131 痛み
131
優里が宿屋でアンシュに感情をぶつけられていた頃、シュリは自室を出てアンシュの部屋へ向かっていた。
(アンシュ……わたしの事で怖がらせてしまったかもしれない……)
「アンシュ」
シュリが部屋の扉を開けると、そこにアンシュの姿はなかった。眠っているのかもしれないとベッドのそばに行ったが、乱れた様子もなかった。
(いないな……。アリシャの所か?)
シュリは踵を返し部屋を出ようとしたが、床にあった箱に足が当たり、視線を落とした。
(ん? これは……)
箱の中には、シュリが旅先から宛てた手紙が入っていた。
(わたしが書いたものだ。アンシュ、ちゃんとアリシャに読んでやっていたのだな)
懐かしく思い、シュリは手紙を広げ読み始めた。しかしそこには、自分の記憶にはない“ユーリ”という女性の事が書かれていて、シュリは読みながら目を見開いた。
「なん……だ……これは……」
“ユーリ”と出会い、共に旅をする事になり、その道中で様々な事があったと書かれていたその手紙の内容は、シュリを混乱させた。手紙の中の自分は、“ユーリ”に対して特別な感情を抱いている様に思えた。それなのに“ユーリ”が出てくる部分だけ、その記憶を真っ黒に塗り潰された様に何も覚えていなかった。
(これはわたしの字……確かにわたしが旅の途中で書いたものだ……。けれど、この“ユーリ”という人物を……わたしは知らない……。いや、本当は知っている? 知っているはずなのに……何故覚えていない!?)
その時シュリの頭に痛みが走り、持っていた手紙にポタポタと鼻血が垂れた。
「ぐぅっ……くそっ……!」
思い出そうとすると頭に激痛が走ったが、それでもシュリは何故か焦燥感に駆られ、必死で記憶を探った。
(ルーファスに“ユーリ”の話をされた時も、こんな気持ちになった……。思い出さなければ……わたしは……“ユーリ”の事を……思い……出したい……)
シュリは頭を抱え立ち上がると、ふらつきながら裏庭へ出た。
(“ユーリ”とは……湖のほとりで出会ったと書いてあった……。森の湖に行けば、何か思い出すかもしれない……)
シュリはフラフラと森に向かった。しかし、その姿を見ていたひとつの影があった。
「ピピィ!」
影の正体はクルルだった。クルルは、森に入ろうとするシュリの服を引っ張った。
「クルル、何だ……。邪魔をするな」
「ピッ! ピピッ!」
クルルはシュリを引き留めようとしたが、シュリは強い口調でクルルを制した。
「家に戻れ。ついて来るな」
「ピィ……」
シュリは左手をかざすと森の入り口に防御壁を張り、クルルがこれ以上近付けない様にした。
「わたしは……“ユーリ”を探しに行く」
シュリはそう言うと、痛む頭を押さえながら、夜の森へと消えた。
「シュリ!? どこだ!? シュリ!!」
「シュリさん!!」
優里たちは、手分けしてシュリを探していた。その時アンシュが、自分の部屋にあるシュリからの手紙に、血がついているのを発見した。
「ルーファス! これ見て!」
アンシュが血の付いた手紙を見せると、ルーファスは顔をしかめた。
「シュリは……自分が書いた手紙を読んで、ユーリの事を思い出しかけてるのかもしれない」
「だとしたらまずい。無理に思い出そうとすれば、脳が破壊されるかもしれない」
ルーファスの言葉に、ハヤセが懸念を示した。
「ピィ! ピピィ!!」
その時、裏庭でクルルの鳴き声が声が聞こえた。クルルは、森の入り口で何やら防御壁に体当たりをしながら、騒いでいた。
「クルル!? どうしたの!?」
優里がクルルに近付くと、クルルは優里の服を引っ張り、森に入りたそうにしていた。森を取り囲む様に張られた防御壁は、シュリが戦闘でよく張っていたものだった。
「これ……シュリさんの……。クルル、シュリさんは森に入ったの!?」
「ピッ!」
“そうだ”とでも言っているかの様に、クルルは返事をした。
「森にいるなら、あたしが探せるわ!」
リアがそう言って目を瞑り、何かを探知する様に集中したが、顔をしかめた。
「ダメだわ……。気配が感じられない」
「僕の千里眼でも視えない。恐らく元々森に張られている結界を、シュリが強化して探知出来ないのかもしれない」
ハヤセも首を振り、そう言った。
しかし、クルルは相変わらず優里を引っ張っていて、まるで優里に一緒に森に行って欲しいと言っている様だった。
「クルルは……シュリさんの居場所がわかるの?」
「ピィ!」
優里はクルルの頬を撫でると、森に目を向けた。
「私、クルルと一緒にシュリさんを追います! この防御壁、なんとかなりませんか!?」
「私に任せて」
アリシャは前に出ると、シュリの防御壁に触れた。すると結晶が砕ける様な音と共に、防御壁が破壊された。
「アリシャさん、凄い……!」
「シュリの防御壁が簡単に壊れたという事は、シュリはだいぶこの場から離れてる証拠よ。急いで追いかけないと!」
アリシャの言葉に優里は頷き、クルルに跨って森に入ろうとした。しかし、走り出そうとしたクルルに、アンシュがしがみついた。
「まって! ぼくも連れてって!」
「アンシュ……」
どうしようかと迷った優里の肩に、ルーファスが手を置いた。
「今のシュリにはユーリの記憶がない。アンシュが一緒なら、警戒されずにシュリに近付けるかもしれない」
「お願い、ユーリおねえちゃん……」
ルーファスの言葉と、アンシュの切なる瞳に優里はコクリと頷いた。
「行こう、アンシュ。一緒にシュリさんを……シュリさんの記憶を取り戻そう!」
優里は自分の前にアンシュを座らせ、森の中へと入って行った。
クルルは迷いなく森を駆け抜け、美しい湖が見えてきた所でスピードを落とした。
「クルル、どうしたの?」
「おねえちゃん、あれ!」
アンシュが声を上げ指を指した方を見ると、湖のほとりにシュリの姿があった。
「シュリさん……」
優里はクルルから降りると、ゆっくりとシュリに近付いた。
「おねえちゃんまって、ぼくが先に行く」
アンシュはそう言って優里を制すると、シュリに駆け寄った。
「父さま!!」
「……アンシュ?」
アンシュはシュリに抱きつき、シュリもそれを受け止めた。
「アンシュ……何故ここに? ひとりか?」
「ううん、ユーリおねえちゃんといっしょに来た」
「ユーリ……」
シュリは、アンシュが目線を送った方に顔を向けた。そして優里の顔を見ると、ズキリと痛んだ頭を押さえた。
「ぐっ……!」
「……シュリさんっ……!」
頭を押さえ膝をついたシュリに、優里は思わず駆け寄ろうとした。
「お前は……誰だ」
シュリの言葉に、優里の足が止まった。
シュリは、片手でアンシュを守るように強く抱きしめ、もう片方の手で胸を押さえ拳を握り込んだ。
「お前を思い出そうとすると……頭に激痛が走る……。名前を聞くと、何故か胸が締め付けられる……! 何故だ!? 何故こんなに苦しいんだ!?」
シュリは顔をしかめ、痛みに耐える様に優里を睨みつけた。普段感情を表に出さないシュリが、珍しく苛立っている様に声を荒げた。
「お前は誰だ!? 何故アンシュと一緒にいる!? 何故こんなにも胸が苦しい……!? 思い……出せない……!! わたしはお前など知らない! 誰なんだお前は!!」
「シュリ……さん……」
優里の瞳から、ポタポタと涙が零れた。
「ごめん……ごめんなさいシュリさん……酷い事してごめんなさい……」
優里は、ゆっくりとシュリに近付くと、シュリに抱きついているアンシュごと抱きしめた。
「な……にを……」
「勝手だってわかってる……でも、それでも……私の事、思い出して……思い出して欲しい……」
「……!?」
優里は過去を見せるスキルを発動させ、3人に紫色の光が降り注いだ。
「シュリさん……」
シュリとアンシュは抗えない睡魔に襲われ、優里の腕の中で意識を手放した。
「んん……」
アンシュが目を開けると、そこは見覚えのない森の中だった。
「ここは……」
キョロキョロと辺りを見回し、見た事のない場所にアンシュが不安になった時、後ろから聞き覚えのある声がした。
「アンシュ、大丈夫」
「ユーリおねえちゃん!」
振り向くと、そこにはユーリの姿があった。優里はアンシュの肩に手を置いて、安心させる様に目元を和らげた。
「ここは、シュリさんの夢の中だよ。私がついてるから安心して」
「父さまの……夢?」
アンシュがそう訊き返した時、金色の髪の毛を風になびかせながら、目の前を駆けていく青年の姿があった。
「シュリ! ここにいたのか」
青年は、大きな木の根元で本を読んでいた、アンシュと同い年位の子に話しかけた。読んでいた本から顔を上げたその子は、金色の髪に深い海の色の瞳をしていた。
「何か用? 兄さん」
その光景を見て息をのんだアンシュに、優里は落ち着いた口調で説明した。
「あれが……子供の頃のシュリさんとルドラさん……貴方のお父さんだよ」
「ルドラ……父さま……」
アンシュは、思わず優里の手を取りギュッと握った。優里も、その手を握り返した。
優里とアンシュは、手をつないだままシュリとルドラを見つめていた。
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