101 ニーノ
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「ま……負けた……」
西の国の町中にある酒場で、優里はクロエと共にうなだれていた。
浄化勝負はベルナエルの圧勝に終わり、優里たちは食事をとる為に町の酒場にやって来ていた。本来は城で用意して貰える手筈だったらしいのだが、バルダーたちの話し合いが長引いている事もあり、浄化組の4人で先に食事をとる事にしたのだ。町の酒場の食事も絶品だとアルフレッドに勧められ、優里たちは城ではなく、酒場で食事をする事にした。
「申し訳ございませんユーリ様……わたくしの力不足で……」
「ううん。クロエのせいじゃないよ」
頭を下げるクロエに優里が首を振り、ベルナエルがふたりを励ます様に身を乗り出した。
「ユーリさんもクロエさんも、凄かったですよ! ただ、ボクは直接浄化できるのに対して、ユーリさんはクロエさんに魔力を操ってもらわないといけないので、その分遅れが生じてしまったんです。それでもおふたりともとっても早かったですよ!」
「ホントホント。明日やる分も終わらせちゃうなんて、すごいよね~。おかげで明日は休みがもらえたし。デモ、勝負は勝負。ここはユーリたちの奢りってコトで」
アスタロトがメニューを見ながら、ペロリと唇を舐めた。
「えっ!? 聞いてないよ!」
「ユーリ様、大丈夫です。領収書を貰ってアルフレッドに請求しましょう」
「それもそうだね。ぼくたちは来賓だもの。オススメ料理を全部持ってきてもらおうか?」
クロエとアスタロトが珍しく意見を一致させ、悪い顔で笑い合ったとき、店員が酒を4つ運んできた。
「お待たせ致しましたー! ジンとライムのお酒です!」
「あ、あの、頼んでないですけど……」
ベルナエルが遠慮がちにそう言うと、店員はカウンターの方を向いて答えた。
「あちらのお客様からですよ」
優里たちがカウンターの方に目をやると、ひとりの男が微笑みながら手を振っていた。男は椅子から立ち上がると、優里たちの方へ歩いてきた。
「やあ、美しいお嬢さん方。良かったら俺に酒を奢らせてもらえないか?」
薄い桃色の髪に、晴れ渡った空の様な水色の瞳、甘いマスクをした背の高いその男の頭には、山羊の様な角と耳が生えていた。
(これは……ナンパ!?)
優里とベルナエルが反応に困っていると、男は空色の瞳をアスタロトへ向けた。
「いきなり失礼だったか……。あんたがとっても綺麗だから、どうしてもお近づきになりたくてね」
「え? ぼく?」
アスタロトがキョトンとしていると、男は手に持っていた楽器を奏でながら、色っぽく囁いた。
「まるで神話に出てくる女神のようだ。恋人はいるのか?」
(まさかのアスタロト狙い! しかも女性だと思ってる!)
優里たちが顔を見合わせる中、アスタロトはニヤリと妖艶な笑みを浮かべ、隣に座っていたベルナエルを抱き寄せた。
「彼女が、ぼくの恋人だよ」
そう言ってアスタロトは、ベルナエルの頬にキスをした。
「アスタロトっ……」
頬を染めたベルナエルを見て、優里もつられて赤くなった。男はアスタロトの行動に一瞬驚いたが、すぐに余裕の笑みを見せた。
「ああ……そうか。大丈夫、俺は偏見など持っていない。俺の友人にもそういうヤツがいるからな。でも、俺じゃああんたの相手は務まらないって事か……」
男はそう言うと、今度は優里とクロエに目を向けた。
「じゃあもしかしてあんたたちもそういう関係? これってそういう集まりなのか?」
「わたくしはユーリ様の下僕ですわ」
「違うよ!?」
クロエの一言に、優里は思わず声を上ずらせた。
「あー……ウン、そういうのもアリか。なんにせよ、俺が入り込む隙はなさそうだなァ……」
男はそう言って頭を掻くと、再び手にしていた楽器を奏で始めた。
「では、時間を割いてくれたお詫びに、1曲送らせてもらおうか。俺は吟遊詩人のニーノっていうんだ」
男が奏でる音楽はとても心地よく、楽し気なメロディーに周りにいた客たちが踊り出した。
(わぁ……)
つい体が動いてしまいそうな軽快な音楽と、楽しそうに踊る人々を見て、優里たちも笑顔になった。曲が終わると盛大な拍手が沸き起こり、ニーノと名乗った男は、深々と礼をした。
「なかなかやるじゃん。ぼくはアスタロト。彼女はベルナエルで、こっちのふたりはユーリにクロエだ」
アスタロトが優里たちをニーノに紹介し、ニーノは優里たちと共に食事をする事になった。
「ニーノさんは、この国の出身なんですか?」
優里は、ニーノに奢って貰ったお酒を飲みながら話しかけた。
「ニーノで構わない。オレもユーリって呼ばせてもらうから」
ニーノはそう言って微笑んだ。
「サテュロスが町にいるなんて珍しいですわね」
「サテュロス?」
優里がクロエの言った事に首を傾けた。
(確かに、この人はサテュロスって種族みたいだな)
優里は魔力感知で、ニーノの種族がサテュロスだとわかった。
「サテュロスは自然の精霊ですわ。ドライアドと共に森によくいるのは見かけますけど……」
「俺の生まれは南の国の田舎の方だけど、俺は町が好きなんだ。美味い食べ物に美味い酒、あんたたちみたいな美人がたくさんいるしな」
そう言ってニーノはウインクした。
(ちょっと軽そうだけど、話しやすい人だな。南の国って事は……シュリさんと同郷だ)
「あんたたちは北の国から来たんだろ? 西の国の新事業の為に助力してるって聞いたぜ」
「え! 私たちの事、もう町の人達は知ってるんですか?」
情報の速さに、優里たちは驚いた。
「この町にとって、炭鉱は生活の基盤だけど、その仕事が多くの闇を抱えているのも事実だ。皆、この闇からいつかは抜け出したいと願ってる。あんたたちは、この国の言わば救世主だ」
「救世主……悪くない響きですわね」
ニーノの言葉に、ほろ酔いのクロエがテーブルに肘をつきながらグラスを傾けた。
「そうだ! あんたたちはこの町の救世主だ!」
「今日はどんどん飲んでくれ!」
周りの客たちもニーノの言葉に賛同し、その場は大いに盛り上がった。その後ニーノは周りの客におひねりを貰ったり、曲のリクエストをされたりと忙しくしていた。
「すごい盛り上がってるね~」
しばらくして、聞き知った声が聞こえ優里が振り向くと、そこにはルーファスとリヒトの姿があった。
「ルーファスさん! リヒト君!」
優里は思わず、シュリの姿を探した。それに気付いたルーファスが、優里を安心させるように頭を撫でた。
「大丈夫、シュリも無事目覚めたよ。今、屋敷で軽く食事してる。リヒトは瞬間移動でひとりしか運べないから、ボクから先に連れて来てもらったんだ」
「そうなんですね」
「城に行ったら、ユーリさんたちは酒場で食事をしていると聞いて、俺たちもこっちに来たんです。先生たちはまだ会議が終わらないみたいで」
リヒトがそう言った時、他の客に捕まっていたニーノが優里たちの元へ戻って来た。
「ごめんなユーリ、ほったらかしにしちまって……」
そう言いながら、ニーノはルーファスたちの姿を見て驚いたように足を止めた。
「……ルーファス?」
「……ニーノ!?」
ルーファスも、ニーノの姿を見て驚きの声を上げた。
(え? ふたりは知り合い……?)
優里がふたりに話しかけようとしたその時、ルーファスがニーノの両肩を掴んで焦った様に問いただした。
「ニーノ!! 連絡もよこさず何してたんだい!? あの後、クルルだけが戻って来て……ずっと心配してたんだよ!!」
(え? え?)
珍しく動揺しているルーファスの態度に、優里はただならぬものを感じた。ルーファスは不安そうな顔で見つめる優里に気付き、ハッとして声のトーンを落とした。
「ニーノ……とにかくキミが無事でよかった……。でも、どうして連絡をしてくれなかったんだい? リアに訊いても“わからない”の一点張りで……。ボクたちは、てっきりキミも……」
ルーファスがそう言葉を濁すと、ずっと黙っていたニーノがフッと笑った。
「相変わらずだな、ルーファス。髪が短くて、一瞬誰だかわからなかったぜ。シュリはどうしてる? 今もアリシャと一緒にいるんだろ?」
シュリの名前が出て、優里は思わずニーノに問いかけた。
「ニーノは、シュリさんとも知り合いなの?」
「ユーリ、あんたこそシュリを知ってるのか?」
そこへ、アスタロトが酒を片手に割って入ってきた。
「ユーリはシュリのコイビトだよ、ニーノ」
「恋人……!?」
アスタロトの言葉に、ニーノはルーファスの顔を見た。ルーファスは少し気まずそうな表情をした。
「そんな……じゃあアリシャはどうなるんだ……。ルドラとの約束は!?」
「ニーノ……それはシュリ自身の問題だ。ここでは……」
ルーファスは優里をチラリと見て、興奮するニーノを落ち着かせようとした。
(約束?)
ちょっとした騒ぎに周りから注目されている事に気付き、ニーノはハッとした様に口を閉ざした。
「あの、約束って……」
優里がニーノに話しかけようとしたが、ニーノはそれを避ける様に、ルーファスとリヒトを酒場の奥へと案内した。
「悪い。俺が口出しする事じゃないよな。この話はこれで終わりだ。それよりも飲んでくれ。お勧めの酒を持ってこさせる」
優里はタイミングを逃したまま、ニーノとルーファスの後ろ姿を見つめた。
(約束って……何の事だろう……。ルーファスさんも知ってるみたいだったし……ルドラって、確かシュリさんのお兄さんの名前だよね)
優里がひとり悶々と考えていると、テーブルの端をトントンと指で叩かれた。顔を上げると、ルーファスたちを案内したニーノが、優里の所へ戻って来ていた。
「さっきはごめんな。お前がシュリの恋人だって聞いて……少し動揺しちまった」
ニーノはそう言って、気まずそうに笑った。
「いえ、大丈夫、です」
優里は約束の事が気になっていたが、気軽に訊いていい事かどうかわからず目を逸らした。ニーノは、そんな優里の耳に唇を寄せ、囁いた。
「約束の事、気になるだろ? ルーファスがうるさいからここじゃ言えない。5分後、誰にも見つからない様にひとりで外に出て。恋人の君には、知る権利がある」
優里がニーノを見ると、ニーノは軽く笑ってウインクし、ルーファスたちの元へ戻って行った。
(シュリさんが、ルドラさんとした“約束”……。勝手に聞いてしまっていいの? でも……知りたい、シュリさんの事なら何でも……)
5分経ち、優里は周りに目を向けた。クロエは、アスタロトと一緒に何やらトランプの様なカードゲームに夢中になっていて、ベルナエルはそんなふたりを見て楽しそうにしていた。ルーファスはカウンターに座り、隣に座った若い男にちょっかいを出していて、リヒトがそれを止めようとしていた。
優里は、皆が自分を見ていない事を確認し、外に出た。
「やあ。ちゃんと来たな」
酒場の入り口の壁にもたれていたニーノが、優里の姿を見て体を起こした。
「少し歩こうか」
優里はごくりと喉を鳴らし、ニーノの後について行った。
月・水・金曜日に更新予定です。




