113 ルドラ
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「ルドラさん……どうして……」
過去の夢を見せ終わった後、死者が姿を現す事は何度もあったが、今自分がいるこの空間は、ニーノの夢でもなければ、シュリの夢でもない。ルドラが現れた事で、優里は、ここはもしかして自分自身が見ている夢なのではないかと思った。
『本当は……こうして会うつもりはなかったんだ。でも……どうしても君に言わなきゃと思って』
「何を……ですか?」
優里が怪訝そうにそう訊ねると、ルドラは真剣な表情をした。
『シュリのそばを離れないで』
「……っ!」
優里は言葉に詰まり目を伏せた。けれど、フルフルと頭を振り、顔を上げルドラを見つめた。
「シュリさんにとって、アリシャさんは大事な家族です。シュリさんは、貴方が亡くなったのは自分のせいだと思ってて、アリシャさんに対しても、きっと責任を感じてる。シュリさんは……私の事も大事だと言ってくれたけど、でもそのせいで苦しんでるようにも見えるんです」
ルドラは、そう言った優里を見据えると、ふうと息をついた。
『君は、シュリやニーノによく似てるね』
「え?」
『自分のせいだって決め付ける所が』
ルドラの言葉に、優里は押し黙った。
『シュリを苦しめてるのは君じゃない。僕の“約束”だ。浅はかだった……。シュリが、本当は誰よりも感受性が強い事を知っていたのに、あの時の僕の不安が、シュリを捕らえて苦しめている』
ルドラは悲痛な表情を浮かべたが、振り切るように優里を見た。
『だからこそ、君にシュリのそばにいて貰いたいんだよ、ユーリ。君が……君だけが、シュリを救える。僕の“約束”から、シュリを解放できるんだ』
優里は、ルドラの言葉に眉間にしわを寄せた。
「解放って……シュリさんは、貴方との約束を守りたいと思ってる。解放なんて事、きっとシュリさんは望んでない」
『じゃあ、君と離れるのを、シュリが望んでいるとでも?』
「そ、れは……」
優里が返事に困ると、ルドラはふっと目元を柔らかくした。
『君も気付いてると思うけど、シュリは本当は誰よりも優しい。けれど本人は、その本質を表に出そうとしない。むしろ、相手を気遣う事で自分の覚悟が揺らぐのを恐れている。そんな時に君と出会って、君の人柄に触れて、張り詰めていたシュリの心を、君が癒してくれた。シュリが、シュリらしくいられる場所が、君の隣なんだ』
「私の隣が……?」
ルドラはコクリと頷いて、子供の様な笑みを見せた。
『僕は、シュリが自然体でいられる女性と出会えた事が、凄く嬉しいんだ。それはきっと、弟の様にシュリを可愛がってきたアリシャだって同じだ』
「で、でも……アリシャさんは、目も見えなくなって、きっとシュリさんを凄く頼ってる。こうしている今だって、ひとりでシュリさんの事を待って……」
『アリシャはひとりじゃない』
「え? あ、もしかしてリアさん? ドライアドの……彼女が一緒にいるって意味ですか?」
『んー、まぁ確かに、リアは彼女の身の回りの世話をしてくれてはいるけど、なんていうか……アリシャは、もっと確かな絆を手にしていて、その絆が彼女を強くさせてる。だから……君が思うほど、アリシャは弱くない』
「それは……どういう意味ですか? 貴方やシュリさんとの、見えない絆があるからって事ですか?」
優里は、ルドラの言葉の意味がわからず訊き返したが、ルドラは「内緒」とでも言う様に、唇の前に人差し指を立てた。
『森に行けばわかるよ。シュリと一緒に、森に来て』
優里が不思議な空間でルドラと話をしていた頃、ハヤセとリヒト、“深淵の番人”のメンバーが転移魔法で港へと到着していた。
「何人か森に逃げたよ! あんたたちはそれを追って!」
「ハヤセさん! あの青い箱に怪我人がいます! ユーリもそこに!」
行商人と交戦していたアスタロトとミーシャは、到着したハヤセたちに指示した。
デクたちは逃げた者を追い森へ、ハヤセとリヒトは優里がいるというコンテナへ向かった。
「ハヤセ!」
コンテナに姿を現したハヤセを見て、シュリはすぐさま声をかけた。
「ユーリが息をしていない。だが、クロエによるとまだ魔力の流れはあるようだ。どうすればいい!? どうすればユーリは目を覚ます!?」
シュリの説明に、ハヤセはすぐに優里の脈拍や呼吸を調べ、眉間にしわを寄せた。
「これは……いわゆる仮死状態なのかもしれない。通常なら人工呼吸や心臓マッサージをするけど……優里ちゃんはサキュバスだ。まずは生気を補わないと……」
「わかった」
シュリはそう言うと、冷たくなった優里の唇に自身の唇を重ねた。自分の中の生気を存分に与えるかのように、深く長く、優里の唇を塞いだ。
「あ、あれ? なんか……」
ルドラと話していた優里は、自分の体が熱くなるような感覚に陥った。
『ユーリ、僕はそろそろいくよ』
ルドラはそう言って、優しい光に包まれふわりと宙に浮かんだ。
「ま、待って下さいルドラさん!」
優里が手を伸ばしたが、ルドラは子供の様に笑って手を振った。
『僕はいつも、シュリやアリシャたちの事を見守ってる。今度はちゃんと……シュリに会いに行くよ』
「ルドラさん……!」
ルドラを包んでいた光は眩いばかりに輝き、それと同時に優里の体もどんどん熱くなっていった。
(この感覚は……まるで生気を吸っている時と同じ……!?)
自分の中を流れる少しの魔力が、まるで生気を吸う為に残されていたかのように、唇に集中している様だった。
(誰かが……私に生気を与えてる……? この、透き通る様な生気は……)
温かく、柔らかい感触を唇に感じながら、優里は目を覚ました。
「ん……」
優里の甘い声が聞こえ、シュリはそっと唇を離した。
「ユーリ……」
「シュリ……さん……」
優里の目の前には、さっきまで話していたルドラとよく似た、シュリの顔があった。シュリは優里を抱えていた両手に力を入れると、泣きそうな顔をした。
「あたたかい……」
そう呟いて、シュリは優里を抱きしめた。
(シュリさん……)
優里は、自分を抱えてるシュリの手が微かに震えているのに気付き、胸が締め付けられるような感覚に陥った。
(凄く、心配してくれたんだ……)
シュリを安心させるように背中に腕を回した優里は、ふと視線を感じ周りに目を向けると、目の前でハヤセとリヒトとニーノが、少し顔を赤らめ呆然としていて、クロエは口をパクパクさせ、涙目になっていた。
(わ! みんなも居たんだ!?)
シュリに抱きしめられている事が急に恥ずかしくなり、優里も顔を赤くした。
「えっと、シュリさん、私はもう大丈夫です!」
「ん」
シュリは優しく微笑んで、優里の頭を撫でると、ハヤセに向き合った。
「ハヤセ、ニーノのケガを見て欲しい」
シュリの言葉に優里が横を見ると、ニーノの腹部の辺りが血で染まっていた。
「ニーノ! どうしたの!? 大丈夫!?」
優里が驚いて声をかけたが、ニーノは赤い顔を隠す様に顔を片手で覆った。
「いや、うん、今すげェ濃厚なモンを目の前で見せられて……そういう意味では大丈夫じゃない」
「あ……過去の夢の事……? ごめんね、私……」
「ユーリ様……わたくしは、自分の気持ちが追いつきません!! ユーリ様の危機に気付けず猛省する中、ユーリ様の命を救ったシュリに、感謝ではなく殺意を抱いております!!」
「え!? 何で!?」
わなわなと震えるクロエだったが、紫の光に包まれ、そのまま消えてしまった。
「シュリ……生気を与えるなら、他にもやり方があったでしょ……。僕も、正直クロエと同じ気持ちだよ」
ハヤセはそう言いながら、顔を赤くしたまま、ニーノのケガに効く薬を調合し始めた。
「口移しが早いと思った」
「口移し!?」
シュリの言葉を優里は思わず復唱し、自分の唇に触れていた、温かく柔らかい感触を思い出した。
(今、シュリさん口移しって言ったよね!? そしてみんなのこの反応……もしかして、唇に触れていたあの感触は……)
「いや、めちゃくちゃ舌入れてましたよね?」
「ししし舌!?」
「口を開かせる為だ」
リヒトの突っ込みに冷静に返したシュリを、優里は真っ赤になって口をパクパクさせながら見つめた。優里の視線に気付いたシュリは、小さく息をついた。
「ユーリ、言っておくが今のはただの医療行為だ。今、わたしが冷静でいられているのがその証拠だ。わたしはキスだけでは済まないと前に話しただろう? 本当のキスというのは、あんなものじゃない」
「ユーリさん、被害者面してますが、貴方の方から求めている様にも見えましたよ」
「リヒト、ユーリはより生気を搾取する為に必死だった。ユーリの方から舌を絡めてくるのは仕方のない事だ。わたしも少し驚いたが」
「いやーーーーーー!! もういいから何も言わないでーーーーーー!!」
好きな人との初めてのキスが、ロマンチックとはかけ離れた結果となり、優里は皆の記憶の抹消をリヒトに懇願するのだった。
月・水・金曜日に更新予定です。




