102 死
102
町は夜でも街灯に照らされていて明るかった。酒に酔い上機嫌に歩く者や、すでに路上で眠りこけている者たちの間を縫い、ニーノはどんどん歩いて行った。
「ニ、ニーノっ、どこまで行くの?」
優里は小走りでニーノを追いかけながら訊ねた。
「誰にも、邪魔されない所。話の途中で、ルーファスやあんたの下僕が乱入してきたら面倒だろ?」
「クロエは下僕じゃないよ!」
そう言った優里の前でニーノは立ち止まり、呟いた。
「この辺りでいいか……」
人気のない路地で、ニーノはしゃがみ込んで優里の方を見た。
「背中につかまって、ユーリ」
「え? 背中?」
「あんたを乗せて、邪魔されない所まで行く」
「の、乗せてって……もしかしておんぶするの?」
「俺はサテュロスだよ、ユーリ。さあ、早く! シュリの事、色々知りたいんだろ?」
シュリの名前を出され、優里は戸惑いながらもニーノの首に腕を回した。するとニーノの体が空色に光り、体が浮き上がる様な感覚に襲われた。
(この感覚……! 前にシュリさんの背中に乗った時と同じ……!?)
気が付くと、ニーノは上半身が人間、下半身は4足の馬の様な半身半獣の姿に変わっていて、優里は馬の背に乗っている様な形になっていた。
(これが、サテュロスの本来の姿なんだ)
「よし、行くか」
そう言ってニーノは走り出した。
「ひゃっ……!」
優里は振り落とされない様に、ニーノの腰の部分に掴まった。
「ニーノ! ホントにどこまで行くの!?」
「海の方! ユーリは海を見た事あるか?」
「あ、あるけど……」
「西の国の海も綺麗だぞ! 今度昼間に皆で行ってみるといい!」
ニーノは町を出て、木々が生い茂る野道を駆け抜けた。
(どうしよう、こんなに離れるなんて……皆に心配させちゃう……)
考え込んでいる優里を背に乗せ、ニーノはポツリと呟いた。
「今度が、あればだけどな……」
しばらく走り続け、ニーノは海が見える港で足を止めた。そして人型に戻ると、港にあるコンテナの様な箱の中に入って行った。
「この中で話そう。港にあるこの箱には、機密が漏れない様に結界が張られてるんだ」
「そんなに……重大な“約束”なの? それなら私、間接的に訊いちゃいけないような気がしてきたよ」
優里がそう言ってコンテナに入るのをためらったので、ニーノはハァとため息をついた。
「約束自体はそんなに大層なモンじゃない。けど、あんたもシュリの恋人なら、シュリの種族を知ってるだろ? その事が最重要機密だ」
「そう……だけど……」
それでも優里が迷っていた為、ニーノはチッと舌打ちをして優里の腕を掴み、無理矢理コンテナの中へ引っ張り込んだ。
「きゃあ!」
優里はコンテナの中に倒れ込み、入り口付近にいるニーノを見上げた。
「……ったく、手間とらせるんじゃねェよ」
「ニーノ……!?」
先程までの気のいい兄貴分の様な雰囲気が消え、ニーノは冷たい目で優里を見下ろしていた。
「悪いが、あんたはもう二度と自由を手に出来ない。人買いに買われるんだよ」
「え……?」
「文句ならアルフレッドに言え。俺はヤツに雇われただけだ」
(アルフレッドって……この国の外交交渉担当の……?)
状況が呑み込めないでいる優里に、ニーノは憐れむ様な目を向けた。
「アルフレッドは、王宮で働きながら裏で汚い仕事もしてんだよ。天使でもないのに浄化が使える魔族なんて、物好きな貴族の格好の獲物だ。高値がつくと踏んだヤツは、あんたをさらって人買いに売る事にした。新事業の為の浄化は、もうひとりのお嬢ちゃんが居れば十分だからな」
(何を……言って……)
「それに……シュリの恋人だっていうあんたを、俺は野放しにしておくつもりはない」
「え?」
ニーノは呆然としている優里を見据え、冷たく言い放った。
「シュリが何を考えてるのか知らねェが……シュリはアリシャのモンだ。アリシャの幸せを脅かすものは、俺が排除する」
「……!?」
優里は言葉が出なかった。今の状況もニーノの台詞も、理解が追いつかなかった。
「じゃあな、ユーリ。お仲間には俺が上手く言っといてやる。あんたを乗せた船は、今夜中にこの港を出る。海に出ちまえば、お仲間も簡単にはあんたを探せない」
「ま、待って! ニーノ!」
優里は立ち上がろうとしたが、足に痛みが走り動けなかった。どうやらニーノにコンテナへと引っ張られた時に、足を捻ってしまったようだった。
足を引きずりながらニーノの元へ行こうとしたが、非情にもコンテナの扉は閉められた。
「ニーノ! ニーノ!!」
優里は閉ざされたコンテナの扉を叩いたが、外からはニーノの冷たい声だけが聞こえた。
「諦めろユーリ。今の状況も、シュリの事も」
「ニーノ!!」
真っ暗なコンテナの中で、優里は今自分が置かれている状況に酷く混乱していた。
(どうしてこんな……!? 人買いって何!? アルフレッドさんが私を売る事にしたって……私、船に乗せられるの!? シュリさんはアリシャさんのものってどういう意味!?)
色々な事が優里の頭の中をぐるぐると回り、優里の息が荒くなっていった。
(だ、だめ……落ち着かなきゃ。大丈夫、落ち着いて考えれば、きっと何とかなる。まずは……そうだ、クロエを召喚して……)
「ク……クロ……!」
優里はクロエを呼ぼうとしたが、息が苦しくなり意識が集中せず、体が震え始めた。体中から嫌な汗がドッと出てくるこの現象は、生気が失われている証拠だった。予期していなかった展開に、優里の生気はどんどん削られていった。
(どうしよう……! このまま私どうなるの!? シュリさん……!)
優里はその場に倒れ込み、震える手を握りしめた。自分の体が生気を欲している事がわかったが、コンテナの中は優里ひとりきりだった為、毒スキルも発動しなかった。
(生気が……欲しい……シュリ……さん……)
薄れゆく意識の中、優里の脳裏にはシュリの姿が浮かんだが、どうする事も出来なかった。しばらく震えていた優里の体は次第に動かなくなり、冷たくなっていった。
その時町の酒場で、クロエが優里の重苦しい魔力を感知した。
「ユーリ様!?」
クロエは、すぐさま優里の姿を探した。
「ユーリ様! ユーリ様!?」
その様子に気付いたルーファスが、クロエの元へ駆け寄った。
「クロエ、どうしたんだい?」
「ユーリ様がいないんです! ユーリ様の重苦しい魔力を感じるのに……!」
「ユーリが!?」
ルーファスも慌てて周囲を見回すと、ニーノの姿も見当たらなかった。
「ニーノもいない……まさか……」
ルーファスは嫌な予感がして、クロエの両肩を掴んだ。
「クロエ! ユーリの魔力を感知出来てるのなら、ユーリの元へとべるだろう!?」
「それが……結界の様なものが張られていて、召喚の扉が開かないのです! 繋がっている魔力を感じ取る事しか……!」
「何だって……!?」
そしてクロエには、ユーリから発せられているこの重苦しい魔力に覚えがあった。
(この感じは……以前、ダヴィードの泉に落ちて、渦に巻き込まれていた時に感じたものと同じ……!?)
それは、渦に巻き込まれ、命の危険にさらされた優里が、何らかのスキルを発動しようとしていた時と同じ魔力の流れだった。クロエは息をのみ、震えながらルーファスに訴えた。
「ユーリ様が……ユーリ様が死の危険に晒されています!!」
同じ頃、ニーノは近くのテントにいる行商人らしき男の元に向かっていた。
「おい、アルフレッドの要望通り、浄化を使える魔族を例の箱に閉じ込めたぞ」
「そうか、ごくろーさん。これは報酬の半分だ。残りはアルフレッド本人から貰ってくれ」
行商人らしき男は、テーブルの上に金の入った袋を置いた。
「俺が要求したのは金じゃない。アルフレッドから何も聞いてねェのか?」
「知らねぇよ。ここでは金の受け渡ししかやってねぇ。そういう事はアルフレッド本人に言え」
男はそう言って、何やら書類の様なものに判を押し、ニーノに渡した。
「これをアルフレッドに渡せ。受け取り証だ」
「チッ……」
ニーノは、ここでは自分が要求した報酬を貰えない事に苛立ち、舌打ちをして書類をもぎ取るとその場を後にした。
行商人の男は、ニーノがテントから出て行くのを見届けると、近くにいたもうひとりの男に合図をした。もうひとりの男は頷き、ニーノの後を追った。
「クソッ……港に連れてったら渡す約束だろうが……」
ニーノはイライラしながら帰り道を歩いていたが、その時、背中に激痛が走った。次の瞬間、視界が歪み、ニーノは膝を付いてその場に崩れ落ちた。
「が……がはっ……!」
血を吐き、呼吸が乱れ、ニーノは後ろから刺されたのだと認識した。
「たかが商品を港に連れて来るくらいじゃ、あの報酬は渡せないとアルフレッドからの伝言だ。新参者のあんたを信用できないから、用が済んだら殺してくれ、とも言われてた」
テントからニーノを追ってきた男はそう言うと、動けないでいるニーノの前にしゃがみ込み、ニヤリと笑った。
「アルフ……レッド……う、裏切り……やがったな……」
ニーノがぎりっと唇を噛んだ時、港から先程の行商人の男が叫びながら走ってきた。
「待て! そいつを殺すな!」
「はぁ!? もう刺しちまったよ!」
走ってきた男は、ひとつ大きく息を吐いて呼吸を整えると、一気にまくし立てた。
「今、箱の中の様子を見に行ったら、そいつが連れてきた女が死んでんだよ! アルフレッドに報告すんのに、そいつの証言も必要だ!」
コンテナの中には、青白く、冷たくなった優里がたったひとり横たわっていた。
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