137 シュリの過去 その6
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「待ってくれ兄さん、逃げるのなら兄さんも一緒だ」
わたしの言葉に、兄は緩く首を振った。
「魔族が協力してるって言ったろ? どんなスキルを使ってくるかわからない。それにこの匂い……恐らく森に火を放たれてる。奴らは、自分たちの逃走経路は確保してるはずだ。僕が足止めをしてる間に、シュリとアリシャはその道を辿って逃げるんだ」
「それならわたしが奴らと戦う!!」
「シュリ、君より僕の方が強い。そして僕は君の兄だ。弟を守るのは兄の役目だ」
わたしは少し大きな声を出したが、兄は懇願するような瞳を向けた。
「頼むよ、シュリ……アリシャを守れるのは、君しかいない。僕の大事な人を……僕の代わりに守ってくれ」
「兄さ……」
その時、大きな衝撃と共に兄の結界が破られた。わたしと兄が家を出ると、武器を持った男たちが大勢押し寄せて来た。
「人がいるぞ!!」
「ユニコーンか!?」
男たちはわたしたちに武器を向け、じりじりと間合いを詰めて来た。
「シュリ、頼んだよ」
そう言った兄の体が水色に光り、兄はユニコーン姿になった。
「ユニコーンだ!!」
「本物だ!! 捕まえろ!!」
男たちは兄に集中し、兄は男たちを翻弄する様に逃げ回った。
「くそっ!」
わたしはアリシャの所へ戻ろうとしたが、アリシャは既に玄関の所まで来ていた。
「シュリ……!」
アリシャは外の状況を確認すると、両手で口元を覆った。
「そんな……」
「アリシャ、とにかく逃げよう!」
わたしが今にも倒れそうなアリシャを支えようとした時、アリシャが何かに気付きわたしを突き飛ばした。
「シュリ!! 危ない!!」
次の瞬間、アリシャに突き飛ばされたわたしの横を魔法が掠め、それはアリシャの瞳を撫でる様に襲った。
「ああぁ!!」
「アリシャ!!」
アリシャは目を押さえその場に膝をつき、それに気付いた兄が追撃をしようとした魔族を後ろ脚で蹴り上げた。
『シュリ! 早く逃げろ!!』
わたしはしゃがみ込み、アリシャを背中に乗せユニコーン姿になった。
「あいつもユニコーンだ!」
「逃がすな!!」
わたしは襲い掛かって来る奴らをなんとか躱し、森に逃げ込んだ。それを確認した兄は、増築の為に庭に積んであった木材を蹴り崩し、森への道を塞いだ。
『兄さん!!』
『僕にかまうな!! 行け!!』
「くそ! こいつだけでも仕留めるぞ!!」
道を塞がれ、すぐにはわたしを追えなくなった奴らが兄へと襲い掛かった。そんな中、兄は真っ直ぐわたしを見て言った。
『シュリ、アリシャを頼む』
わたしは何も言えなかった。覚悟を決めた水色の瞳が、そこにはあった。
わたしはアリシャを乗せたまま、ひたすら森を駆け抜けた。傍らにはいつの間にかクルルがいて、必死にわたしについて来ていた。
煙が立ち込める中、ルーファスがこちらに走って来るのが見えた。
「シュリ!!」
『ルーファス!!』
ルーファスは、元の姿に戻っているわたしと、ケガをしていたアリシャを見て全てを悟ったのかもしれない。姿の見えない兄の事を、その場で訊く事はなかった。
ルーファスの前で立ち止まった時、後ろから森の動物たちがどんどん逃げて来ていた。それを見たルーファスが、わたしの背中にひらりと乗った。
「シュリ、とにかく今はここを離れよう。少し先にニーノもいる」
わたしたちはニーノがいる場所まで進み、わたしはルーファスとニーノにアリシャを預け、兄を助けに行こうとした。しかしアリシャがわたしを離してくれず、そんなアリシャを見たニーノが、「自分が助けに行く」と言って、クルルと共に森の奥へと消えた。
ニーノに呼ばれたリアが森の木々を成長させ、わたしたちの事を追手から上手く隠してくれた。
「ここまで来れば大丈夫だと思うわ。木々を成長させたから、森の地形もだいぶ変わってる」
わたしはリアの言葉を聞き元の姿に戻ると、アリシャのケガを確認した。
「アリシャ、今のうちに応急処置をしよう」
わたしはいつも、懐に回復薬や解毒薬を忍ばせていた。
「シュリ、あたしはニーノの様子を見てくるわ。ここから動かないでね」
リアはそう言って、森の木と同化するように姿を消した。
「アリシャ、痛むか?」
「平気よ……。シュリこそ、ケガはない?」
「わたしは大丈夫だ。……水が必要だな。どこかに泉は……」
わたしが立ち上がる気配を感じたのか、アリシャはわたしの腕を強く掴み、すがる様に引っ張った。
「ダメよシュリ! 離れないで! そばに……いて……」
いつも冷静で気丈なアリシャが震えていた。わたしはそんなアリシャ抱きしめ、落ち着かせるように背中をさすった。
「アリシャ、大丈夫……そばにいる」
「水はボクが汲んでくるよ。シュリはここにいて」
ルーファスがそう言って、水を探しに行った。
わたしが背中をさすっていても、アリシャの震えは止まらなかった。恐らくアリシャは気付いている。兄が、“戻らない覚悟”を決めた事を。
しばらくして、ルーファスがクルルと共に戻って来た。
「クルル!」
「水を汲みに行った時に、クルルと出くわしたんだよ」
「クルルだけか? ニーノはどうした?」
そばに寄って来たクルルの頬を撫でながら訊くと、クルルは小さく鳴いてアリシャに寄り添った。
「クルルだけしか見当たらなかったよ……」
ルーファスがそう言った時、煤で汚れたリアが姿を現した。
「リア!」
「シュリ……」
リアの頬は涙で濡れていた。ルーファスはリアのそばに寄り、背中を支えた。
「リア、大丈夫かい? ニーノは?」
「ニーノは……やらなくちゃいけない事があるって、どこかに行っちゃった……」
リアはそう言うと、わたしの方へ歩み寄った。
「シュリ……アリシャ……これを……」
わたしは、差し出された震えるリアの手の中のものを見て、息をのんだ。
「ごめん……あたしには、これしか……出来なかった……」
それは、綺麗な金色のたてがみだった。目が見えなくなっていたアリシャはそのたてがみに触れ、リアの手ごと握りしめた。
「あ……ああ……」
「アリシャ……」
リアはもう片方の手でアリシャを抱きしめ、唇を噛んで涙をこらえていた。アリシャの泣き声だけが森に響き渡ったが、その声も聞こえないほど、わたしの頭の中は真っ白になっていた。
それから、わたしたちはニーノとリアの故郷の森に向かった。アリシャの体調も悪かった為、わたしはユニコーン姿になり、アリシャを背中に乗せ、休憩を取りながらゆっくりと進んだ。
前の森を追われてから10日ほどで辿り着いたその森は、静かで、幻想的な美しさを放っていた。
『綺麗な森だな』
「でしょ? あたしはこの森が一番好き。ニーノにも……早く帰って来て欲しいわ……」
リアは、姿を消したニーノの事をずっと心配していた。けれど、兄を亡くしたわたしやアリシャの事を気遣い、ルーファスと共にわたしたちを励ましながら気丈に振る舞っていた。
『ありがとう、リア……。お前がいてくれて、本当に助かってる』
わたしがそう言うと、リアは少し照れくさそうにしたが、すぐに気を取り直した様に腰に手を当てた。
「お礼を言うのはまだ早いわよ、シュリ。これから家を建てて、アリシャが安心して赤ちゃんを産める環境を整えないと!」
『そうだな……え?』
「赤ちゃん?」
わたしとルーファスは、顔を見合わせ首を傾げた。
「……え? やだ、嘘でしょ? あなたたち、何も気付いてなかったの!?」
逆に驚いたリアの言葉に、背中に乗っていたアリシャが小さく笑った。アリシャの笑い声を聞いたのは久しぶりだった。
「リア、私も貴方に言われて気付いた事だから……」
「シュリはともかく、ルーファスはわかりそうなもんだけど」
「アリシャ、キミ、まさか……」
リアの言葉を受け、ルーファスがアリシャを見た。
「私、お腹にルドラの子がいるのよ」
アリシャの声色はとても優しく穏やかで、わたしは背中に、アリシャ以外の命の温もりを感じた。
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