020 執事たるもの
間違いなくミーシャとの出会いは、僕にとってチャンスだった。
しかしその提案を受ける前に、一つだけはっきりさせておかなければならないことがある。
「ミーシャさん、僕に執事になってほしいとのことですが、それは不可能です。なぜなら僕たち執事は、この服を纏っている限り、死ぬまで契りを交わした相手の執事なのですから」
「そんなっ、ちょっとだけでいいんです! せめて、この街を見て回る時間だけでもっ」
「いいえ、何があっても執事になることはできません。ただし――あなたの護衛を引き受けることなら可能です」
「……え?」
「執事にはなれません。しかし冒険者として護衛は可能だと言っているんです。それでよければお受けしますが」
「そ、それでよろしいですっ!」
「しかし良いんですか? 出会ったばかりの冒険者に、そんな無茶なお願いをして。相手が人さらいだったらどうするつもりなんです?」
「え? だって、執事服を着た人に悪い人はいないって、ヴァイオラ――私の執事が言ってましたからっ」
ヴァイオラ――そうか、あの執事はそういう名前なのか。
あの歩き方、そして隙のなさ、おそらくは師匠の弟子の一人だろうけど、聞いたことない名前だな。
僕と別れたあとに取った弟子なのかな。
「クリスさんクリスさん」
キャミィが近づいてきて、ミーシャに聞こえないよう、小さな声で話しかけてくる。
手に持っているハンカチはよだれでべちゃべちゃだった。
「本当にそんな安請け合いしちゃっていいんですかぁ? 私というかわいい女の子を侍らせておきながら」
「ちゃんと考えた結果だよ。あと侍らせてはないと思う」
「ですが、仮に彼女が勝手に抜け出してきたとしたら、キルリスや、彼女の執事であるヴァイオラと敵対してしまうのでは……」
「相手が執事なら、話せばわかってくれる。それにもしものときは――」
「……クリスさんがまた悪い顔してます。ゾクドキするので予告無しでは禁止と言ったはずですが」
しまった、またそんな顔しちゃってたか。
ミーシャの前では見せないようにしないと。
僕だって、彼女を人質にするような展開にはなってほしくないって、本気で思ってるから。
「あのぉ、クリスさん?」
「ああ、すいません話し込んでしまって」
「いいえ、ところでそちらの商人さんのお名前はなんと?」
「私はキャミィ、あなたのライバルになる女です!」
「らいばる?」
「気にしないでください、こんな感じでちょっとおバカな子なんです」
「おバカ!? クリスさん少しずつ私の扱いが雑になってませぇん!?」
そうかな。そうかもしれない。
雑なぐらいのほうがキャミィが活きる気がするんだよね。
「ふふふ、とっても愉快な方なんですね。よろしくおねがいします、キャミィさん」
「愉快という評価も釈然としませんが、ライバルなのでこれぐらいバチバチしてた方がいいんでしょうね。ですが忘れないでください、クリスさんの隣は私の定位置だということを! たとえあなたがどれだけ美少女お嬢様でクリスさんみたいなイケメン執事にふさわしかろうとも、その地位を譲るつもりは――」
「いいから早く握手してあげなよ」
「……はいごめんなさい」
急にしおらしくなって、ミーシャの手を握るキャミィ。
あれだけまくし立てられたら『この人やばいですわ』ぐらいなりそうなものだけど、ミーシャはにっこりと微笑むばかり。
かなり出来たお嬢様みたいだ。
よほど高貴な家の出だと思われる。
黒の王蛇と関係があるということは、領主ジョシュアの関係者――
「ところでミーシャさん、ファミリーネームはなんていうんですか?」
「え……えっと、あまりヴァイオラには言わないほうがいいと言われているんですが……せっかく守ってもらうのに、教えないのは不誠実ですよね。マリストールです。ミーシャ・マリストールといいます」
「マリストールってあの……領主様の?」
「ジョシュア・マリストールは、私のお父様です」
「どっひええぇぇぇぇえっ!? クリスさん、聞きましたか!? この子、スーパーロイヤルですよ! うっ、眩しい! 急に輝いて見えるっ……!」
キャミィほど大げさではないけれど、さすがにこれには僕も驚いた。
まさか領主の娘だったなんて。
なるほど、どうりで幹部が直接迎えに来てたわけだ。
これは思っていたよりも――近道ができているのかもしれない。
◇◇◇
自由を得たミーシャ。
彼女が望んだのは、実に単純なことだった。
「私、色んな街を巡って、その先々にある建物や、生活する人々を見て……あと美味しいご飯を食べたいんです!」
たぶん、最大の目的は一番最後だと思う。
けれど前二つも、領主の娘としての責任感なのか、思っていたよりも真面目に観察しているようで。
ティンマリス出身のキャミィに案内されながら、色んな名店をめぐる中、ミーシャはその都度、そこで働く人々の姿をしっかりと観察していた。
物腰柔らかで、平民を見下すこともしない。
一挙手一投足に上品さ溢れているのに、貴族特有の近づきにくさもない。
「ほれ、ほいひぃれふよへ?」
「はひっ、ほひひぃへふぅ」
キャミィともすっかり意気投合して、二人はご当地グルメに夢中だ。
いや――
「リー君もおいしいですよね?」
「クエェェェェエッ!」
あの飼い主に似て鳴き声が大きいリザードも含めて、二人と一匹か。
リザード車にはどんどん“おみやげ”と称した食べ物が増えていく。
ミーシャは最初こそお金を持っていないと申し訳無さそうにしていたが、キャミィが実に楽しそうにガンガンおごるので、途中からは遠慮も消えた。
「いくらお金があるからって、買いすぎだと思うけどね。この量、一体誰が食べるんだか」
たぶん僕だ。
いや、キャミィたちに悪気はないのだが、最終的にそうなる――そんな気がしていた。
だから今は何も食べずにセーブしている。
もっとも、美味しそうに色んな食べ物を頬張るミーシャとキャミィを見ていると、こちらの心だけでなく、お腹もいっぱいになってしまうのだけれど。
◇◇◇
夕方を過ぎ、空に夜の兆しが見えはじめた頃。
キャミィによるティンマリス名所巡りツアーは終わりを迎えた。
どうやら適当に回っているようでいて、ちゃんと時間配分まで考えていたらしい。
こういうところは、さすが【商人】といったところか。
案の定、リザード車には十人分ぐらいの食事が山盛りになっており、満腹になって冷静になった二人はそれを見て苦笑いを浮かべていた。
さすがにこの量は僕でも食べきれない。
僕らの乗るリザード車が、宿の前に止まる。
ひとまず、部屋に持ち込んでから考えることにしよう。
「流れでここまで来ちゃいましたけど、ミーシャはどうするんです? この街を見て回るっていう目的は果たしたわけですよね」
「……はい」
「ヴァイオラって人、心配してるんじゃないですか?」
「それはそうですが……」
ミーシャはうつむきながら、ぷくっと膨れ上がった。
どうやらヴァイオラという執事とは、結構な喧嘩をして出てきてしまったらしい。
主をここまで怒らせるとは、執事失格なやつめ。
「今晩は、一緒に泊まっちゃいけませんか?」
上目遣いでうるうると瞳をうるませながら、ミーシャは僕に頼み込む。
彼女に仕える執事なら、一発で落ちる必殺技だろう。
「私は別にいーですけど……クリスさんは?」
「僕も構わないよ。ただ、それをヴァイオラが許してくれるかが問題だけど」
「許すか許さないか、決めるのは私ですっ! ヴァイオラは……どうせ私の意見なんて聞いてくれないんですからっ」
「確かにそうですね。熱くなると、周囲が見えなくなるタイプの執事のようです」
僕は闇夜を見上げ、ナイフを握る。
そこには、先ほどまで居なかったはずの執事服の女が立っていた。
「ヴァイオラ!?」
「そう……お嬢様を誘拐したのは、やっぱりあんたたちだったのねッ!」
「待って、ヴァイオラ! これは私が頼んでっ!」
「問答無用ッ!」
話は通じそうにない――迎撃するしかないか。
僕は戦いに巻き込むことを避けるため、ミーシャとキャミィから離れる。
屋根から飛び上がり、こちらに接近してくるヴァイオラ。
グローブは付けているけれど、移動スキルの使用はなし。
つまり【武道家】ではない。
そもそもミーシャは、まだ啓示の日を迎えておらず、職業も不明。魔法も使えない。
その護衛として付けられた執事が、魔法を使えないとは考えにくい。
つまりディヴィーナ同様、あのグローブは魔法を補助するための武器か。
まずは相手の力を確かめ、そして僕が【暗殺者】だと知らせるために、投擲で様子を見る。
スキル[スカイフィッシュ]を単発で発動――するとヴァイオラはニィッと笑い、防御する素振りすら見せずにそれを受けた。
肩に命中したそれは、魔力障壁に弾かれる。
「近接職風情がさあァッ!」
ヴァイオラは僕と接敵する直前に右腕を前に突き出す。
まだ触れ合うには早すぎるタイミング。
魔法の発動も、魔力を纏った様子もなく、このままでは拳を空振りするだけだ。
あり得るのか、そんなことが。
それとも何か、あのグローブに仕掛けが?
「クリスさんっ、避けてぇっ!」
ミーシャが叫ぶ。
もちろん僕だって警戒はする、このまま何もせずに受けるつもりはない。
スキル[アサシンダイヴ]の発動、ヴァイオラの空振りを誘発させ、彼女の背後に回る。
直後、その拳が空を切ると――触れていない、少し離れた場所にある石畳が、鋭利な刃物で断たれたように分かたれる。
そしてナイフを振り上げる僕のほうを横目で見ると、左手の指をぴくりと動かした。
右腕に纏わりつくような悪寒を感じる。
見えない――けれど“何か”が来る!
とっさに体をひねり、攻撃を中断。
するとやはり、何かに斬りつけられたような傷が、僕の手に複数生じた。
「避けられた!?」
「っ――!」
あのまま攻撃を続行していれば、おそらく僕の腕は細切れになっていたんだろう。
トリックを見抜くまでは、接近戦を挑むのは危険だ。
僕は着地と同時に後ろに大きく飛び、距離を取る。
一方でヴァイオラはゆっくりとこちらを向くと、殺気に満ちた眼差しでまっすぐに僕を睨んだ。
「やるわねあんた。ま、所詮は【暗殺者】だけど」
「その動き……その執事服……あなたも師匠の教え子なのかな?」
「ええ、ベアトリス師匠のね。あなた、名前は?」
「クリス」
「……クリス!?」
なぜか僕の名前を聞いて驚くヴァイオラ。
しかしすぐに、元の目つきに戻り――いや、さっきよりも憎悪が色濃い。
僕ってば、知らないうちに彼女の恨みでも買ってたっていうの?
屋敷から出たこともないし、ヴァイオラと会ったこともないのに。
「師匠の最高の弟子……今まで教えてきた中で一番の天才……ふふっ、笑わせるわね。まさかそれが、あんたみたいな役立たずの【暗殺者】だったなんて!」
「師匠、そんなこと言ってたんだ」
僕のことは全然褒めてくれなかったくせに。
「あの人がどう言おうと関係ない。物理職が私に勝てっこないんだから。今ここで、最高の弟子の称号を奪い取ってあげるわ!」
ヴァイオラは、さらに戦意を強めて僕に迫る。
その気迫は、師匠の弟子なだけあって大したものだ。
でも……最初の目的、お嬢様を助けるためじゃなかったっけ?
執事の本分を忘れた相手に、僕は負けるわけにはいかない!
面白かったよ、先が気になる! と思っていただけたら、下のボタンから星を入れてもらえると嬉しいです!




