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111 ニーノの過去 その7

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どのぐらいの時間が経ったのだろうか……俺にとっては、とてつもなく長い間放心していた様にも思えたが、実際はそうでもなかったのかもしれない。俺は、自分が炎と煙に巻かれていることに気が付いた。だが、俺の体は動かなかった。いや、動くのを拒否していた。


(このまま……ルドラと一緒に……)


俺の罪は、死ぬ事でしか拭えないと思った。俺が死んでも、ルドラが生き返る訳じゃない。それでも俺は、自分自身が巻き起こした事態を、この先背負って生きていく自信が無かった。


(アリシャ……ごめん……。必ず連れ戻すと……約束したのに……)


俺はゆっくりと目を瞑った。けれど、どこからかそんな俺を呼ぶ声が聞こえてきた。


「……ノ! ニーノ!! ニーノ!!」


体を揺さぶられ、俺は目を開けた。


「ニーノ!!」


「……リア……?」


目の前には、煤で汚れ、涙目になったリアがいた。オレの肩を掴み、必死で名前を呼んでいた。


「ニーノ!! 早くここから離れよう!!」


「リア……!? 何でここにいるんだ!? アリシャたちは!?」


「大丈夫……火の手の及ばない安全な場所まで誘導したよ。あたしはあなたを迎えに来たの。早く皆の所に戻ろう!」


そう言って、リアは俺の手を引っ張ったが、俺は首を振った。


「ダメだ……俺は行けない。俺は……ここでルドラと一緒に……」


リアは目の前にあるルドラの遺体に目をやって、涙をこらえる様に顔をしかめると、俺の肩を強く掴んだ。


「ニーノ!! しっかりして!! あなたまで戻らなかったら、それこそあなたを送り出したアリシャたちは後悔するわ!!」


「でも、俺は……」


「皆で力を合わせてルドラの家族を……アリシャたちを守らないと!! ルドラを無駄死にさせるつもりなの!?」


俺は言葉を詰まらせた。ルドラは、命を懸けてアリシャを……大事な人たちを守った。ずっと覚悟していたんだ。いざという時の為に。


『僕たちはきっと……誰かの協力がないと生きていけない。勿論、いざという時は、この命に代えてもアリシャとシュリを守る。だからその時は……』


俺は、ルドラの言葉を思い出していた。


リアは、俺が腰に下げていた短剣を鞘から抜き取ると、ルドラのたてがみをひと房切った。


「これを持ってアリシャの元に帰るのよ!! ルドラを……連れて戻ると……約束、したんでしょ……」


リアはたてがみを持った手を震わせ、涙声で俺にそう言った。


(そう、俺は……必ず連れて戻ると……約束したんだ……)


俺は、ギュッと拳を握ると、リアが手にしていた短剣を取り、立ち上がった。


「リア、俺は……やらなくちゃいけない事がある。ルドラのたてがみは、あんたからアリシャに渡してくれ」


「え? やらなくちゃいけない事って何?」


「リア、必ず、アリシャたちを故郷の森に連れてってくれ。頼む」


俺は心配そうに見つめるリアにそう言って、サテュロス本来の姿になり、走り出した。


「ニーノ!? どこに行くの!? ニーノ!!」


怪我をしていた足の痛みは、その時は不思議と感じなかった。それよりも、俺には大事な使命がある。その為に、俺は俺なりの“覚悟”を決めた。そして必ずルドラを()()()()()と、強く心に誓った。




そっと目を開けたニーノは、自分がアリシャたちに会う前に住んでいた、森の中の小さな小屋の前にいる事に気が付いた。近くには、目の冴える様な黄色い花を咲かせたミモザの木があった。


(ここは……俺が、前住んでた小屋だ……。何だ? 今のは……夢……?)


ニーノはぼんやりする頭で辺りを見回した。心地よい風が葉を揺らし、青々とした草が茂っていて、まるであの時、火事など無かったように森の木々は生き生きとしていた。


「そうか、あれは……悪い夢だったんだ……。そっか、よかっ……」


「ニーノ」


ニーノがホッとした様に胸に手を当てた時、後ろから懐かしい声がした。振り向くとそこには、何処かで見た様な悲痛な表情を浮かべるシュリと、その隣には、やはり何処かで見た様な女性の姿があった。


「シュリ……それに……」


(ああ……俺は……こいつを知ってる)


「……ユーリ」


その瞬間、ニーノは、自分が優里に何をして、どうなったかを思い出した。しかし自分の腹を見ても刺された跡はなく、不思議と痛みも感じなかった。


「はは……なんだよ、ここ……。今まで俺が見ていたのは何だ? あんたの仕業かよ、ユーリ」


ニーノは自嘲気味に乾いた笑いを浮かべ、優里を見た。優里は口元を手で覆い、ポロポロと大粒の涙を零していた。


(そんな……まさかそんな……ルドラさんが……シュリさんのお兄さんが、既に亡くなっていたなんて……!)


シュリの事を伺い見ると、その瞳にはどこか諦めの様な、悟っている様な落ち着きがあった。ニーノの過去を視る前から、シュリはルドラの死を知っていたのだろうと優里は思った。そして、自分には黙っていた。優里は、ルドラの死と同時に、その事を知らされなかった事にも心を痛めた。


『シュリのお兄さんは、懐が大きくて、強くて優しい、真っ直ぐな人だったよ』


優里は、前にルーファスがルドラの話をした時の事を思い出した。


(思い返せば……あの時、ルーファスさんは“真っ直ぐな人()()()って、過去形で言ってた。どうしておかしいと思わなかったんだろう。あの時、シュリさんは不自然に会話を終わらせた。それだっておかしかった)


シュリが、ルドラの死を優里には隠しておくつもりだった事は明白だった。きっとそれは、シュリの思いやりだったのかもしれないが、優里にはそれが悲しかった。


(シュリさんは、私の事を思って言わなかったんだ……。でも、たとえおかしいと感じてたとしても、あの時の私には、真実を訊く勇気なんてきっと無かった)


だから、言わなかったシュリに対して、ショックを受けるのは違う気がした。


優里はキュッと唇を引き締め、ニーノに向き合った。


「ニーノ、ごめん……。今のは、あなたの過去を覗き視る、私のスキルが見せた夢だよ。私は……シュリさんの事が知りたかった。あなたが、シュリさんはアリシャさんのものだって言う理由が知りたかった。私の知りたいっていう欲が、このスキルを発動させた。勝手にこんな事して……ごめんね……」


「過去の……夢? 神の加護を受けた特別な魔族ってのは、人の過去まで勝手に覗き視るのかよ。随分節操がねェんだな」


ニーノはそう吐き捨て、優里に冷たい目を向けた。優里は、過去の夢の中のニーノに比べて、今の彼はどこか心が荒んでしまった様に感じた。


「ニーノ」


シュリは、ニーノがこれ以上暴言を吐くのを阻止するように、少し強い口調でニーノの名を呼んだ。ニーノはチッと舌打ちをして、顔を歪めながらシュリを見た。


「これで……わかっただろ、シュリ。ルドラが死んだのは俺のせいだ。俺があの親子を助けなければ……ルドラが死ぬ事も、アリシャが光を失う事も無かった。俺のせいなんだよ!! 何もかも!!」


ニーノは、悲しみや怒り、後悔の入り混じった感情を言葉に乗せ、叫んだ。


「ニーノ……兄さんの死はお前のせいじゃない。それにユーリも故意でスキルを発動させた訳じゃない。ユーリに当たるな」


ニーノはぎりっと唇を噛んだ。


「俺はな、シュリ。甘っちょろかった自分にとことん嫌気がさしたんだ。 安っぽい善人の皮を被って、人助けしたと上機嫌になって、本当に助けたかった人を……守りたかった人たちを守れなかった……。ルドラの死を目の当たりにして……俺は、アリシャとの約束を守る為なら、何でもすると心に誓った。殺しでも、盗みでも、どんな汚い事もやると()()を決めたんだ!!」


空色の瞳には、狂気にも似た光が宿っていて、優里の背中はぞくりと泡立った。


「……血相を変えて探しに来るほど、その女が大事なのかよ? 森でアリシャを守る事よりも、その女と一緒になる事を選んだのかよ!? シュリ!? あんただってルドラとの約束を守る為に、覚悟を決めてたんじゃねェのかよ!?」


「……」


ニーノの言葉に、シュリはキュッと唇を結んだ。そして一度目を伏せ、再びニーノの方に顔を向けると、しっかりとした口調で言った。


「わたしはユーリが大事だ」


「……っ」


優里とニーノは、同時に息をのんだ。優里は、シュリの言葉に何故か胸が痛んだ。


「なん……だよっ、それ……。ルドラは……何の為に……! そんな色ボケしたお前に……お前なんかに、アリシャはまかせられねェ!!」


ニーノの叫びに、シュリは再び目を伏せた。そして短く息を吸うと、口を開いた。


「兄さんの死は……お前のせいじゃない。“覚悟”が足りなかった、わたしのせいだ」


シュリはそう言うと、手が白くなるほど拳を握りしめた。ニーノは、それを見て黙ってシュリの次の言葉を待った。



月・水・金曜日に更新予定です。

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