109 ニーノの過去 その5
109
次の日、俺は杖をつきながらシュリと一緒に町に行った。シュリは自分たちの角で作った解毒薬を売る為、俺は、医者に怪我した足を診せる為だ。
「ニーノ、これを1本持っておけ」
俺は、シュリから小瓶に入った解毒薬を渡された。
「もし金が足りなかったら、それを医者に渡せ。治療代の代わりになる」
「これ……今日売る予定のヤツだろ? いいのか?」
「構わない。そこまで高額な代物じゃない」
「悪いな。給料で足りなかったら使わせて貰う」
そう言って、俺は医者に、シュリは商店に向かった。
ルドラの言った通り、俺の足は骨に異常はなく、ただの捻挫だった。金も、手持ちのもので足りた為、シュリがくれた解毒薬は、そのまま懐に入れておいた。
その後、それぞれの用事を済ませた俺たちは、町で買い物をしてから森へと戻った。
家までの帰り道、森の中のどこからか、子供の泣き声が聞こえてきた。
「シュリ、なんか聞こえねェか?」
「……泣き声が聞こえるな。恐らく子供だろう」
俺は、シュリと一緒にその泣き声のする方へと歩を進めた。すると、木の根元に幼い兄妹と、父親らしき男がいるのが目に入った。
「お父さん! お父さん!」
兄は、うずくまり顔をしかめ、足首を押さえている父親に必死に呼びかけていて、妹は訳も分からず泣いている様だった。
「何だ? 怪我したのか?」
俺が様子を見に行こうとしたが、シュリが俺の手を掴んでそれを止めた。
「待て。この森で下手に人間に関わるな」
「関わるなって……あのオッサン、怪我してるみてェだし、子供たちがかわいそうだろ?」
「この森の、こんな奥まで来ている事が怪しい」
「そうは言っても……ほっとけねェだろ」
シュリは、木の根元にいる親子に、冷たい目を向けた。
「あの親子がどうなろうと、わたしには関係ない。下手に人間と関わり、わたしたちの生活が脅かされる様な事にはしたくない」
「シュリ……」
「父親は恐らく、毒蛇に咬まれた。足首のふたつの傷跡と、父親の顔色、早い呼吸を見れば明らかだ。このあたりの蛇の毒は強力だ。あの父親は死ぬかもしれない。あの子供たちも、父親が心配なら無駄に泣いていないで、早く助けを呼びに行くべきだ」
俺は冷たい声でそう言い放ったシュリに、心が冷えていくのを感じた。
「行こう。人間がこんな奥まで来られるという事は、結界が少し薄れてきているのかもしれない。帰って結界を張り直さなければ」
そう言ってシュリは、その場から離れようとした。
「待てよ! ホントにほっておくつもりか? あんな幼い子たち……動物に襲われたらどーすんだ!?」
「そんな危険な森に、子供たちを連れてきた父親の責任だ」
「だからって……」
俺がその場から動けないでいると、シュリはハァとため息をついた。
「ニーノ、わたしは、赤の他人の人間の親子よりも、兄さんとアリシャの方が大事だ」
俺は息をのんで、歩き始めたシュリの後ろ姿を見つめた。
わかってる。シュリはきっと、大切なものを守る為なら、自分の命を懸ける覚悟も、誰かの命を見捨てる覚悟もある。俺ごときがとやかく言うのも間違ってる気がした。
でも、それでも俺は……。
家に辿り着く手前で、俺は思い出したようにシュリに言った。
「シュリ、俺……前の家に大事なモンを置いてきちまったのを思い出した。瓦礫の下に埋まってるかもしれないから、ちょっと探して来る」
「……今からか? 捻挫は大丈夫なのか?」
「あ、ああ。リアにも手伝って貰うから大丈夫だ。先に家に戻っててくれ」
俺はそう言って、元来た道を引き返そうとした。けれど、そんな俺をシュリが呼び止めた。
「ニーノ」
俺が振り向くと、シュリは何か言いたそうに口を開いたが、唇を引き結び目を逸らした。
「何でもない」
「……? ああ、じゃあ」
シュリが目を逸らすなんて、珍しい事だった。だけど俺はその事には触れず、足早に歩き出した。
前の家ではなく、親子がいた場所に向かって。
例の親子は、まだ木の根元にいた。
「おい、大丈夫か!?」
俺が声をかけると、父親は脂汗を掻きながら俺を見た。
「ど……毒蛇に咬まれた……。持って来た解毒薬を呑んだが、効果がない……。た、頼む、とにかく子供たちを安全な場所へ……」
俺は傷口を確認し、患部に唇を当て毒を吸い取った。
「よし、これを呑め」
そして、懐に入れておいた解毒薬を渡した。それを呑んだ父親の顔色はすぐに良くなり、呼吸も落ち着いた。
「す……凄い効き目だ! この薬は何だ!?」
「たいしたモンじゃない。それより早くここから離れろ。帰り道はわかるだろ?」
俺は父親を立たせると、森の出口の方まで誘導した。
「この森は……あんたが咬まれた毒蛇や魔獣がいて危険だ。もう近付かない方がいい」
毒蛇はともかく、この森で魔獣を見た事はなかったが、こう言っておけば、もうこの森に人間が近付く事はないだろうと思った。
「お兄ちゃん……ありがとう」
泣いていた幼い妹は、俺を見上げ笑顔を見せた。俺は、俺のした事は間違ってなかったと、この時はそう思った。けれど、この時の俺の偽善的な行動が、この後の惨事を引き起こし、最愛の人を悲しませ、苦しませる事になろうとは……。俺は、本当の所、シュリやルドラの“覚悟”を、何もわかっちゃいなかったんだ。
俺が家に戻ると、シュリは新たに結界を張りに行く準備をしながら、俺に問いかけた。
「大事なものは見つかったのか?」
「……ああ、見つけた」
それは、あの幼い妹の笑顔……俺は、そんなうまい事を心の中で呟き、上機嫌だった。この時の俺はいい事をしたと浮かれていて、自分をつけてくるヤツがいた事に、全く気が付かなかった。
それから何日か経ち、俺は新しく捻挫の薬を貰う為、再び町に行く事になった。シュリを誘ったが、ルーファスが町の出版社に行く用事があるらしいから、ふたりで行って来いと断られた。
「ニーノ、おまたせ~!」
「おっせーぞルーファス……って何だその格好!? だっさ!!」
意気揚々と現れたルーファスを見て、俺は驚愕した。モコモコとした頭でっかちなカツラを被り、星型の色眼鏡をかけて、首にはぐるぐると派手な布を巻きつけていた。
「いやぁ~、出版社に行く時は、“暴食の吸血鬼”って事がバレない様にしなくちゃいけないから、こうやって変装するんだよ」
「いや、変装って! 普通は目立たない様にするのが目的じゃないのか?」
「この格好をしてると、誰も目を合わせようとしないよ?」
「いや、そうだろうよ……。俺も一緒に歩きたくねェ」
俺は顔をしかめ、杖をつきながらサッサとひとりで歩き出した。
(シュリのヤツ、ルーファスがこの格好するってわかってたから断ったんだな、絶対!!)
「待ってよニーノ! じゃあルドラ! 行って来るからね~」
俺はハッとした様に振り向き、見送りをしに来たルドラに言った。
「帰りに、何か新鮮な果物を買って来る。果物なら、アリシャも食えるかもしれないからな」
「ああ、頼むよ。行ってらっしゃい」
実はこの日、アリシャの体調が優れなくて、俺たちは心配していた。
俺とルーファスはアリシャの体調を気にかけながら、ふたりで町に向かった。けれど、町で用事を済ませている間、恐ろしい計画は着々と実行されていた。俺が異変に気付いたのは、森への帰り道で、風に乗って何かが燃えている様な臭いがした時だった。
「なんか、臭くねェか?」
「何か燃えてるみたいな臭いがするね」
すると、森の入り口に、普段はあるはずもない馬車が何台か停まっていた。
「何だ? 何で森に馬車が……」
嫌な予感がした。胸がざわつき、俺は杖をつきながらも走り出した。
「そんな……! 何で……何で森が!?」
森の奥は真っ赤に染まっていて、木々を焼く臭いと煙が入り口の方まで漂ってきていた。
「大変だ! 火が広がったら、シュリたちが逃げられなくなる!」
ルーファスの言葉に、俺は杖とアリシャの為に買った果物が入った袋を捨て、森の奥へ向かった。だけど、すぐにルーファスに取り押さえられた。
「ニーノ! 待って! キミはここにいるんだ! キミは足を怪我してる。ボクがシュリたちの様子を見てくるから……もしかしたら、既に避難してるかもしれないし」
「ダメだ! 俺も行く!」
「ニーノ、厳しい事を言うと……怪我人のキミは足手まといだ。ここにいるんだ」
普段ヘラヘラしているルーファスが、真剣な顔で俺にそう言った。俺は俯き、額に手を当てた。
「くそっ……!」
「……大丈夫、必ずシュリたちを連れて来る」
ルーファスは力強くそう言って、森の奥へと消えた。
月・水・金曜日に更新予定です。




