134 シュリの過去 その3
134
あの日から1年が過ぎようとしていた。わたしたちは人気のない森の奥に、小さな家を建て3人で暮らしていた。家は兄がひとりで建てた。ベッドも机も、全て兄が造ってくれた。兄は、わたしとアリシャが安心して暮らせる様に、ひとりで何でもこなしていた。
「シュリ、そろそろ寝ましょう」
アリシャが、窓辺で本を読んでいたわたしに声をかけた。
「眠くない」
「シュリ……昨日も遅くまで起きていたでしょう? 今日は早く寝ないと」
「眠くなったら寝る」
アリシャは小さくため息をついた後、わざと明るい声を出した。
「シュリ、将来旅をするんでしょう? 睡眠はとっても大事よ。寝てないだけで、すごく体力が消耗しちゃうんだから」
わたしは、手元の本に目を落としたまま答えた。
「旅はしない」
「え?」
アリシャが訊き返したので、わたしは顔を上げ、今度はアリシャの目を真っ直ぐ見て答えた。
「わたしはずっと兄さんとアリシャのそばにいる。だから、旅はしないと決めた」
「シュリ……」
眉間にしわを寄せ、何か言おうとしたアリシャを制するように、わたしは言葉を重ねた。
「わたしは兄さんに心配をかけたくない。いつもわたしの心配をしていた、父さんと母さんみたいに」
「……」
アリシャは何か言いたげだったが、何も言わずに口を閉じた。
「眠くなったら……ちゃんと寝るのよ」
アリシャは最後にそう言って、静かに部屋を出て行った。
わたしは、あの日以来眠れなくなってしまった。眠ろうとすると、焦りの様な感情が沸き起こるのだ。
(眠っては駄目だ、襲われる)
ウトウトとしていても、そんな感情がわたしの脳を刺激し、すぐに目を覚ましてしまうのだ。
(ここは安全だ、人里離れているし、森に囲まれてる。結界も張ってる。大丈夫、人間は襲い掛かって来ない)
わたしは暗示をかける様に、自分自身にそう言い聞かせていたが、考えれば考えるほど眠れなくなるという悪循環に陥っていた。
(“暴食の吸血鬼”に血でも吸われれば、気絶する事が出来るだろうか)
そんな馬鹿馬鹿しい事を考え、わたしは大半の夜を本を読んで過ごしていた。
「今日は東側にある町に行こうか」
翌朝兄にそう言われ、わたしとアリシャは町に行く準備をした。
この森の近くには町がいくつかあった。近くと言っても、森を抜けた後も少し歩くから、朝早く出ても町に着くのはお昼前ぐらいになってしまうのだが、わたしたちにとっては、生活必需品を揃えられる重要な場所だった。
兄は町に行く時、必ずわたしを誘ってくれた。少しでも、前と同じ様な生活を維持しようとしていたのかもしれない。わたしが不安にならない様に、兄はとても気を遣っていた。けれどわたしは、兄のその気持ちを少し苦しく感じていた。
わたしは兄に心配をかけたくなかった。だから、兄の言う事はちゃんと聞こう、聞き分けのいい弟でいようと、わたしもわたしなりに気を遣っていた。
わたしたちは、自分たちの角で解毒薬を作り、それを売って生活費を稼いでいた。純度の高い物にしてしてしまうと、店主に疑いをかけられてしまうので、意図的に濃度を薄め、ユニコーンの角で作られているという事を巧みに隠していた。
しかし、それが逆に店主に舐められ、買値を誤魔化してくる事もあった。
「全部で銅貨10枚だな。このところ解毒薬の消費が悪くてね。この程度の解毒薬は在庫が有り余ってんだ」
店主の言葉に、わたしは眉間にしわを寄せた。
「嘘だな」
「はぁ?」
「お前は嘘をついている。この町のギルドでは、毒を持った魔獣の討伐依頼で溢れていた。この程度の解毒薬でも、ほとんど在庫は無いはずだ」
店主はぎくりとしたが、子供のわたしが言ったことに対し、逆に態度を大きくした。
「何を証拠にそんな事を言う!? 確かにギルドの依頼はそうなのかもしれんが、俺の店の在庫状況がどうしてわかる? 言いがかりをつける様なら、自警団を呼ぶぞ」
店主の威圧的な態度に、わたしは言い返そうとしたが、兄がわたしの口を塞いだ。
「すみません。でも、銅貨10枚分だとこちらも納得いかないので、他をあたってみる事にします」
「フン! 他も同じだと思うけどね!」
店主の捨て台詞を背中で聞きながら、わたしたちは店を後にした。
「兄さん、あの店主は明らかに嘘をついてた」
わたしはあの日以来、何故か人の嘘が見抜けるという能力を身につけていた。嘘をついている場合、その人の瞳の奥の色が微妙に変化するのだ。何故この様な能力が突然身についたのかはわからないが、もしかしたら、騙され、裏切られる事に対する防衛本能が働いた結果なのかもしれない。
「そうだろうけど、町での争いは避けたい。変に目立って、注目されたら困るよ」
兄の言う事は最もだった。半ば隠れ住んでいるわたしたちにとって、注目され目を付けられるのは、一番恐れている事だったからだ。
「あそこの自警団の人に、他の道具屋の場所を聞いて来るよ」
兄はそう言って、道端であくびをしてる自警団らしき男の元へ走って行った。
「なんか、この前来た時よりも平和だな」
「そうね、この前はもっとピリピリしてたみたいだったけど」
わたしとアリシャはそう言って町を見渡した。実はわたしたちは、数か月ほど前もこの町を訪れていた。その時は町は自警団だらけで、“町で見かけない顔”だったわたしたちは、尋問まがいの事をされた。
「おまたせ。真っ直ぐ行って左に曲がった奥に、道具屋があるみたいだ。案内すると言われたけど、大丈夫って断ったよ」
「あの自警団、随分暇そうだったからな。仕事してるフリがしたかったんだろう」
戻ってきた兄はわたしの言葉に苦笑しながら、道具屋に向かって歩き出した。
「この町は盗賊の被害が多発してて大変だったみたいなんだけど、最近はすごく治安が良くなったんだって! 何でだと思う?」
兄は、先程の自警団とした世間話をわたしたちに聞かせた。
「1ヶ月くらい前に、この町に“暴食の吸血鬼”が現れたんだって! それで、盗賊団が恐れて町から逃げ出したらしいよ! “暴食の吸血鬼”って、本当にいたんだね!」
そう言って子供の様な無邪気な笑顔を見せた兄に、わたしは静かに言った。
「“暴食の吸血鬼”は、人々の恐怖が創り出した虚像だって言う話を、前に本で読んだ事がある」
「まぁ、見解は人それぞれだからね。シュリはどう思う?」
「わたしは……もし本当に実在するなら、血を吸いに来て欲しいと思う」
「え! どうして!?」
「吸血鬼に血を吸われれば、一瞬で眠れるかもしれない」
わたしの言葉に、兄は少し悲しそうな顔をした。しまったと思った。十分すぎるほどわたしたちを気遣ってくれる兄に、心配をかける様な事を言ってしまったと後悔した。
「後で枕を見に行きたい。吸血鬼に血を吸われるよりも、安眠できる枕があるかもしれない。遠い東の地では、植物の実の殻を集め、それを布に詰めて枕にしているらしい。それを試してみたい」
わたしはそう言って、眠る事に前向きな姿勢を見せた。
「ええ? ここにあるかなぁ……。てゆうかシュリ、どこでそんな話聞いたの?」
「本で読んだのよね」
兄の質問に、わたしが答える前にアリシャが口を挟んだ。
「本屋にも行きましょうか、シュリ。前の家に、だいぶ本を置いてきちゃったものね」
アリシャが明るく話題を逸らしてくれて、わたしは内心ホッとした。
ほとんど着の身着のままで逃げたわたしたちが、こうして生活できているのは兄のおかげだった。兄の負担は相当なものだっただろう。けれどそれを微塵も表に出さず、兄はいつも笑顔を絶やさなかった。わたしやアリシャが不安にならない様に、いつも気遣ってくれた。
本当は、わたしにとっては自分が眠れない事など些細な問題だった。それよりもわたしは、どうすれば兄の負担を和らげ、兄自身も安心して暮らせるのかをずっと考えていた。兄にとっての“安心”は、わたしとアリシャの“安全”だとわかっていたわたしは、常に兄のそばにいる事を心掛けた。でも、それだけじゃ足りない。この時はまだ幼かったわたしでは、兄を十分に助ける事が出来なかった。誰か、信頼できる大人の協力者が必要だ、そう考えていた。
そんな時だった。わたしが“暴食の吸血鬼”、ルーファスと出会ったのは。
月・水・金曜日に更新予定です。




