019 内なる神
僕とキャミィは、ニール先生の診療所を訪れた。
ひとまずここで、魔薬について詳しい彼の見解を聞いておきたかったのだ。
「薬の服用者が、魔物になっていた、ですか……」
ニール先生は、僕らが向かいの椅子に座ると、スクルタさんにコーヒーを淹れるよう指示した。
彼女は相変わらず無表情に、何も言わずに台所へ向かった。
そのとき、ふと視界に入った先生のデスクの傍には、大きめの鞄が置かれていた。
昨日はいなかったし、往診のために遠出していたのかもしれない。
「腕に赤い筋が浮かんだり、頭部だけになっても、蜘蛛のような姿になってまだ戦おうとしてたんです」
「……それはおぞましい光景ですね。多数の冒険者が犠牲になった事件が起きた、とは聞いていましたが。ですが、ありえない話ではないのかもしれません」
「というと?」
「一説によると、魔物は“外部”から魔力を受けた動物が変異したもの、と言われています。魔法生物系の魔物に至っては、無機物が魔力を受けて変異したものとも」
「あっ、私知ってます。確か魔導タワーが発している魔力波が影響したんじゃないかって言われてるんですよね!」
魔導タワーというのは、都にある大きな塔だ。
主に離れた場所同士で通信をするために作られたものだけれど――
「都市伝説みたいな扱いを受けていますが、私もその説は正しいと思っています。むしろ無限貌は、そのためにタワーを設計したのではないかと思うぐらいに」
「無限貌……キャミィも以前、その名前を出してましたが、確か世界で最も優れた【賢者】、でしたっけ」
「はい、その通りですっ。無限貌は戦時中、まだ今ほど魔法使いが重宝されていなかった時代に、超強力な魔法を使って国を救ったと言われるスーパーヒーローなんですよ? 年齢不詳、性別不明、無限貌って名前も本名ではなく、現れるたびに顔も体も変わるので、そういう風に呼ばれるようになったらしいです」
キャミィに言われて思い出す。
そういえば、そんな話を屋敷にあった本で、幼い頃に読んだことがある。
「よくそんな怪しい人を魔導タワーなんて重要なものの建設に携わらせたね」
僕が抱いた感想は、その当時と何ら変わらなかった。
怪しい。ひたすら怪しい。
僕がそう言うと、ちょうどスクルタさんがコーヒーとお菓子を運んできた。
「あはは、確かにクリスさんの言うとおりですね。ですがあの施設は、無限貌でなくては設計すらできなかったと言われているんです。それに、あの塔が魔物が現れた原因というのは一つの説であって、確定しているわけではないんですよ」
「でも先生はそれを信じているんでしょう?」
「ただの素人の妄想です。私はあくまで心のお医者さんであって、魔法使いですらないのですから」
「せんせー、謙遜しないでください。間違いなく魔薬に関しては、せんせーが一番詳しいと思ってますからっ」
「まず調べている人間がほとんどいませんからねぇ……何にせよ、無限貌やタワーはあくまで一説。今の問題は、そんな薬を広めていると確定している黒の王蛇でしょう」
ニール先生の様子だと、薬を使った結果、人間が魔物化することに関して彼は何も知らないようだった。
確かに、二年以上前に薬を飲まされたキャミィの両親は、心こそ変質したものの、体に変化は生じていない。
魔法使い以外にも効果を発揮する薬を使われた――そんな例外だからだろうか。
いや、五年前に飲まされたであろうリーゼロットが変わっていないのだ、時間の問題ではないのかもしれない。
量か、種類か、個人の素質か……これがはっきりすれば、僕が彼女を救えるタイムリミットもわかるのだけれど。
「そうだせんせー! 実は私たちですね、黒の王蛇の幹部に勧誘されたんですよ!」
僕が黙り込んでいると、キャミィはキルリスのことを話はじめた。
別に隠す必要があることでもない。
僕は止めずに、彼女に話を続けさせる。
「キルリスっていう、大きな斧を持った物騒な巨乳なんですけどね!」
「きょ、きょにゅ……いけませんよキャミィ、あまりそういうことを言っては」
「事実ですから。それでその巨乳が、私たちと手を組まないかって言ってきたんです」
「黒の王蛇の幹部がですか? どういった理由で?」
「薬を使うのに、あんまり賛成してない感じでした。本気かはわかんないですけど」
「……薬物というものは、組織内部にも蔓延していくもの。中には破滅する者も出てくるでしょう。そういった末路を見ていれば、黒の王蛇に、魔薬に対して反感を抱くものがいてもおかしくはない」
「では、先生はキルリスが本気だったと思いますか?」
僕が聞くと、ニール先生は「うーん」とうなり、腕を組んで考え込む。
僕も安直に助けを求めすぎたかもしれない。
こんなことを聞かれたって、先生も答えなんてわかりっこないのに。
ただ――意見は聞いておきたいわけだけど。
「組織の中での派閥争いだと考えれば、十分にありえる話でしょう。クリスさんはどう考えていますか?」
「僕も同感です」
「本気ですかクリスさんっ!? あいつやばい目してましたよ! あと胸も!」
「うん、やばいのはわかる」
キルリスが僕に『殺しを楽しんでる』と聞いてきたのは、おそらく彼女自身がそうだったからだ。
同族を求めて、あるいは同じ匂いの人間を探して――そういう、純粋な好奇心。
薬物を広めて人々を堕落させようとする人間とは、趣の異なる悪。
「だからこそ、信用できるんじゃないかと思って」
「クリスさんも大概やべーやつだったです……」
「それぐらい思いきらないと、前に進めないから。ありがとうございますニール先生、参考になりました」
「いやいや、でも本当に僕なんかの意見を参考にしちゃっていいのかい?」
「元々、踏ん切りが付かないだけだったので。決めたのは自分ですし、どんな結果になっても、僕の責任です」
「あと、せんせーほど魔薬に詳しい人もいねーですから。もっと自信を持っていいと思いますよ?」
「あはは……そればっかりは、昔から染み付いた性分だからねぇ。今さら変わらないよ」
弱々しく笑うニール先生。
彼は自信がないというより、人が良すぎるんだと思う。
キャミィの両親の治療も、ほとんど無償で引き受けてるようなものだし。
◇◇◇
診療所を出たあと、再びキルリスに会うため、僕らはギルドに戻ることにした。
もしも彼女が冒険者として登録されているのなら、フィスさんから情報を得られるかもしれないと思ったからだ。
その道中、通りを歩いていると、露店の店主と揉める女の子と出くわした。
「困るよあんた、まさか金も持ってないなんて」
「ご、ごめんなさい……持っていると思ったんですが」
「で、どうするんだ。このまま衛兵に突き出してもいいんだぞ?」
「お金を取りに行ってはいけませんか?」
「そう言って逃げるつもりだろう。あんた、見たところいい家のお嬢さんみたいだが――」
男は少女を品定めするように観察すると、下品な笑顔を浮かべた。
風向きがよくないな。
まっとうに衛兵に突き出すだけなら見逃してもよかったけど。
「あんなお嬢さんが食い逃げですか。世も末ですね」
「あの子……」
「あ、もしかしてクリスさん、助けるつもりですね!? そうやってまた女の子の好感度を稼ごうとしているんですねぇっ!?」
「さっき、執事やキルリスと一緒に歩いてた子だ」
「へ? ああ……言われてみれば、ドレスが同じですね」
どうせ助けるつもりだったのだから、それが黒の王蛇の関係者であれば都合がいい。
僕は怯える彼女の背後から近づき、すっと小金貨を男に差し出した。
「……あぁ? 何だお前」
「お代です。これぐらいあれば十分でしょう?」
「あなたは……」
「へっ、知らねえ男の金なんざ受け取れねえな。俺はこの子とお話するので忙しいんだ、とっとと消え――」
ヒュオッ、と男の耳元をナイフが通過し、背後の壁に突き刺さる。
彼の頬がわずかに切れ、うっすらと傷に血が浮かんだ。
「う……」
「お釣りは必要ありません、受け取ってくれますか?」
「わ、わかった……受け取る。受け取るからどこか行ってくれぇっ!」
僕は男に微笑みかけると、少女の手を取ってキャミィの元に戻る。
少々荒っぽくなったけれど、あれぐらいなら衛兵に報告されることもないだろう。
なぜかキャミィはハンカチに噛み付いて「むきゃー!」と悔しがっているけれど、今は流す。
「あ、あの……ありがとうございます、執事さん」
「当然の人助けをしたまでです。僕の名前はクリス、あなたは?」
「ミーシャといいます」
「ミーシャさんですか、良い名前ですね。貴族の方とお見受けしますが、従者とはぐれてしまったのですか?」
そう尋ねると、ミーシャの表情がふっと曇った。
訳ありか。
「実は私、自由になりたくて、執事と一緒に家を飛び出してきたんです。ですがその執事が、この街に来た途端に『外に出てはいけない』と言い出して」
「それで仲違いしてしまったのですか?」
「はい、そういうことです。あの……クリスさんは、あのハンカチを食べてらっしゃる女性に仕えているんですか?」
「いいえ、そういうわけではありません。僕は今、この街で冒険者をしていまして、彼女は一緒に組んでいる商人です」
「あら、そうだったんですね。でしたら、仕える主は?」
「魂を捧げた主はいます。ですが故あって、今は離れて行動している次第です」
「そう、ですか。あの、よろしかったら――」
ミーシャは不安げに揺れる瞳で僕を見つめる。
そして胸元に手を当てながら、ためらいがちに言った。
「少しの間だけ、私の執事になっていただけませんか?」
思ってもみない提案。
僕は驚くと同時に、思案を巡らせる。
元々、キルリスと手を組もうとしていたのだ。
彼女に恩を売っておくことは、決してマイナスにはならないはず。
だがあまりにも想定外すぎる――この流れが吉と出るか凶と出るか、この場でその結果を見定めるのは難しく。
軽く意見を求めようとキャミィのほうを見たけれど、彼女はハンカチの咀嚼に夢中で、それどころではなかった。
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