003 暗殺者の本分
僕はそのまま屋敷を出た。
お金もなければ、道具もない。
けれど不思議と、気分はすっきりしていた。
今まで閉ざされていた道が開いたような気分だった。
とはいえ、今の僕は一文無し。
ある程度サバイバルの知識はあるけれど、魔獣に遭遇すれば厄介なことになるし、野宿は避けたい。
つまり、今日中に領地を出て、冒険者ギルドにたどり着いて、収入を得なければならない。
うぅーん、難しいかなあ。やっぱり野宿かなあ。
着ている執事服を売るっていう方法もあるけど――これは以前、あの屋敷で働いてた“師匠”から譲り受けたものだからなぁ。
丈夫で、長持ちで、汚れも弾き、何なら防火防水機能だってある優れもの。
一見して、外を出歩くときに着るには不便そうに見えるけど、実はどこでも使えるオールマイティな執事服なのだ。
僕はあまり目立たないよう町外れまでやってくると、腰を落とし、駆け出した。
昔、まだ魔力の有無が今ほど地位を左右しなかった時代――執事とは、主の護衛も兼ねる仕事だった。
現代は主が“魔法使い”で、従者はそうでないことがほとんどだから、僕がその役目を果たすことはなかったけれど、最低限の護身術は身につけているし、体だって鍛えていた。
それに、【暗殺者】は素早さに優れる職業だ。
魔法はほとんど使えないけれど、こういう高速移動はお手の物である。
街道ではなく、あえて森を抜けてショートカット。
そこまで警戒する必要があるかはさておき、足取りを追われにくくなる。
地面を蹴り、木々を蹴り、立体的に道を探しながら前へ前へと進んでゆく。
途中、狼のような魔物らしき影が僕と並走しようとしたけれど、戦わずとも逃げれば問題はない。
仮にここが彼らの庭だったとしても、速度において【暗殺者】に勝るものは師匠ぐらいしかいないのだ。
むしろここで勝てなければ、他に何の取り柄も無いとも言える。
いっそ、戦って試してみてもよかったけれど――いや、やめておこう。まだ屋敷から近すぎる。
そして一時間ほどで森を抜けると、今度は広い街道に出た。
ショートカット成功、ここまでくれば領外までそう遠くない。
周囲を見渡す。
見晴らしのいい道を、領外方向へ向かって突っ走るリザード車がこちらに接近していた。
リザード車とはその名の通り、トカゲ型の魔物である“リザード”が引っ張る馬車のことで、従来の馬よりも遥かに速い一方、魔物なので扱いが難しいという代物なんだけど――それにしても速いな。
「頑張れっ! 頑張れっ! お願いだから急いでえぇぇえええええっ!」
そしてリザードを操る商人らしき女の子が、涙目になりながら必死で鞭を振るっている。
気になる――僕は通り過ぎようとしたリザード車と同じ方向に駆け出し、先ほどよりもギアを一段階あげて並走を始めた。
「あのー」
「……へ? え、ええぇぇぇえっ、人間が一緒に走ってるぅぅううう! 化け物ですかあぁぁあああ!?」
「いや、人間だけど」
「あ、よかった人間……いや普通、人間はこのスピードじゃ走れませんけど!?」
「そうなの?」
「そうなんですぅ!」
そうらしい。
外で誰かとかけっこする暇なんてなかったしなぁ、師匠は僕よりずっと早かったし。
茶髪のちっちゃな女の子は、喋りながらも鞭を振るうのを止めない。
リザードも心なしか切羽詰まった表情をしている気がする。
「ところで、どうしてそんなに急いでるの?」
「追われてるんですよ! と、とりあえず乗ってください! あなたも危ないですから!」
「わかった、それじゃあ遠慮なく」
少女の隣に飛び乗る僕。
ここで誰かと知り合えたのはラッキーだ、相手が商人となればなおさらに。
最大の問題は、この子が何から逃げてるか、だけど。
「僕はクリス」
「ここでのんきに自己紹介しますぅ!? え、えっと、私はキャミィです、見ての通り商人をやってます!」
「よろしくね」
僕はキャミィに手を差し出した。
そんな僕に彼女は吠える。
「握手してる暇なんてねーですよ!」
「そっか。それで、そんなに急いでどこに?」
「とりあえず街まで無事にたどり着くことが目標です。あいつ、後ろから追ってきてませんか?」
「あいつ?」
僕が背後を振り向くと、遥か遠くの空に、鳥のような影があるのを見つけた。
それを指差して彼女に尋ねる。
「あの鳥のこと?」
「そうですっ! 魔物ランクCのグリフォンですよぉ!」
「あー、あれ魔物なんだ。確かに大きいね。でもこの距離なら大丈夫なんじゃない?」
「いえ、グリフォンの脅威はこの距離でも風魔法で――」
そのとき、ヒュオッ――と不自然なそよ風が頬を撫でた。
キャミィの表情は突如として険しくなり、鞭の叩き方を変える。
「くっ、振り落とされないよう気をつけてくださいッ!」
リザードが急カーブし、車全体も、遠心力で飛ばされそうなほど、ぐわんと曲がる。
直後、先ほどまで走っていた場所がズザザザザザッ! と風で削られた。
「今のって、魔法!?」
「そうです。グリフォンは離れていても魔法でこちらを狙い続けます。街に入るまで決して追跡をやめることはありません!」
「キャミィが商人なら、護衛の魔法使いは雇ってないの?」
「雇ってたんですが……雇ってたんですがぁ……グリフォンにやられて死んじゃったんですうう! そこそこ大金払って冒険者ランクDの人を雇ったのにぃ! 品物も吹き飛ばされちゃいましたあ! だから街に戻っても赤字ですうううぅ! いっそこのまま死んでしまおうかとか思ってましたあああ!」
涙目を通り越して、ぼろぼろと涙を流すキャミィ。
さすがに不憫すぎる……報酬をケチるとそういうことする傭兵はいるって聞いたことはあるけど。
「はっ!? もしかしてあなた……魔法使い、ですか?」
「違うよ」
「ですよねー! そんな都合のいいことありませんよねー! もうダメです、私はこのままグリフォンにズタズタにされてパクって咥えられてヒナの餌とかにされる運命なんですぅー! うわあぁぁぁん! せめてリーくんだけでも逃げてえぇぇぇえ!」
「クエェェェエエッ!」
リーくんと呼ばれたリザードは、まるでその提案を拒むように鳴き声をあげた。
健気だ……ここまで魔物を手懐けるなんて、この子、実は意外とすごいのでは?
「うううぅ、リーくん、最後まで私を守ってくれるんですね。わかりました、それなら私もあがきます! あがいて、あがいて、後悔なく食べられますぅ!」
「その場合、僕も一緒に食べられることになるのかな」
「いえ、今ならまだ降りれば間に合うと思います。だってあなたより私のほうが肉付きがいいので! 巨乳の宿命なんですううう! 巨乳でごめんなさいいぃぃ!」
もはや錯乱していて何を言っているのか意味不明だった。
確かにキャミィの胸は大きい。
リザード車の揺れでたゆんたゆんと揺れている。
でもグリフォンも、別にそこで獲物を決めたりはしないと思うな。
「もしさ、ここで僕があのグリフォンを倒したら――報酬とかもらえる?」
「ふぇ?」
「一晩、宿で泊まれるお金があればいいんだけどさ」
「もしそんなことが可能なら、一ヶ月……いえ、一年間泊まれるお金だって払いますよぉ! というかグリフォンの素材だけで宿賃なんていくらでも出せるぐらいです!」
「いいよ、そんなに。一晩で十分だから――じゃあ、契約成立ってことでいい?」
「まさか、あなた……無理ですよっ、だって魔法使いじゃないんですよね!?」
「【暗殺者】だけど」
「【暗殺者】ってクソ雑魚職じゃないですか! やめてください、自殺するようなものです!」
「でも、どうせこのまま逃げてても死ぬんでしょ?」
僕はダンッ、と強く荷台を蹴って飛び出す。
キャミィは「危ないですっ!」と叫んだ。
でも僕はもう止まらないし、止まれない。
不思議と、怖くはなかったから。
「大丈夫――そのために、寝る間も惜しんで積み重ねてきたものがあるから」
グリフォンの羽が羽ばたいた。
風の魔法が放たれ、高速で宙に舞う僕に迫る。
敵との距離は遠い――遠い――まだ、まだ――
チリッ、と鼻先を風が掠め、肌を裂く。
もう限界まで来てる。
あと少し――そう、この距離なら――
「今だ、アサシンダイヴ!」
暗殺者のスキルが発動する。
僕はその場から消え、音もなく、気配もなく、“対象”の背後へと移動する。
「相手の背後に移動する【暗殺者】の上位スキル! しかもあの距離で使えるんですかっ!?」
僕はグリフォンの背中に乗った。
クビに腕を回し、必死でしがみつく。
もちろんグリフォンも無抵抗ではない。
空中で暴れ、僕を振り落とそうと右へ左へと飛び回る。
けど――これぐらいなら平気、片手を離しても大丈夫。
僕は離した右手の袖の中から、ナイフを取り出し握った。
『執事服の中に、常に武器を忍ばせておく――これは主を守る執事として必須のスキルだ』
これは師匠の言葉だ。
あの人に出会ったのは、もう十年以上も前になる。
啓示の日よりずっと前から、僕はいつかリーゼロットを守れる人間になろうと、稽古を受けてきた。
たとえ魔力があろうとなかろうと、彼女を守るための力を求めて。
まさかそれが、こんな形で活かされることになるとは、当時の僕は想像もしてなかったけれど――僕は常に、屋敷にいるときでも、その教えを常に頭に入れていた。
「ふっ!」
まずは握ったナイフを、力いっぱい突き刺す。
鉄板だって貫ける程度には力を込めたつもりだけど――ぐにゃりと、羽毛に埋もれる感覚はあるものの、やはり刃は通らない。
魔力障壁は強固で、どんなに鍛えていようと突破は不可能だった。
そんな僕の様子を見て、キャミィはリザード車を走らせながら器用に語る。
「背後を取れても【暗殺者】が得意とするナイフは効きませんし、効いたとしても威力が足りません! それに使える魔法は、最下級魔法である[ウインドエッジ]だけです! それではグリフォンが常に纏っている魔法に対する障壁を突破することは不可能! もうダメですぅ! 私のせいで見知らぬイケメン執事さんが死んじゃいますうぅぅう!」
彼女のいうとおり、仮に刃が通ったとしても、ナイフじゃ太刀打ちできない。
対人戦闘に特化した能力――それもまた、タフな対魔物が基本となる現代において【暗殺者】が疎まれる原因でもある。
だから、威力を乗せる。
足し合わせるのではなく、乗算だ。
「すうぅ……ふぅ」
深呼吸。
グリフォンの上で振り回されながらも、意識を研ぎ澄ます。
暗殺者をはじめとする物理職とて、何も試さなかったわけではない。
刃に魔法を付与することは誰だって思いつく。
けれど無理だった。下級魔法はどこまでいっても下級魔法のまま、戦士が魔法使いに匹敵することはなかった。
それは歴史が証明している。
だから誰もが諦めて、この世界は魔力がすべてになった。
けれど――僕は諦めたくなかった。
だって、守りたい人がいたから。
今は遠くとも、力を求めたあの日の願いは変わらない。
だから、考え方を変えた。
主役は刃ではなく、あくまで魔法。
刃に魔法を乗せるのではなく、魔法を刃で走らせるのだ。
こうして本物の魔物に試すのは初めてだけれど――魔法で作り出した風を、振るう銀刃の軌道によって、限界まで加速させるこの手法ならば――!
「風刃斬首ッ!」
風の刃を呼び出し、ナイフを振り上げ、首に突き刺す。
銀色の刃が風と絡まり合い、魔力の奔流は威力を増す。
そして次の瞬間――ズバンッ! とグリフォンの首が撥ね飛ばされた。
「はへ?」
断末魔もなく、弧を描きながら落下していく魔物の頭部。
僕がしがみついていた体も急激に高度を下げ、どさっと地面に落ちた。
落下中に離脱した僕は、少し遅れて着地する。
「す、すごい……です。暗殺者が、あんな、一撃でグリフォンを……私、夢でも見てるんでしょうか……」
リザードは足を止め、少女は呆然とそうつぶやいた。
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