108 ニーノの過去 その4
108
とんでもない秘密を暴露された俺だったが、結局行く当てもなく、3人のユニコーンとひとりの吸血鬼と馬鹿でかい白い鳥と共に、共同生活をする事になった。
昼間は、増築中だというルーファスの書斎造りを手伝い、夕方からは町の酒場で吟遊詩人として音楽を奏でた。森の奥にあるこの家は、アリシャたちが張る結界に守られていたが、俺の魔力も組み込んで、自由に家に帰れる様にしてもらった。どうやら、人間や、魔力が組み込まれていない者が森に入っても、結界の作用によりこの家まで辿り着けない仕組みになっているらしい。アリシャたちの種族を考えれば、当前の事だった。
そして気付けば、アリシャたちと暮らし始めてひと月が経とうとしていた。
「ニーノ! 今日こそボクの部屋で一緒に寝よう! さぁ行こう、ふたりの愛の巣へ!」
「お・こ・と・わ・り・だ! シュリ、今日もあんたの部屋で一緒に寝かせてくれ」
「別に構わんが」
「どうしてだい? ニーノ……。誓って何もしないよ。一緒に寝るだけだよ、ホントホント」
「そういう風に言うヤツが一番信用ならねェんだ! 俺は、女を知る前に男を知るなんてごめんだ!」
「ニーノ、怖いのかい? 大丈夫……ボクが何でも教えてあげるよ。キミは横になっているだけでいい。すぐに、自ら欲しがる体にしてあげるよ……」
「黙れ、性欲の吸血鬼! シュリ、寝るぞ! こんなヤツにかまってらんねェ」
俺は、色っぽい目つきで俺を見てくるルーファスに悪態を付き、シュリを連れて部屋に入った。
「てゆうかあいつ……百戦錬磨って顔してるけど、アリシャが吐き気を催さないって事は、あいつも童貞なんじゃねェのか?」
「ルーファスは女に興味がないからな。あいつの相手はいつも男だ」
「……そーいう事かよ」
俺は、アリシャたちと暮らす様になって、ユニコーンの変わった体質を知った。男の場合は処女、女の場合は童貞以外のヤツが近付くと、吐き気を催すというものだ。勿論、同じユニコーン同士ならこれは当てはまらない。じゃないと、父親や母親にも近付けないなんて事になるからだ。
「なぁシュリ、素朴な疑問なんだが……今まで、他種族と結婚したユニコーンはいなかったのか?」
他種族と交わった場合、その後の夫婦関係や子供への影響などどうなるんだろうと、俺は疑問に思った。
「わたしが知る限りでは、今まで他種族と交わった者はいなかった」
「ふーん……。じゃ、もしあんたがユニコーン以外の女を好きになったらどうするんだ?」
「……お前、アリシャと自分の今後を心配してるのか?」
俺は思わず赤くなった。正直その時はそんな事を考えちゃいなかったのだが、言われてみれば、俺とアリシャの行く末こそ、その疑問の答えなんだ。
「ばっ……! ちげェよ! そ、そりゃあもしアリシャが俺を好きになってくれたら、俺はその気持ちに応えるべく……」
(応えるべく、俺は、一生愛する人に触れられず、一生童貞という事か?)
なんだか悲しくなってきた。俺の恋は、成就してもしなくても、悲しい結末になるのではないか。そう思った。でも、それでも俺は……。
「俺は、一生彼女のそばにいて、一生彼女を守る」
俺がそう言うと、シュリはフッと息をついた。
「お前がそういう奴だから、兄さんもお前をそばに置いてる。お前は、絶対にアリシャを傷付けない」
「あ、当たり前だろ。好きな女を傷付けるヤツがいるか」
「……私利私欲の為に、わたしたちを売る魔族もいる。人の欲は、時に愛や友情より優先される」
シュリはそう言って、窓辺に座り手にしていた本を開いた。
「まだ、寝ないのか?」
「ああ。ベッドは使ってくれ。わたしはもう少し起きている」
シュリは重度の不眠症だと、前にルーファスが話してくれた。原因は、子供の頃の酷い経験だろう、と。シュリやアリシャたちが、今までどうやって暮らし、どうして3人になったのか俺は詳しく知らない。でも、ユニコーンの角はとても希少で、常に狙われているという事は知っていた。
俺はアリシャを守りたい。アリシャが安心して暮らせる場所を確保したい。アリシャにはルドラがいる。それでも、俺は俺でアリシャを守る。俺がここで暮らすのに、十分すぎる理由だった。
「おはようニーノ! 今日もよろしく頼むよ」
朝、軽く食事を済ませた俺が庭に出ると、ルドラが既に丸太を担いで、書斎の建築に取り掛かっていた。
「あれ……シュリは?」
「シュリは、今日はアリシャと一緒に薬作りをしてるよ。明日、町に売りに行って貰う予定なんだ」
「へー……」
(という事は、今日はルドラとふたりで作業すんのか……。なんか、気まずいなァ……)
ルドラは、正直俺の事をどう思っているのだろうか? 俺だったら、自分の婚約者に近付くヤツがいたらぜってェ排除する。でもルドラは逆に俺を受け入れた。心配じゃないのか? 俺に取られると思わないのか? それとも、俺なんて相手にならないとでも思ってんのか……?
ルドラは、本当によくできた男だった。アリシャとまだ小さかったシュリを連れて色んな森を転々とし、ふたりを守ってきた。今皆で住んでいるこの家も、ルドラが建てたものだと聞いた。俺が建てたあの廃墟同然の小屋とは比べ物にならないくらい、立派な造りだ。細かい作業も得意で、裁縫はアリシャよりも上手かった。料理は主にシュリが作っていたが、そもそもシュリに料理を教えたのはルドラだった様で、ヤツは何でも器用にこなす男だった。
正直、俺なんかより全然出来る男だ。アリシャが好きになるのも頷ける。優しくて、頼りになって、見た目も申し分ない大人の男……。俺の事など、本当に眼中にないのかもしれない。
俺は、そんな事を悶々と考えながら作業していた。その為、足元に転がる工具箱に気が付かなかった。俺はその工具箱に躓き、丸太を抱えたまま派手に転んだ。
「いってェ!!」
物凄い音がしたから、ルドラが慌てて飛んで来た。
「ニーノ! 大丈夫!?」
「だ、大丈夫だ……っ痛!」
俺は立ち上がろうとしたが、足に痛みが走った。どうやら転んだ時に捻ってしまったらしい。
「動かさない方がいい。家に薬箱がある」
俺は、そう言ったルドラがてっきり薬箱を取って来てくれるのかと思った。だが何を思ったか、ルドラは俺を横抱きにすると、そのまま家に戻ろうとした。
「ばっ……! 大丈夫だ! 歩ける! 下ろせ!」
「安心して、僕はこう見えて、結構力持ちなんだよ」
「そーゆう意味じゃねェ!! いいから下ろせ!!」
俺はルドラの腕の中で暴れたが、ルドラはがっちりと俺を抱えて離さなかった。
(こ、こんな所をアリシャに見られたら……情けなさ過ぎる!! もしかして、これがルドラの狙いなのか!?)
「な……何してるのふたりとも……。これは……何かのご褒美なの!?」
「うっ……! リア……!」
そこへ、あろうことかリアが現れ、俺とルドラの周りをぐるぐると回り始めた。
「一見華奢な金髪美男子が、嫌がるけも耳男を強引に抱きかかえ部屋へと連れ込む……ありよりのありだわ!!」
「やめろ! 妙な目で俺を見るな!!」
その時、家の扉が開いて、騒ぎを聞きつけたアリシャとシュリ、ルーファスが顔を出した。
「騒がしいな」
「ルドラ! キミ……ボクを差し置いてニーノに何してるの!?」
「ニーノ……一体どうしたの!?」
「ア、アリシャ!! 違うんだ、これは!!」
「アリシャ、ニーノがケガをしたんだ。シュリは薬箱を準備して」
「まぁ大変!」
「すぐ治療の準備をする」
「ケガだって!? ボクの書斎を造る為に……。責任を取って、動けないニーノの下の世話はボクが引き受けるよ!」
「くそっ! 何でこうなるんだ……!」
恥ずかしいやら情けないやらで、俺はアリシャの顔をまともに見れなかった。
「骨に異常はないとは思うけど……念の為、明日町の医者に診て貰ったほうがいいね」
アリシャとシュリ、ルーファスが見守る中、ルドラは俺のケガの状態を確認すると、薬を塗って手際よく包帯を巻いた。
「……手慣れてるんだな」
綺麗な手がくるくると器用に包帯を巻いて行く様を見て、俺は思わずそう呟いた。
「僕たちは、なるべく自分で手当て出来る様に育てられた。簡単に種族を明かせないから、ケガや病気はできる限り自分たちで治療するんだ」
ユニコーンという種族は、本当に生きづらいんだなと俺は思った。
「さて、この足じゃ作業は無理だから、今日は安静にしておく事! いいね?」
ルドラはそう言って、部屋を出て行こうとした。
「ル……ルドラ!」
俺は、この時初めてルドラの名前を呼んだ。アリシャたちは少し驚いた様な顔をしていて、ルドラは立ち止まり、俺の次の言葉を待っていた。
「……考え事をしてて……足元に工具箱がある事に気が付かなかった……。迷惑かけて悪い……」
俺が伏し目がちにそう言うと、ルドラは扉の方に向けかけていた体を戻し、俺に向き合った。
「君の考え事は……どうして恋敵の君を、ここに住まわせるのか……っていう事かな?」
ルドラの言葉に、俺は小さく息をのんだ。この男は、俺の頭の中までわかってるのか。
「ニーノ、アリシャは、僕のとてもとても大事な人だ」
その台詞に俺が顔を上げると、ルドラは優しい目で俺を見つめていた。
「シュリも、僕のとてもとても大事な弟だ。僕は、僕の家族を、家族になる人を……守っていきたいと思ってる。でも、僕の力はとてもちっぽけだ。キミやルーファスの存在が、僕の助けになってる」
「そんな事……ねェだろ? あんたはひとりでも、十分アリシャたちを守れる」
ルドラは見た目こそ華奢で繊細な美青年だったが、力は驚くほど強く、魔力もそこそこあって、俺よりもずっと優秀で出来る男だ。一緒に暮らしたこのひと月で、もう十分に分かっていた事だった。
「僕たちはきっと……誰かの協力がないと生きていけない。勿論、いざという時は、この命に代えてもアリシャとシュリを守る。だからその時は……」
「ルドラ」
ルドラの言葉を、アリシャが遮った。けれどルドラは、強い口調で話を続けた。
「シュリも約束して。僕に何かあった時は、一生アリシャを守ると」
ルドラは、何故か悲痛な表情を浮かべていた。シュリはそんなルドラを見て、ギュッと拳を握った。
「兄さん、ちゃんと約束する。わたしは、兄さんやアリシャと一生一緒にいるつもりだ」
シュリはそう言ったが、ルドラが何故そんなに神経質になるのか、俺にはわからなかった。
「ニーノも、その時はシュリを助けてやって欲しい。頼むよ」
「何かあった時ってなんだよ? ここは結界に守られてるし、安全な場所なんだろ?」
俺がそう訊くと、ルドラは悲痛な表情のまま、少し笑った。
「安全な場所なんて……僕らには無い」
諦めを孕んだ、切ない表情だった。ルドラたちは……もしかしたら、ずっと怯えながら暮らしてきたのかもしれない。力の強いルドラが、ただのサテュロスの俺に頼る程に。
「ルドラ、ニーノやシュリにそんな事を背負わせてはダメよ」
アリシャはルドラの背中に手を当てながら、俺に向き合った。
「ニーノ、ルドラの言う事は気にしないで。ここ最近……結界に干渉してくる人間の気配があって……少し気が立ってるの」
「あたしも、森の見回りを強化するわ!」
「ありがとう、リア。心強いわ」
アリシャの言葉に、ルドラは短く息をついた。
「そうだね、ごめんねニーノ。とにかく今日は安静にして、明日シュリと一緒に町の医者に診せに行って」
そう言って、ルドラはアリシャと共に部屋から出て行った。
俺は、ずっと黙っているシュリに声をかけた。いつも無表情なヤツが、珍しく拳を握り、唇を引き結んでいたからだ。
「シュリ……大丈夫か?」
「……わたしは、いつでも命を懸ける覚悟は出来ている。兄さんもアリシャも……大切な人たちを、もう失いたくない」
シュリはそう呟いて、静かに部屋を出て行った。俺は切羽詰まった様な顔をしたシュリが気になり、後を追おうと椅子から立ち上がろうとした。だけどルーファスがそんな俺を制して、代わりにシュリを追いかけた。足を痛めた俺を気遣ってくれたのだろう。
ルドラやシュリの様な覚悟が、俺にはあるのだろうか? 俺のアリシャに対する気持ちは、ふたりに比べたら全然浅い。ただ、アリシャのそばにいたい、安息の地になりたいという思いだけでここにいる俺は、あのふたりの様に、命を懸けるなんて事を軽々しく言えない。
「つくづく……情けねェなァ俺は……」
俺は、ルドラが巻いてくれた包帯を見つめ、長いため息をついた。そして俺は、この後シュリの“覚悟”を思い知らされる事になる。
月・水・金曜日に更新予定です。




