130 アンシュの思い
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「ついに……この時が来ましたわね……」
クロエは、ベッドに座る優里の前に立つと、鼻息を荒くした。
優里が本当に毒スキルを制御して生気を奪えるのか、早めに検証してみようという事になり、クロエが優里に生気を与える準備を始めた。クロエはおもむろに服を脱ぐと、座っている優里の足の間に膝を差し入れ、乱れた呼吸を隠すことなく優里に迫った。
「ちょ、ま、待ってクロエ!! 全部脱ぐ必要ないから! 首の所を、ちょっと緩めるだけでいいから!」
優里は掌をクロエに向け、迫るクロエを制止しようとした。
「ユーリ様……生気を吸った後は眠くなるのでしょう? 裸で抱き合って眠ると、とっても温かいのですよ……。さあ、ユーリ様も脱いで下さいまし」
クロエは優里の服に手をかけ、胸のあたりまでずり落とすと、優里の首筋に顔を埋めた。
「あっ、や、やだっ! クロエ! 逆、逆!! 私が生気を吸うの! クロエが吸い付いてどうすんの!!」
「じゃあ早くユーリ様もわたくしに吸い付いて下さいまし……。どこでも、お好きな場所に……」
クロエは優里をベッドに押し倒し、耳元でそう囁いた。
「ど、どこでもって……んぁっ」
耳に息を吹きかけられ、優里は思わず変な声を出した。
その時、部屋の床が緑色に光り、どこかで見た様な魔法陣が現れた。そしてその中央に緑色の光が天から差し込み、ハヤセとルーファス、そしてアンシュが姿を見せた。
「え……なにやってんの……?」
ベッドで抱き合う優里とクロエを見て、アンシュがぼそりと呟いた。ルーファスはすぐにアンシュの目を手で塞いだ。
「……チッ! いい所だったのに……」
クロエは舌打ちをし、あからさまに顔を歪めると体を起こした。
「え……ええっ!? ルーファスさんに優一郎君に……アンシュ!? な、なんで……!?」
優里も慌てて起き上がり、乱れた衣服を整えた。
「ユーリ……いくらシュリと別れて寂しいからって、こんなにすぐに体の関係を求めちゃダメだよ……」
ルーファスはアンシュの目を塞いだまま、緩く首を振った。
「え!? いや、ちっ違います!! 私は生気を貰おうとしただけで……!!」
「とにかく……優里ちゃんには色んな意味で反省してもらう必要があるね」
ハヤセが呆れた様にそう言うと、ルーファスは塞いでいたアンシュの瞳から手をどけた。
「アンシュ……」
優里が視線を向けると、アンシュは優里を睨みつけた。
「あ、あの、アンシュ……ごめんね、私……もうシュリさんには近付かないから……だから……だから安心して?」
優里がそう言うと、アンシュは大きく息を吸い口を開いた。
「このっ、ばか!!」
「え!?」
突然アンシュに怒鳴られ、優里はその場で固まった。
「父さまになんてことしたんだ!! おかげで父さまは……お前のことを思い出そうとして苦しんでるんだぞ!!」
優里は、アンシュの言葉に息をのんだ。
「こんなことで、すべてが丸くおさまると思ったの!? ぼくが喜ぶと思ったの!? ぼくはっ、ぼくは……こんなことをお前にさせた、自分を責めたっ……!」
「アンシュ……」
「母さまだって、自分のせいだって泣いてた! 父さまを苦しめて、母さまを泣かせて、ぼくを傷つけて、自分だけ逃げようとするな!」
アンシュはギュッと拳を握ると、強い光を宿した水色の瞳で優里を見た。
「お前は、ルドラ父さまの墓の前で“ずっと父さまのそばにいる”と言った。自分の言ったことに責任をもて」
ルドラの顔をしたその小さな子は、シュリの様に真っ直ぐ優里を射抜いた。
「アンシュ……」
アンシュの瞳から、今までこらえていた涙が零れた。アンシュはゆっくりと優里に近付くと、その胸に飛び込んだ。
「ユーリおねえちゃん……父さまの所にもどって……父さまを……たすけて……」
優里の胸がアンシュの涙で温かく濡れ、優里の瞳からも涙が零れた。
「ごめん……ごめんねアンシュ……ごめんね……」
優里はアンシュを抱きしめ、シュリと同じ金色の髪に顔を埋めた。アンシュに感情をぶつけられ、優里自身も気持ちを抑える事が出来なくなった。
「私は……本当はシュリさんのそばにいたかった……離れたくなかった……。でも、でももう遅いんだよアンシュ……。だってシュリさんは、私の事忘れちゃったんだから……」
ポロポロと涙を零す優里に、ハヤセが落ち着いた口調で言った。
「遅くないよ優里ちゃん。君なら、シュリの記憶を取り戻す事がきっと出来る」
「え……」
ハヤセは、確信があるような強い瞳を優里に向けた。
「シュリに、過去の夢を見せるんだ。夢は潜在意識が見せるものだから、記憶がなくとも過去の夢には優里ちゃんが必ずいる。レイラやリオの父親が記憶を取り戻したように、過去の夢に関われば、きっとシュリは君を思い出す」
「あ……」
「……ユーリ様、戻りましょう」
肩にクロエの手が置かれ、優里はクロエの方を見た。
「ユーリ様に生気を与えるのは、やはりシュリしかいません。わたくしは、後でシュリに恨まれたくありませんわ」
「クロエ……」
クロエは目元を和らげ、優里の背中を押す様に手を添えた。
「ユーリ、ボクがシュリにキミの所に行くと伝えた時、シュリは記憶がないはずなのに、ボクの腕を掴んでハッキリと言った。“お前にユーリは渡さない”と。シュリは意識のどこかでキミの事を覚えている。シュリが、キミの事をすっかり忘れるなんてあり得ない。絶対にだ」
「ルーファスさん……」
ルーファスの言葉に、優里の体が一歩前に出た。
「優里ちゃん、シュリは僕の恋敵だけど、僕はシュリの事が嫌いじゃない。シュリは、君の事となると臆病になって悩んで……いつでも君との事を真剣に考えている。そんなシュリが、簡単に君の事を忘れるはずがないんだ」
ハヤセは、まだ迷っている様な優里に手を差し伸べた。
「優一郎君……」
腕の中にいたアンシュは優里を見上げ、懇願するような瞳で優里を見ていた。
「ユーリおねえちゃん」
「ユーリ」
「優里ちゃん」
「ユーリ様」
皆に優しく名前を呼ばれ、優里はキュッと唇を引き結ぶと、顔を上げた。
「……連れてって……シュリさんの元に!」
優里の瞳からは迷いが消え、前だけを見据えていた。
その頃ニーノは、ウロウロとリビングを歩き回っていた。リアはハアとため息をつくと、落ち着きのないニーノを叱りつけた。
「ニーノ! 少し落ち着いたらどう? 歩き回っても現状は何も変わらないわよ!」
「そんな事言ったって、気になるモンはしょーがねェだろ! 俺が……俺がリヒトのスキルの事知ってたら、あの時シュリを助けられたかもしれねェのに!」
「ニーノ、どの道きっと間に合わなかった。俺が……使役される前に、ユーリさんの異変に気付くべきだった」
ニーノの言葉に、リヒトがそう言って下を向いた。
「ふたりとも自分を責めないで。きっとアンシュが……いいえ、必ずアンシュが、ユーリさんを連れ戻してくれるわ」
アリシャがそう言った時、庭にあったハヤセの魔法陣が緑色に光った。皆それを見て、急いで庭に出た。魔法陣の真ん中の緑色の光の柱から、皆が待っていた人物が姿を現した。
「ユーリ……!!」
ニーノが声を上げ、リヒトとアリシャ、リアも胸をなでおろした。優里は待っていてくれた皆の顔を見回すと、深々と頭を下げた。
「ごめんなさいっ!! 本当に……ごめんなさいっ……!!」
頭を下げたままの優里に、リヒトは息をついて歩み寄った。
「ユーリさん、俺は怒ってます」
「そう……だよね……すごい酷い事、リヒト君にさせちゃったよね……」
優里は顔を上げリヒトを見たが、気まずさにすぐ目を伏せた。リヒトはそんな優里の両手を握りしめると、顔を近付け真剣な表情をした。
「違います。俺は使役なんかされなくとも、貴方がシュリさんと別れる手助けなら喜んでしましたよ。今からでも遅くはありません。このまま俺と愛の逃避行を……」
「リヒト! 君は少し黙ってて!」
ハヤセは、リヒトの服を掴むとズルズルと引っ張り、優里から引き離した。
「シュリは?」
「部屋にいるはずだ。どうするんだ? ユーリに会わせるのか?」
ルーファスの問いに、ニーノが訊き返した。
「ユーリ、シュリはキミの事を思い出そうとしてる。シュリの脳に負担がかからないように、シュリに会ったらすぐに過去の夢を見せるスキルを発動するんだ。クロエ、ユーリのそばに……」
「ルーファスさん、大丈夫。私、魔力制御が出来る様になったから……」
優里はそう言うと、シュリのいる部屋へと向かった。部屋の扉の前で立ち止まり、優里は一度深呼吸をした。
(シュリさん……ほんの半日会ってないだけなのに……こんなにも緊張するなんて……)
優里の後ろにいたルーファスが、コンコンとドアをノックした。
「シュリ、開けるよ?」
ルーファスがそう声をかけたが、中から返事はなかった。ルーファスは優里と目を合わせ、頷くとそっとドアを開けた。
「シュリ、起きてるよね?」
ルーファスが部屋に足を踏み入れたが、そこにシュリの姿はなかった。
「……シュリ?」
部屋のどこにもシュリは見当たらず、優里も思わず声をかけた。
「シュリさん? どこですか? シュリさん!」
ルーファスは足早に他の部屋を見に行き、それに気付いたニーノが声をかけた。
「ルーファス、どうした!?」
「シュリが消えた! 部屋にいないんだ!」
(シュリさん……どうして……!? どこに行ったの!?)
ドクドクと早まる鼓動が不安を煽り、優里はその場から動けずにいた。
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