行く」と言って駄々をこねられた。アリシャが宥めようとしていたが、家を飛び出し、裏庭に立てた兄の墓の前でしばらく泣いていた。
アンシュは、叱られたりした時に兄の所へ行く癖があった。しばらくすると頭が冷えるのか、家に戻り素直に謝るのだが、その時は中々戻ってこなかった。
駄々をこねた事に対して叱りつけた訳ではなかったから、きっと気持ちの整理がつきにくいのだろうと思い、わたしは様子を見に行った。
アンシュはわたしに気付くと、兄の墓の前でうずくまったままわたしに言った。
「父さまは……ちゃんともどってくるの?」
わたしはアンシュの台詞を聞いて、アンシュが恐怖を抱いているのだと気付いた。わたしが兄の様に、“戻らない存在”になる事を恐れているのだと思った。
「当たり前だろう。わたしはお前とアリシャが大事だ」
「ほんとうに?」
わたしはしゃがみ込み、アンシュと目線を合わせた。
「アンシュ、お前に文字を教える。手紙を書くから、お前がアリシャに読んでやるんだ」
「手紙……?」
「そうだ。たくさん手紙を書く。それをアリシャに読んでやるのは、お前の役目だアンシュ」
「ぼくの……役目……」
「頼んだぞ」
わたしはアンシュに前向きになって貰いたいと思い、手紙という繋がりを提示し、役目を与えた。アンシュは大きく頷いて、わたしに抱きついた。
「はやく……でんせつのくすしを見つけて帰って来てね」
「……ああ」
その日から、わたしはアンシュに文字を教え始めた。アンシュの飲み込みは早く、みるみるうちに読み書きが出来る様になった。
わたしは早急に旅に出る準備を進めた。出発前夜、わたしはルーファスの部屋を訪れた。
「ルーファス、明日出発する」
旅に出る事は前もって言ってあったが、出発日は直前に決めた事だった。
「ああ、ダメだ間に合わない! いや、間に合わせないと殺される!」
どうやら締め切り前だったらしく、ルーファスは鬼気迫っていた。
「お前は不死身だルーファス。殺されても死なないだろう」
「シュリ!! キミは黙ってて!! 今ボクは人生最大の危機なんだ!!」
締め切り前のルーファスはいつもこんな調子だった。一体何回目の人生の危機だろうか。とりあえず、明日出発するという事は伝えた。わたしは静かに部屋を後にした。
次の日の朝、アリシャとアンシュとリアに見送られ、わたしはクルルと共に薬師を探す旅に出た。リアには、もしどこかでニーノに会ったら、2、3発ぶん殴ってでも森に連れ戻して欲しいと言われた。ルーファスは徹夜で執筆活動をしていたらしく、わたしが部屋を覗いた時は、力尽きて倒れていた。
わたしは、最近薬師が現れたという東の国へ向かった。人の気配がない森の中は、時間短縮の為にユニコーン姿で駆け抜ける事ができた。しかし町が近付くにつれ、森とはいえ人の姿をチラホラ見かける様になり、気軽に元の姿に戻れなくなった。そのせいで、当初の予定よりも日程が大幅に遅れていた。
加えてわたしの不眠症が、思いのほか旅の負担になっていた。
(先程休憩したばかりだが……もう疲れてきたな……)
旅に出てから10日程しか経ってなかったが、わたしは、睡眠がいかに大事かという事を自覚せざるを得なかった。
(このままでは東の国に着くのがどんどん遅れてしまう。その間に、薬師が移動してしまうかもしれない……)
野営地の森の近くで焚き木を拾いながら、わたしは今後の日程について考えていた。
(危険を覚悟で元の姿に戻り、進むべきか……。しかしそうなると、クルルにも負担がかかってしまうかもしれない)
その時、泉の方から人の声が聞こえた。
「だ、誰かーーーー!! 助けて……助けて下さい!!」
わたしが声のした方に歩を進めると、そこには、倒れた人間のそばで叫んでいる、サキュバスの姿があった。
月・水・金曜日に更新予定です。




