128 自責
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「アンシュ、今の話聞いて……」
ニーノが口を開くと、アンシュは無表情のまま答えた。
「全部聞こえた。安心して、父さまには聞こえてない。耳鳴りがひどくて、ぼくの声もわからない状態だったから」
そう言って、アンシュは皆の方に歩いて来ると、ハヤセに温度のない瞳を向けた。
「ぼくの記憶は消さなくていい。ぼくは傷つかない。自分を責めたりしない」
「アンシュ……! 何を言っているの!」
アリシャが、悲痛な声を上げた。
「母さま、これはあの人が望んだことなんでしょ? あの人が自分で決めた道だ。何もかももとどおり……これで、父さまはずっとぼくたちのそばにいてくれるんだよ! 母さまはうれしくないの?」
「アンシュ……」
アリシャは瞳に涙を浮かべ、それを見たアンシュは思わず母から目を逸らした。
「ここで言い合いをしたって、父さまの記憶はもどらない。むだなことだ」
アンシュの大人びた口調は、まるでシュリが喋っている様だと皆は思った。アンシュは踵を返すと、シュリが横になっている部屋へと戻って行った。その後ろ姿に声をかける者は、誰もいなかった。
アンシュが部屋に戻ると、シュリは起き上がりベッドに座っていた。
「父さま! 起き上がってだいじょうぶなの!?」
アンシュがシュリに駆け寄ると、シュリは額を押さえながら少し笑った。
「ああ、大丈夫だ。まだ少し聞こえにくいが……心配するな」
シュリはアンシュの頭を優しく撫でた。
「父さま……父さまは、ずっとここにいるんだよね……? ずっと、ぼくのそばにいてくれるんだよね?」
「……いきなりどうした? 当たり前だろう」
シュリの答えに、アンシュは安心した様に笑い、シュリに抱きついた。
「父さま! だいすき!」
「変なヤツだな。まるで……」
シュリはアンシュの頭を撫でながら、自分が、アンシュ以外の誰かの頭をこうして撫でていたような感覚に陥った。
(まるで……何だ? わたしは、こうして誰かを守るように、頭を撫でていなかったか?)
「父さま?」
自分を撫でてくれているシュリの手が止まったので、アンシュは顔を上げ、不思議そうに首を傾けた。
シュリは目を細め、再びアンシュを抱きしめて頭を撫でた。
(いや……。わたしが頭を撫でるなどという行為をする相手は、アンシュしかいない。きっと気のせいだろう……)
「ぼくは自分を責めたりしない……。父さまは、ぼくの父さまだ……!」
黙って頭を撫でてくれるシュリに抱きついたまま、アンシュは小さく呟いた。
アンシュがその場を後にしてから、リアがハヤセに詰め寄った。
「ユーリは何処に行ったの? まだ森にいるなら、あたしが探せるわ!」
「僕も優里ちゃんの事を追跡出来るけど……たとえ今優里ちゃんを連れ戻したとしても、アンシュがあの調子じゃ、僕たちにはどうする事も出来ない」
「もうすぐ日が落ちる。ユーリは生気が必要になるんじゃないのか?」
ニーノの言葉に、ハヤセは緩く首を振った。
「それが……薬棚から純度の高い解毒薬が何本かなくなってる。誰かから生気を奪う為に、優里ちゃんが持って行ったんだと思う。優里ちゃんは浄化を使えるけど、絶対に誰も殺さない様に、“念の為”に持って行ったんだろう」
「用意周到って訳かい」
ルーファスは、くしゃりと頭に手を置いた。
「この場にクロエがいない所を見ると、彼女はきっと優里ちゃんと一緒にいる。召喚の契約を結んでいるしね。クロエがそばにいるなら、きっと彼女が生気を与える」
「生気を与える相手がいるから、このままでいいっていうの!?」
ハヤセの台詞に、リアが少し声を荒げた。ハヤセはソファーに腰を下ろすと、疲れた様に背もたれに寄りかかり、深く息を吐いて天井を見上げた。
「正直……これからどうしたらいいのかなんて、僕にはわからない。でも、きっと優里ちゃんは生半可な覚悟でこの決断をした訳じゃない。何の解決策も無いのに、優里ちゃんをただ連れ戻す事なんてできないよ……」
ハヤセの言った事は最もだった。皆口を閉ざし、アリシャのすすり泣く声だけが静かなその部屋に響いた。
その頃優里とクロエは、森から少し離れた町の宿屋にいた。町と言っても、西の国で行った町の様な賑わいはなく、辺りは閑散としていて、小さな宿はすぐに泊まれるほど人がいなかった。
簡単な食事を宿の人に準備してもらい、食べ終えた優里たちは部屋でくつろいでいた。
「けっこう美味しかったね! 部屋もキレイだし、意外と穴場なんじゃない?」
優里は、シュリと別れてきたというのに、それを感じさせないほど明るく振る舞っていた。クロエにはそれが逆に痛々しく映ったが、優里が自分に気を使って前向きに見せている事をわかっていたので、あえて何も言わず、優里に合わせ、暗い顔を見せない様にしていた。
「さようでございますね! ベッドも柔らかいですし、清潔ですわ!」
「クロエ、よかったら先にシャワー浴びてきて? 1階にシャワー室があったけど、ひとりずつしか利用できないみたいだったから」
優里の言葉に、クロエは頬を赤らめ身をよじりながら自分自身を抱きしめた。
「今夜はわたくしがユーリ様に生気を与える身……。ユーリ様に何処を舐められてもいい様に、隅々まで綺麗にしてきますわ!」
「な、舐めたりしないよ! ちょっと吸うだけ!」
「まぁ……吸うだなんて……一体何処を!? わたくし興奮してしまいます!」
「もう! 早くシャワー浴びてきて!」
クロエの鼻息が荒くなったので、優里はクロエの背中を押して、シャワー室へと向かわせた。
部屋にひとりきりになった優里は、ふうと息をついてベッドに座り、窓の外を眺めた。人気のない町は静かで、夜風が木々を揺らす音だけが聞こえ、優里は改めて、今、ひとりなんだと実感した。
(リヒト君、使役なんかして怒ってるかなぁ……。優一郎君にも、後の事全部お願いしちゃったし……。落ち着いたら、後でちゃんと謝りたいな)
優里はぼんやりと、皆の事を思い出していた。
(ルーファスさんとニーノにも、挨拶も何も出来なかったし、私の事を陰ながら応援してくれてたリアを、裏切る様な形になっちゃった。アンシュは、きっと私がいなくなってホッとしてるよね。アリシャさんは……私を、シュリさんの恋人としてちゃんと認めてくれてたのに……)
脳裏にシュリの顔が思い浮かび、優里はフルフルと頭を振った。
(……シュリさんの事は、考えちゃダメだっ……!)
優里は下を向いて唇を噛み締め、思考を停止させようとしたが、膝の上にポタポタと雫が落ちた。
「あ……あれ……?」
一瞬、ほんの一瞬シュリの事を考えただけだったのに、優里の瞳からとめどなく涙が零れ、唇が震えた。
「だ……だいじょうぶ……落ち着いて……」
自分に言い聞かせる様にそう呟いたが、制御のできない気持ちが涙と共に溢れ出てきた。
(ダメだ、これ以上泣いたら目が腫れて、クロエに心配かけちゃう……!)
優里は震えながらも深呼吸をしようと胸に手を当てた。
「う……ふっ……ううっ……」
落ち着けようとする気持ちとは裏腹に、嗚咽が止まらず、優里は無意識に愛しい人の名を呼んだ。
「シュ……リさん……シュリさんっ……!」
そしてハッとした様に手で自分の口をふさぎ、声が出るのを抑えようとした。
「うっ……うう……」
ひとりきりの部屋で、優里は小さく声を上げて泣いた。誰にも聞かれない様に、声を押し殺した。けれどドアの向こうでは、クロエが優里の泣き声を聞いたまま立ち尽くしていた。
(ユーリ様……わたくしは、ユーリ様の為に何が出来るのでしょう……)
クロエは唇を引き結び、下を向いてギュッと目を瞑った。
月・水・金曜日に更新予定です。




