112 間違ってない
112
「ニーノ……わたしはあの時……大事なものを忘れたから、前の家に戻ると言ったお前の後をつけた」
「は……?」
ニーノは、シュリの言葉に目を見開いた。
「お前が嘘をついていたからだ。わたしは目を見れば、相手が嘘をついてるかどうかがわかる」
ニーノは、どうやらシュリのその能力を知らなかった様で、短く息を吸って押し黙った。
「案の定お前は、あの親子を助けに行った。わたしはそれを、一部始終見ていたんだ。だが、問題はそこじゃない。わたしは……お前が嘘をついているとわかっていたのに、お前を問いただすでもなく、ただ、黙ってあとをつけた。わたしが問いただし、もしお前が強い意志であの親子を助けに行くと言ったとしたら、わたしは止める事が出来ないだろうと恐れたんだ」
シュリは苦しそうな表情を浮かべ、唇を震わせた。
「わたしは……自分の覚悟が揺らぐ事を恐れた……。だから、お前を問いただす事が出来なかった……。そして、お前があの親子を助けたのを見届け、その場を去った後、父親を殺そうとした。けれど……出来なかったんだ。わたしたちの生活の事を考えれば、怪しいあの人間を殺すべきだと、頭ではわかっていた」
俯き、目を伏せたシュリは、何かを思い出しているかのようだった。
「だが、わたしには出来なかった……。目の前で父親を殺された子供が何を思うか、わたしは十分すぎる程理解していた。わたしは何も出来ないまま、お前とは別の道を通って家に戻った。私の足はお前より早い。だからお前が戻るよりも先に家に着いた。わたしの中途半端な覚悟が、兄さんを殺した。お前のせいじゃない」
いつも冷静沈着なシュリが、額を押さえ震えていた。その姿にニーノは何も言えなくなり、沈黙がその場を包んだ。
風に揺れる木々の葉音さえも、皆の耳に届かなくなり、辺りはしんと静まり返った。
「どうして……」
そんな沈黙を破ったのは、優里だった。
「どうしてふたりとも自分を責めるの……?」
シュリとニーノが優里の方に顔を向けると、優里は涙をこらえ、強い光を宿した瞳で、シュリたちを見据えていた。
「ふたりは間違ってない。あの親子を助けなかったら……ふたりは、きっと今よりもっと苦しんでた。誰かを犠牲にして幸せを手に入れるだなんて、それこそ間違ってる」
「だけど! そのせいでルドラが!」
ニーノが声を荒げたが、半ば被せる様に優里は大きな声を出した。
「ルドラさんは! ……ルドラさんは……そんな事を望む様な人だったの?」
優里の言葉に、ニーノは何か言い返そうとしたが、口を開いただけで何も言えなかった。
「あの父親を殺してまで、自分たちの幸せを望む様な人だったの? 誰かの幸せを脅かしてまで……自分たちを守ろうとする人だったの?」
優里は、ルドラの純粋で澄んだ水色の瞳と子供の様な笑顔を思い出し、ギュッと胸の前で拳を握った。
「ルドラさんの“覚悟”は、人を犠牲にする事じゃない。自分を犠牲にする事だった。……シュリさんやニーノが、自分やアリシャさんの為に父親を殺す事を選んでたら……きっと深く傷ついてた」
優里の瞳から、こらえていた涙がポロポロと溢れ出したが、優里はシュリとニーノから目を逸らさなかった。
「だから、ふたりは……間違ってないよ……」
「……ユーリ……」
(ふたりは間違ってない。でも、私は……)
シュリが、泣いている優里に触れようとした時、突然視界がぐらりと揺れた。
「ユーリ!」
優里に触れようとした手は空を切り、空間を捻じ曲げられた様に、優里との距離が開いた。
「な、なんだ……!?」
ニーノもその状況に動揺し、揺れる視界の中でも意識を保とうとした。しかしその努力も空しく、ニーノの意識は現実へと引き戻された。
目を覚ましたニーノは、背中に感じる激痛に、自分が夢から目覚めた事に気が付いた。
「ぐっ……」
ニーノは痛みに顔を歪めながらも、隣にいるシュリに目を向けた。シュリも目を覚まし、腕の中にいる優里を呆然と見つめていた。
「シュリ……」
ニーノが声をかけたが、シュリは青ざめていた。
「ユーリが……冷たいままだ……」
「え?」
その時コンテナの外では、ミーシャが行商人を必死で翻弄していた。かろうじて逃げ回ってはいたが、人手が増え、捕まるのも時間の問題だった。
「そっちに行ったぞ!」
「ちょこまかとうっとおしいガキめ!!」
(くそっ……いつの間にか人が増えてやがる……)
息を切らし、行商人の間をすり抜けていたが、しびれを切らしたひとりの男が、投げナイフをミーシャに向けた。
「めんどくせぇ! もう殺しちまおうぜ!」
男はそう叫んで、ミーシャ目掛けてナイフを投げた。ミーシャは体を捻りながら一回転し、すんでの所でそれをかわしたが、別の男が着地したミーシャへ剣を振り上げた。
「しまっ……」
ミーシャへと剣が振り下ろされようとしていたその時、どこからか黒い玉の様なものが飛んできて、剣を持つ男の手に命中した。
「ぐっ!」
その衝撃により剣は弾かれ、地面に転がった。
「これで貸しふたつだね、ミーシャ」
愉しそうな声と共に、アスタロトとベルナエルが空から地上へと降り立った。
「はぁ!? ふたつって何の事だよ!?」
ミーシャが汗を拭いながら体勢を整えると、アスタロトは自分の髪の毛をくるくると指で弄びながら答えた。
「さっきアルフレッドから助けてあげたのが1回。で、今助けてあげたので2回」
「アルフレッドのは作戦だろ!? 貸しじゃねぇ!」
「おい……何でお前らがアルフレッドの名前を知ってんだ……?」
行商人の男のひとりが、短剣を構えミーシャたちを睨んだ。
「ああ……、あんたたちのお仲間のアルフレッドは捕まったよ。近衛兵がコッチに向かってるみたいだから、あんたたちも早く逃げた方がいいんじゃない? ……もっとも、逃げられたらだケド……」
アスタロトはそう言って黒い玉を生成し、妖艶な笑みを行商人たちに向けた。
「おい、アスタロト、勢い余って殺すなよ?」
ミーシャの言葉と、禍々しいオーラを垂れ流すアスタロトを前に、その場にいた行商人たちは気を引き締め、武器を構えた。
「ミーシャ!! ユーリ様は何処ですの!?」
そこへクロエが降り立ち、ミーシャに食ってかかった。
「ユーリはあの青い箱の中だ! シュリも中にいる!」
ベルナエルはミーシャの言葉を聞くと、優里がいるという青い箱に向け、何やらスキルを発動した。
「今、あの箱を包んでいた結界を解除しました! すぐにユーリさんの元へ……」
クロエはベルナエルの言葉がまるで聞こえておらず、ミーシャが指を指した青いコンテナに向け走り出した。
「ユーリ様!!」
コンテナの扉を開け、シュリの腕の中で青白い顔をしている優里を見て、クロエは息をのんだ。
駆け寄るクロエに対し、シュリは吐き気に襲われたが、それをこらえクロエに言った。
「ユーリは今、過去の夢を見せるスキルを発動していた。だが、わたしたちが目覚めた後も体が冷たく……息をしていない。クロエ、ユーリの魔力を感じるか!?」
「魔力の流れは感じますわ! けれど……過去の夢を見せた後はいつも、わたくしとユーリ様を繋ぐ魔力の扉は強制的に閉められます。それが起こらないのが逆におかしいですわ!」
「扉を閉める程の魔力が残っていないという事か? それとも、何かの為に魔力を温存している……? 魔力の流れを感じるという事は、ユーリは生きている! しかしこのままでは……」
「ユーリ様……!」
シュリとクロエが悲痛な表情を浮かべる中、優里は再び何もない空間に佇んでいた。
(シュリさんとニーノは……きっと目が覚めたんだな……。私も、いつもならこんなに意識が残る事がないのに……)
過去の夢を見せ終わり、次に意識を取り戻した時はいつもベッドの上だったが、今回は違った。優里は目を伏せると、胸の前でギュッと拳を握った。
ルドラとの“約束”、ルドラの死、シュリの“覚悟”……それらを知った優里は、シュリが抱えていた思いに、胸が押しつぶされそうになった。
(私は……シュリさんの事何も知らなかった。シュリさんが自分を責めていた事も、私を大事だと言ってくれた反面、“アリシャさんと一生一緒にいる”っていうルドラさんとの約束も守りたいと思ってる事も、その約束が……ルドラさんの死を自分のせいだと思ってるシュリさんにとって、どれだけ大事な約束なのかも、私は知らなかった)
自分がシュリと出会ってから過ごした時間よりもずっと、シュリとルドラとアリシャは長く濃厚な時間を支え合いながら過ごし、深い絆で結ばれていると優里は思った。
(ルドラさんを失ったアリシャさんは、視力まで奪われて……きっとすごく心細い思いをしてる。シュリさんの事を心配して、ルーファスさんに後を追う様に言って……今は、森でひとりでシュリさんたちの帰りを待ってるの?)
『シュリはアリシャのモンだ』
優里はニーノの言葉を思い出し、何故か納得してしまっている自分がいる事に気が付いた。何もない空間を見上げ、自分はシュリの為に何が出来るのだろうと考えた。
「……このまま目覚めない方が、いいって事なのかな……」
優里がポツリとそう呟いた時、どこからか優しい声が聞こえた。
『違うよ』
声に驚いた優里が辺りを見回すと、目の前に温かい光に包まれたひとりの男が現れた。優里は、その人物を見て息をのんだ。
『初めまして……ユーリ』
「ル……ドラ……さん……!?」
そこには、シュリと同じ綺麗な金色の髪の毛をひとつに結び、優しく、澄んだ水色の瞳で優里を見つめるルドラの姿があった。
月・水・金曜日に更新予定です。




