129 そばにいる
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空に星が輝き始めた頃、シュリは部屋で本を読んでいた。そこへ、ルーファスが顔を出した。
「シュリ、紅茶を淹れたんだ。体が温まるよ。一緒に飲まないかい?」
ルーファスはそう言って、温かい紅茶をテーブルに置き、席に着いた。シュリは読んでいた本をパタンと閉じると、ルーファスの前に座った。
温かい紅茶に口をつけ、ひとくち、ふたくちと飲むと、甘酸っぱい味がシュリの口内に広がった。
「果物の味がするな」
「うん、りんごのジャムを入れたんだよ。北の国に行った時にお土産で買ったんだ。アダムに、紅茶に入れたら美味しいって教わってね」
ルーファスの説明を聞きながら、シュリは北の国での事を思い出していた。
「こんな味の……酒を飲んだ様な気がするな……」
「ああ、あの時は大変だったね。シュリが昏睡状態に陥っちゃってさ」
ルーファスの言葉に、シュリは首を傾けた。
「ああ……そう……だったな。何故、そんな事になったのか……」
「シュリ、ボクは……ユーリの所に行こうと思う」
ルーファスは、シュリの台詞に被せる様に、言葉を発した。
「キミがそんな状態なら、ボクは彼女のそばに行って彼女を支えるよ。キミに何も言わずに行くのはずるい様な気がしたから、一応言っておこうと思ってね」
「……お前は、何を言っているんだ?」
シュリはルーファスを見つめ、眉間にしわを寄せたが、ルーファスは構わず続けた。
「まぁ、彼女がすぐにボクを受け入れてくれるとは思ってないけど……。それでも、ボクなら彼女に死なずに生気を与えられる。だからシュリは心配しないで、ずっとここに居たらいいよ」
「生気……? 何故、わたしにそんな話を……。お前が何を言っているのかわからない」
「ボクはユーリを手に入れる。ただ、それだけ言いたかったんだ」
ルーファスはそう言うと、紅茶を飲み干し部屋を出ようとした。そんなルーファスの手を、シュリが力強く掴んだ。
「駄目だ……! お前にユーリは渡さない!」
そう言ったシュリに、ルーファスは目を見開いたが、シュリはすぐにルーファスを離し、頭を両手で抱えると膝をついた。
「ぐっ……うう……!」
「父さま!」
その時、物音に気付いたのか、アンシュが部屋に駆け込んで来た。シュリのそばに寄ると、キッとルーファスを睨みつけた。
「ルーファス! 父さまになにしたんだ!?」
ルーファスはふたりを見下ろしたまま、静かに口を開いた。
「正直ボクは……こんなシュリを見てられない。アンシュ、キミは……本当にこれが正しい選択だと思ってるのかい?」
「うるさい……うるさい! うるさい!」
アンシュは、ルーファスの言葉を撥ね退ける様に声を荒げた。
「キミが、本当に傷ついていないのならいい。自分を責めずに過ごせるのなら、ボクはもう何も言わない。でももし、もし少しでも馬鹿な事をしたユーリに怒ってるなら、一緒に文句を言いに行こう」
ルーファスはそう言って、静かに部屋を出て行った。アンシュが黙ってその後ろ姿を見つめていると、シュリがゆっくりと顔を上げた。
「父さま、だいじょうぶ?」
「ああ……急に頭が痛くなった……」
「ぼく、お水持ってきてあげるよ!」
「優しいな、お前は。ユーリみたいだ」
「え……」
アンシュが思わず目を見開くと、シュリもハッとした様に口元を手で覆った。
「また、わたしは……何を言っているんだ……」
自分でも、なぜその名前が口から出てきたのかわからないまま、シュリはズキリと痛んだ頭に手を当てた。
「父さま、なにも考えないで! ぼくを見て! だいじょうぶ、ぼくがそばにいるから……」
自分を心配そうに見つめるアンシュに、シュリはフッと目元を和らげた。
「ありがとう、アンシュ。わたしはお前の、人を思いやる優しい所が好きだ」
アンシュは、そう言って微笑むシュリを見て、ズキリと胸が痛んだ。
「ぼく、は……ぼくには、人を思いやる気持ちなんて……ない」
「お前は優しい。わたしはちゃんと知ってるぞ。お前はまるで、まるで……」
そう言いかけたシュリの鼻から血が滴った。
「父さま!」
シュリは手で血を拭い、アンシュを不安にさせない様に頭を撫でた。
「心配するな。お前を愛していると思うと、何故かお前を思うのと同じように……誰かを思っていた事を……っつ……!」
シュリの鼻からボタボタと血が垂れ、シュリは頭を抱えた。
「父さま!」
「ぐ……、何故……わたしは……何か大事な事を……忘れ……思い、出さなければ……!」
「父さま……」
アンシュは、シュリをベッドに座らせ落ち着かせると、とぼとぼとアリシャの部屋へ向かった。
「母さま……」
「アンシュ?」
アリシャはアンシュの気配に気付き、ベッドに座ったまま両手を広げた。アンシュはおずおずとその腕の中に入り、ギュッとアリシャにしがみついた。
「父さまが……父さまが、ユーリの事を忘れて苦しんでるんだ……。ぼくは、父さまを苦しませたかったわけじゃない。ただぼくのそばに……ルドラ父さまみたいに、ぼくから離れて欲しくなかっただけなんだ……!」
「アンシュ……」
「でも、父さまがぼくのそばから離れていくことよりも、今の父さまを見てる方が辛いんだ! ぼくは……ぼくは、こんなこと望んでなかった!」
自分の胸の内をさらけ出したアンシュを、アリシャは優しく抱きしめ、口を開いた。
「アンシュ……、シュリがどうして、“伝説の薬師”を探す旅に出たか知ってる?」
「え……?」
アリシャは、アンシュの頭を撫でながら話し始めた。
「勿論、私の目を治す為……。シュリは、どうしても私の目を治したかった。私に、どうしても見せたかったものがあるから」
「どうしても見せたかったもの?」
アンシュが顔を上げ訊き返すと、アリシャはアンシュの両頬を優しく包んだ。
「貴方よ、アンシュ。貴方が生まれた時、まるでルドラの生き写しの様だってシュリが驚いてた。ルドラの魂が、まるで貴方に宿ってるみたいだって……」
アリシャはアンシュの額にキスを落とすと、愛おしそうに微笑んだ。
「貴方の心には、ルドラがいる。貴方はいつでもルドラに守られてる。ルドラは……いつだって貴方のそばにいる」
「ぼくの、そばに……」
「貴方だって、本当はちゃんと気付いているはずよ。シュリがどれだけ貴方を大切に思っているか……。離れていても、その気持ちは変わらない。気持ちは目に見えないからこそ、感じる事が出来る。貴方は、いつでも優しい愛に包まれているのよ」
アリシャの言葉に、アンシュの瞳からポロリと涙が零れ落ちた。アンシュはそれを片手で拭うと、何かを決意したかの様に、涙で濡れた水色の瞳でアリシャを見た。
「母さま、ぼく、ユーリを連れもどす」
アンシュの言葉に、アリシャが小さく息をのんだ。
「まってて母さま! 絶対にぼくが、ユーリを父さまの所に連れて来るから!」
「アンシュ!」
アンシュは立ち上がり、名を呼ぶアリシャの声を背中で聞きながらルーファスの元へ向かった。
「ルーファス!」
ルーファスはリビングで、他の皆とくつろいでいた。
「どうしたんだい、アンシュ?」
ルーファスが問いかけると、アンシュは息を大きく吸ってハッキリと言った。
「ユーリに文句を言いに行く!」
その場にいた皆が顔を見合わせる中、ルーファスだけがニヤリと口の端を上げた。
「そうかい」
「父さまをあんなに苦しめて、母さまを泣かせて……ぼくを傷つけたつぐないをしてもらう! ユーリを連れもどすのを……てつだって!」
皆を見渡し、拳を握りしめながらそう言ったアンシュに、ルーファスは笑顔で言った。
「よし、行こう、ユーリの元に!」
アンシュは唇を引き締め、大きく頷いた。
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