104 港へ
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「ミーシャ」
中庭に行く途中で、アスタロトはミーシャに何やら耳打ちをした。ミーシャは、アスタロトが耳打ちした内容に目を見開かせると、急にその場にしゃがみ込んだ。
「悪い、ブーツの紐が解けた。すぐに追いかけるから、先に中庭に向かってくれ」
バルダーたちは頷き、中庭へと急いだ。それを見たアルフレッドはごくりと喉を鳴らし、しゃがみ込んでいるミーシャに後ろからそっと近付いた。
(とりあえずこの獣人を何とかすれば、匂いによる追跡はできない……。昼間は大人の姿だったが、今はガキの姿だ。こいつも、魔力の制御がまだ出来ないと言っていた。ガキの姿の今なら、羽交い絞めにし、暗がりへ連れ込んで殺る事も……)
アルフレッドは短剣を手にし、背後からミーシャの首に付きつけようとした。しかしミーシャは素早く避けて、それによりバランスを崩したアルフレッドの背後に、いとも簡単に回り込んだ。
「何すんだよ、アルフレッド。そんな物を人に向けたら危ねーだろ」
「……!? な、何故わかった……!?」
アルフレッドはミーシャの方へ振り向き、短剣を持った手を震わせた。そしてぎりっと唇を噛むと、意を決した様にミーシャに踏み込もうとした。しかしその時、背後からの禍々しいオーラがそれを阻んだ。
「悪いケド……あんたの未来が視えちゃったんだよねぇ……。あんたが、ミーシャに剣を向ける未来がさ。だから前もって準備させてもらったワケ。それに、あんたの悪意がさっきからだだ洩れでさ……ぼくは、ゴチソウを前に“待て”をされてる気分だよ……」
アルフレッドの背後には、アスタロトの姿があった。アルフレッドはアスタロトが放つ負の重圧に耐えきれず、短剣を落とした。
「色々と説明してもらうぜ、アルフレッド」
ミーシャはそう言うと、アスタロトとベルナエルに両側から支えられたアルフレッドと共に、中庭へと急いだ。
一方難しい顔をしているシュリたちの元へ、クロエが戻って来た。
「シュリ! ルーファス! ニーノらしき男が、女性を連れて町の入り口の方へ歩いて行くのを見たという証言がありましたわ!」
「よし、ボクたちも向かおう!」
シュリたちは走り出し、町の入り口に到着した。するとそれと同時に、入り口の空き地にあった魔法陣が緑色に光り、ミーシャたちが現れた。
「シュリ! 目が覚めたのか!」
ミーシャが駆け寄ると、シュリはすぐさまミーシャを問い詰めた。
「ミーシャ! ユーリの匂いがわかるか!? すぐに追跡したい!」
「任せろ! ユーリの匂いはこっちの道に続いてる! 微かに潮の香もするぜ。おいアルフレッド! やっぱりユーリは港に向かったんだな!?」
ミーシャは鼻をヒクヒクさせ、確認するようにアルフレッドを見た。
「知らない! 私は何も知らない!」
「嘘だ」
シュリはアルフレッドを一瞥すると、すぐにミーシャに向き合った。
「時間がない、ミーシャ。お前の鼻でユーリを追ってくれ」
そう言うと同時に、シュリの体が青色の光で包まれた。
「シュリ! 待っ……」
ルーファスが止める間もなく、シュリはユニコーン姿になった。その場にいたスライとアルフレッドは驚き、息をのんだ。
『背中に乗れ、ミーシャ。匂いを辿って港まで行く』
「……よし、わかった!」
ミーシャが背中に乗ると、シュリはユーリの匂いがするという方へと駆け出し、その姿はあっという間に見えなくなった。
「まさか……生きているユニコーンをこの目で拝めるとは……これは……凄い値段が付くぞ!!」
アスタロトに拘束されていたアルフレッドだったが、目の前で起こった奇跡の様な事態に興奮し、鼻息を荒くした。
「アルフレッド……といいましたか? 俺の目を見て下さい」
「は?」
アルフレッドは、リヒトによりすぐさま記憶を消された。
「まさか、あの男がユニコーンだったなんて……」
以前、リヒトに記憶を消されていたスライも、シュリの正体に驚きを隠せないでいた。
リヒトがスライの元へ行こうとしたが、バルダーがリヒトの肩に手を置き、それを制止した。
「スライ、シュリは俺たちの大事な仲間だ。お前は、仲間の秘密を守れるな?」
バルダーの言葉に、スライはふうとため息をついた。
「カシラ……俺は北の国の財務大臣ですよ? 品位を損なうような行いはしません。それにあの男を売って、貴方に追われる様な事になるのは御免ですよ」
そう言ったスライからは、悪意は全く感じられなかった。
(きちんとした役職を得たこの男にも、それなりのプライドがあるんだな)
リヒトはそう思い、スライの記憶を消すのをやめた。
「わたくしは空から港へ向かいます!」
「ぼくたちもそうするよ。後で港で落ち合おう」
クロエはメリュジーヌ本来の姿に戻り、翼を広げ空へと舞い上がった。アスタロトとベルナエルもそれに続き、港の方へ飛んで行った。
「バルダー、僕たちは、この事を西の国の王に報告した方がいい。アルフレッドの処遇は、僕たちが決められる事じゃないし、港に人買いの船が停泊しているのなら、城の衛兵にも協力を仰いで捕縛しないと」
ハヤセの言葉に、バルダーも頷いた。
「よし、俺はアルフレッドを連れて城に戻る。ハヤセは、スライやデクたちを港へ転移させてくれ。ルーファス、悪いが、アルフレッドを拘束したまま俺の背中に乗ってくれ」
「背中?」
ルーファスが首を傾げると同時に、バルダーの体が山吹色に光り、真っ赤なドラゴンの姿になった。
『空から城に戻る』
「いや、これ絶対攻撃されるヤツ!!」
ルーファスの突っ込みも空しく、バルダーはルーファスとアルフレッドを連れて城へ飛んで行った。
「よし、少し時間がかかるけど、港までの転移魔法陣を描くよ!」
ハヤセはそう言って、空いているスペースに魔法陣を描き始めた。
「シュリ! あそこだ! あの箱の中からユーリの匂いがする!」
シュリの足はとてつもなく早く、すでに港へと到着していた。シュリは人型に戻ると、コンテナの中へと足を踏み入れた。
「ユーリ!!」
シュリは、倒れている優里の元へ駆け寄り、抱き起こした。しかし、冷たくなった優里の体はピクリともせず、だらりと力なく落ちた手が、隣に横たわっていたニーノの体に当たった。少し意識を失いかけていたニーノは、誰かがいる気配を感じ、うっすらと目を開けた。
「シュリ……」
「ニーノ……毒は食らっていないのか? その傷はどうした?」
シュリはユーリを気にかけながらも、ニーノの様子を窺った。
その時、人影に気付いた行商人の男が、コンテナに向かって来た。
「誰だ!? そこで何してる!?」
「やべっ……! おいシュリ! ユーリを連れて逃げるぞ!!」
「ダメだ! ケガをしてるニーノを置いていけない!」
ミーシャはチッと舌打ちをして、急いでコンテナの扉を閉めた。
「ガキじゃねぇか! こんな所で何してる?」
「探検だよ、おじさん! 父さんが夜釣りをするって言うからついてきたんだけど、釣りなんてじっとしてるだけで退屈なんだ」
ミーシャは何もわからない子供のフリをした。
「ここは子供の遊び場じゃねぇぞ。早く父親の所に戻れ」
「それが……場所がよくわかんなくなっちゃって」
「なんだ迷子か? めんどくせぇ……こっちに来な。釣りをしてるなら、恐らく港の南側だろ」
行商人はミーシャを港の南側へ連れて行こうとした。
(とにかく、皆が来るまで時間を稼がねぇと……)
「わー! なにあれ!? 変な壺ー!!」
ミーシャは好奇心旺盛な子供の様に、他のコンテナ目掛け走り出した。
「バ、馬鹿! 商品に触るな! 待て! ガキ!!」
ミーシャはシュリたちのいるコンテナから離れる様に巧みに逃げ回り、行商人はミーシャを追いかける事を余儀なくされた。
ユーリたちがいるコンテナの中では、ニーノが仰向けのままシュリを見据えていた。
「シュリ……本当にユーリはあんたの恋人なのか……? 約束はどうするんだ……。アリシャにはあんたが必要だ……」
シュリは、ユーリを抱いている手にギュッと力を入れると、目を伏せた。
「わかっている……」
苦悩しているシュリを見て、ニーノは静かに目を閉じた。
「いや、俺は……俺には本当は……あんたにとやかく言う資格はない。……あんたが苦しんでいるのも、元はと言えば俺の責任だ……。俺は、あんたに恨まれても文句は言えないんだ……」
「恨む? どういう意味だ?」
シュリがニーノに疑問を投げかけている時、冷たくなった優里の意識は、何処だかわからない空間をさまよっていた。
真っ白で、何もない空間だった。音もなく、匂いも空気の流れも感じられなかった。
(ここは……どこだろう……。私は、どうなったんだろう……)
優里が漂いながらぼんやりと考えていると、誰かの声が微かに聞こえる事に気が付いた。
(誰? 誰かそばにいるの?)
「真実を知れば、あんたは俺を殺すかもな……」
(殺す? この声は……ニーノ?)
「アリシャも……きっと俺を許さない」
(アリシャ? アリシャさんの事?)
だらりと垂れた優里の手は、ニーノの体に触れていて、そこからまるで懺悔をするかのような感情が優里へと流れ込んできた。
(ニーノは……何か後悔してる? シュリさんやアリシャさんの事……? 私の知らない過去に、何があったの?)
ニーノの感情に、優里の心は大きく揺さぶられた。
(知りたい。過去に何があったのか……何故ニーノがこんなにも後悔してるのか、何故シュリさんがアリシャさんのものだって言うのか……知りたい!)
その時、優里の体が突然紫色に光り、その光は優里に触れていたシュリとニーノに降り注いだ。
「ユーリ!?」
シュリはは驚いて優里を見たが、次の瞬間、抗えない睡魔に襲われ、その場に倒れ込んだ。
(これは……ユーリの……)
シュリは、腕の中の青白い優里の顔を見つめながら、目を閉じていった。
優里は気が付くと、色とりどりの果物や様々な食材が所狭しと並んでいる、市場の様な場所にいた。
「ここは……」
「ユーリ」
その時、一番会いたかった愛しい人物が目の前に現れ、優里は涙目になり抱きついた。
「シュリさん!!」
シュリは優しく優里を抱きしめると、安堵の息を零した。
「ユーリ……無事で……よかった……」
「シュリさん!! シュリさん……!!」
優里はしばらくシュリの胸に顔を埋めていたが、覚えのある感覚に辺りを見回した。
「ここは……もしかして……」
シュリがコクリと頷いた時、明るい声が聞こえてきた。
「おねェさん綺麗だね。俺と食事でもどう?」
露店の一角で、道行く女性に声をかけている男が優里の目に留まった。男の誘いに、声をかけられた女性は笑って手を振り、通り過ぎて行った。
「……チッ! スカしやがって」
男は小さく舌打ちをし、背もたれに寄りかかると空を見上げた。
「あー……、どっかに、運命の女がいねェかなァ……」
「ニーノ……」
その男は、ニーノだった。優里は今までの経験から、これはニーノの過去の夢だと察し、静かに空を見上げるニーノを見つめた。
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