107 ニーノの過去 その3
107
(これは……どういう状況なのだろう……)
「わぁー! 美味しそう! いただきまーす!」
目の前には様々な料理が並べられ、リアは目をキラキラさせながらそれを頬張った。
「おいしー!」
庭にある大きなテーブルを囲み、俺とリアは食事を振る舞われていた。
「遠慮しないで食べてよニーノ。キミの家を壊しちゃったお詫びさ。ボクが作った訳じゃないけど」
そう言って笑うルーファスに対して、アリシャは小さくため息をついて俺に向き合った。
「本当にごめんなさい、ニーノ。まさかあんな事になるなんて……」
「シュリに、面倒を見ておくように言ったはずだったんだけどね~」
腕を組んで首を傾けたルーファスの前に、例のシュリとかいう弟が、料理がのった皿を置いた。
「クルルは、あの後すぐにルーファスたちを追いかけて行った」
「いや、何で止めなかったのさ」
「既に見えなくなっていた」
そんなやり取りを見ていた俺の目の前に座った男が、口を開いた。
「ごめんねニーノ。僕の弟たちが迷惑をかけてしまって」
男はそう言って、すまなさそうな顔をした。艶やかな金髪をひとつに結び、澄んだ水色の瞳に弟とよく似た綺麗な顔立ち……そう、目の前に座っているこの男こそ、アリシャの本当の婚約者……ルドラだった。
「兄さん、わたしは何も迷惑をかけていない」
「シュリ、ルーファスにクルルの面倒を頼まれていたのなら、君にも責任の一端はあるよ」
「そうだよ、シュリ~。一緒にニーノに謝ろう」
シュリは不服そうな顔をしたが、ふぅとひとつ息をついて俺に向き合った。
「悪かった。弁償する」
「いや、弁償って言っても……。新しい家でも建ててくれんのかよ? そんなの無理だろ?」
俺はそう言って、呆れながら目の前に置かれたお茶を飲んだ。
「すぐには無理だよね……。そこで提案なんだけど、ここで僕たちと一緒に暮らさないかい?」
「ぶはっ!?」
俺は、ルドラの言葉に思わず飲んでいたお茶を吹いた。
「一緒に暮らすって……あんた、何言って……!?」
「いい反応だね~。昔の自分を思い出すよ」
咳込みながら動揺する俺に、なぜかルーファスが懐かしむ様な視線を向けた。
「ちょうど今、ルーファスの為の書斎を増築中なんだよ。書斎ができれば、ルーファスはその部屋を主に使う事になるだろうし……今ルーファスが使ってる部屋は、君が自由に使ってくれていい」
「ウンウン、ボクの書斎ができるまでは、ボクの部屋で一緒に寝ればいいよ。そうすれば心置きなく夜這いが……いや、夜這いができるしね!」
「いや、言い直せてねェよ!」
「とってもいい考えね! あたしがニーノの代わりに同意するわ!」
「おめェは何に興奮してんだ!?」
鼻の穴を膨らませ、前のめりになるリアを押さえつけ、俺は目の前にいる恋敵の顔を見た。
(こいつ……何考えてんだ? 見ず知らずの男を、大事な婚約者がいる家に普通住まわすか?)
何も考えていないのか、はたまた何か魂胆があるのか……どっちにしろ俺は、余裕のあるルドラのその態度にむかっ腹が立った。
「俺はアリシャが好きだ。あんたの婚約者に横恋慕しようとしてる男を、そんな簡単に信用していいのかよ?」
俺は、少しでもルドラを動揺させたくて本当の事を言った。ルドラは一瞬驚いた様な顔をしたが、すぐに目元を和らげた。
「君は、本当に真っ直ぐで純粋な人だね」
「はァ? 何言ってんだ? 横取りしようとしてる男の、どこを取れば真っ直ぐで純粋なんだよ」
俺が呆れたようにそう言うと、ルドラはふふっと笑った。その笑顔は幼い子供の様で、俺の方が少し動揺してしまった。
「アリシャを狙ってるなら、僕に内緒でこっそり近付いて口説けばいい。でも君は堂々と僕に向き合った。君は、陰でコソコソ出来ない人だ。その真っ直ぐで純粋な性格は信用に値する」
「なっ……」
俺は、顔が熱くなるのを感じた。
「そうなのよ! ニーノってば昔っから嘘をつくのが下手だし、馬鹿みたいに純朴なの! わかってくれる人がいて嬉しいわ! あなたみたいな人がニーノのそばにいてくれるなら、あたしも安心だわ!」
リアはそう言って、ルドラに握手を求めた。
「うん、僕も彼の様に純粋な人の近くにいるのが心地いいよ」
「ボクも、こんなハンサム君と寝食を共にできるなんて、とっても興奮するよ!」
ルドラはがっちりとリアと握手を交わし、ルーファスが俺の肩を抱いた。
「いや、ちょっと待てよ! 勝手に話を進めるな! 俺は……」
「ニーノ」
その時、ずっと黙って話を聞いていたアリシャが、俺の名前を呼んだ。
「あなたのそばは……本当に心地よくて、癒されるの。あなたみたいな人は、とっても貴重だわ。だけど、あなたが私たちと住むのが本当に嫌なら……」
「住みます」
「え?」
「アリシャ、あんたが望むなら……俺、あんたのそばにいる!!」
鶴の一声、そんな言葉を、昔田舎のじーさんたちに教えてもらった事を思い出した。俺は、アリシャが言った“俺といると癒される”という一言に、心が決まった。俺はなんてちょろいヤツなんだと、つくづく思う。だけど、いいんだ。アリシャが安らぎを感じてくれるなら、俺は喜んでその安息の地となろう。
俺はにやける顔を抑えきれなかった。癒しを感じるだなんて、即ち、俺に心を許してくれている証拠だ。
「知らなかったなァ……。俺といると癒されて、心が安らぎもう離れたくないって思える程だとは……」
正直そこまで言ってなかったが、俺の中ではそのくらいの意味を成していた。
鼻の下を人差し指で横に擦り、照れながらそう言った俺に、シュリがとんでもない一言を放った。
「童貞だからな」
「…………は?」
俺は、我が耳を一瞬疑った。
(こいつ……、今、なんて?)
動きを止めた俺に向かい、シュリは話を続けた。
「お前が童貞だから、アリシャが癒しを感じるのも当然だ」
俺の顔は、みるみるうちに赤くなった。
「はぁ!? な、な、な、何言ってんだあんた!? 俺がどっ、童貞ってなんで……!!」
「シュリ~、それは彼にとってはきっと繊細な問題だから、大っぴらに言っちゃダメだよ」
「何故だ? わたしたちと生活を共にする以上、隠しておく事もないだろう」
「そ、そういう事じゃねェ! おっ、俺は決して童貞なんかじゃ……!!」
真っ赤になりながら狼狽える俺に、ルドラが穏やかに話しかけた。
「ニーノ、僕とシュリとアリシャは……ユニコーンなんだ。だから、同族以外だと処女と童貞しか受け付けない。昨日君と出会ったって話してくれたアリシャも、とても興奮していたよ。成人した魔族の童貞はとても珍しいからね」
「ア、アリシャもって……」
俺がチラリとアリシャに目を向けると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「私、童貞って大好き! すごく純粋で純朴で……そばにいるととても癒されるの」
「な、何言ってんだあんたーーーー!?」
俺はアリシャの前で、出来る男を演出しようとしていた。女に手慣れた、洗練された大人の男を演じようと必死だった。だけど俺は本当は女を知らない。付き合った事もない。アリシャはきっと初めから、そんな俺の事を本当にわかっていたんだ。
アリシャたちが、とっくに絶滅したと思っていたユニコーン族だったという事よりも、俺が童貞だと皆にバレていた事の方が、俺にとっては衝撃的だった……。
月・水・金曜日に更新予定です。




