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The Gift  作者: 鈴紀 通
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プロローグ

コロナの予防接種の接種率が7割を超えたニュースを店内に無造作に流しているテレビのニュースを聞きながら、それでも飲食店の常として、黒崎恭介はマスクしたまま、今晩の仕込みをした。


 とはいっても、祖父から継いだ、昔ながらの喫茶店だ。そう、喫茶店。カフェラテではなく、カフェオレ、軽い軽食替わりにスコーンとホットサンドを出す。あとは、飲んだ客があまりにリクエストするので、焼きおにぎりもメニューに加えた。なんだかメニューがカオスだな、と思いつつも、酒類だけは祖父の方針もあり、は出さない。その祖父も二年前亡くなったが恭介も今後とて酒を出す気はない。そうでなくても、周囲は酒場だらけなのだから。




 午後6時にオープンする喫茶【黒猫】は、酒に疲れた酔客が珈琲を飲みに来て一息つく知る人ぞ知る喫茶店で、客は、近くの飲食店の店員やら経営者やら、ソープ嬢、ホスト、夜の顔をもった客たちの憩いの場所なのだ。




 店主である黒崎 恭介は若くはあるが中学生時代から祖父の手伝いをしていただけあって、珈琲をいれる腕は確かで、品質の良い豆しか仕入れない。古くから取引のあった焙煎しておろしてくれていた豆屋も、コロナ騒ぎで商売をたたむ話などもでて、こんな小さな喫茶店にも、あのウイルスは影響を及ぼし、未来にはうっすらと灰色のヴェールをかけているようだ。


 先が見えない、という人間にとって不安でたまらないものだ。


 


 横浜随一の歓楽街野毛は野卑でありながら、飲兵衛は優しい街だったが、最近は大分小ぎれいになった。基本飲み屋ばかりなので、喫茶店は【黒猫】のほか数件あるくらいだ。ジャズ喫茶など趣向は違うが。


 ただ、恭介は珈琲の好きな客と、疲れをいやしに夜の住人が来る店であればいい、とあまり、欲張りはしない。とうより本人に商売っ気がないせいかもしれない。




 ぼんやり考え事をしていたら、鼻先をすっと焦げ臭い香りがかすめた。


 しまった。と思いオーブンに駆け寄る。スコーンに少々、火が通りすぎたというべきか。年代物のオーブンなので焼きに癖があるのだ。




「お、焦がしたな」


 バリトンとともに、昭和中期に建てられた喫茶店の入口を上半身をかがめるように入って来たのは榊 駿一郎だった。名前を知っているのは、以前名刺をもらったからだ。だが、本人は名刺にかかれた職業の人間にはあまり見えない。


「考え事してた。やっちゃったよ」


「恭が考え事しながらぼーっとしない日があるのか」


 恭介の少し色素の薄い形の良い右眉がアーチ形を描くと


「で、今日はのご注文は?」


「タンザニア。ミルク多め」


 いかにも見た目、ヘビースモーカー、バーカウンタでブランデーグラスでも傾げていそうな榊だが、少し濃いめの珈琲をミルクで割るというのが好きなのだ。せっかくいい豆でも旨さが半減だ。185センチの高身長は牛乳のカルシウムのお陰なのだろうか。


 午後6時5分前。オープンには早いが、榊はいつもふらりとこの時間にやってくる。この後にくる客層は歓楽街ゆえにホストやソープ嬢、キャバ嬢、など、午前2時閉店の【黒猫】の客は自身の疲れを道連れにてやってきては珈琲を飲んで愚痴とジョークと、ほんの少しの絶望を振り切るようにして閉店間際には帰って行く。




「まじでこんな場所で喫茶店やってんの?」


と、大声で入口のカウベルを鳴らし、入ってきたのはいかにも出勤前といった風体の若い二人組の女達だった。店主の恭介が振り向くなり、赤面して慌てて


「やだ、あたしったら、大声出しちゃって」


 アッシュブロンドのやせ気味の方が、恭介を一瞥するなり、横にいる対照的に太目な連れの菱をつつく。


「気になさらなくても結構ですよ。ただ、本当にここ、喫茶店で、珈琲専門店なんです。食事とかされるようであれば、ここら辺は飲食街ですしね」


 悪意は無いが、心のこもらない微笑で恭介は答えた。細面に、色素の薄い髪を全体的にかき上げて、そこらへんのホストクラブのホストなど太刀打ちできない顔のつくりは、女優であった母譲りのものだ。短い女優生命であったので、このアッシュブロンドの女達は知る由も無いだろうが。


「じゃあ、あの、カフェオレお願いしようかな。折角来たんだし」


 太目の金髪の方が、空席を探す。空席と言ってもカウンターに5席、テーブルは二つしかない。うち、恭介の前のカウンターは榊が陣取っているので、当然、入口近くの席か奥の席か。アッシュブロンドの方がおたおたしている間に、カウベルがけたたましく鳴った。


 息を切らせて入ってきたのは今度は男の二人組だった。珈琲を飲みに来る風体ではない。それは恭介にとっては見慣れた神奈川県警の刑事達だった。




 一昨日、2021年12月1日、確かに時間には多少ルーズではっても、遅刻や休む時は必ず連絡を入れる、松原 英恵が、何度コールしても返答の無い事に心配した、支配人が同僚の仲の良いソープ嬢に、帰宅途中、英恵の自宅によって様子を見てくれないか、と頼んだのが12月2日の午前3時。


 英恵はソープ「紳士館」の中でも稼ぎ頭であるが、なにせメンタルが弱いところがある。こういった商売に何の屈託もないように籍を置いては、時折、私生活で苦渋をなめたような陰が消えない女達。


 そして、英恵は自室で、うつ伏せに倒れた姿で絶命しているのを同僚の雨宮 恵子によって発見された。


 




「この顔に見覚えがありますかね」


 その不遜な言い方は何とかならんの、こちとら税金も払っている善良な一般市民なんだが、と思いつつ、神奈川県警捜査一課、浜村という男が差し出した女の、一枚の写真に恭介はゆっくりと視線を下した。


 写真の中の女の顔は、スマホ特有の加工はいつもの事だが、加えて加工メイクとで素顔がわかりにくい。目を細め、見つめると、綺麗に巻かれた髪、濃いめのパールのシャドウとグロスは派手過ぎず好感が持てた。そこで、不意に記憶にひっかかった女の事を口にする。


「・・・・みなとみらいの外資で秘書してるとか言ってたかな・・。女友達と月に2,3回くらいは寄ってくれたと思う・・・・」


 不穏な店の雰囲気に先客の女性二人に、恭介は


「すみません。こんな感じなんで今日はこれで店じまいって事でいいですか」


営業用の微笑で頭を下げる。


「折角いらっしゃったところすみません。ご協力お願いします」


捜査一課の浜村と傍らの相棒と思しき刑事も存外に丁寧に頭を下げた。



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