012 クレイジー×クレイジー
キャミィの案内で走る僕は、ほどなくしてディヴィーナに追いついた。
彼女は“たまり場”と言っていた場所の近くにある建物の前で立ち止まっている。
かと思えば、その建物の裏側に回り、窓枠やパイプを使って屋根の上に登りはじめた。
「とてつもなく不審者ですね」
「あの上から、例の場所が見張れるの?」
「位置としてはそうなるはずです」
焦って飛び出した割には、まずは様子を見るだけの理性は残っているのか。
ひとまずは、僕らも同じ場所で身を潜めるしかない。
キャミィを抱えたまま、僕は屋根の上に飛んだ。
「ふひゃあぁぁああっ!?」
「しっ、気づかれる」
「はぁ、はぁ、だったら前もって言ってくださいよぉ……しっ、心臓が爆発するかと思いましたぁ!」
「ごめん、次から気をつける」
そう言って、彼女を屋根の上に下ろす。
なぜか不満げだけど、今は構っている余裕はない。
ディヴィーナは目の前に現れた僕を、少し険しい表情で見つめていた。
「……やはりできるな。伊達にその服は着ていないらしい」
「執事としては、これぐらいはできないとですね」
「えっ、えっ? 執事って全世界的にそういう認識なんですか?」
「今ほど魔法使いが絶対的な存在ではなかった頃――【戦士】や【武道家】などの物理職を極めた人間は、貴族のボディガードとして重宝されていた。しかし、武器を持った物騒な人間が、高貴なお方の近くに立っているわけにもいかない」
「その通りです。ゆえに、防御力に優れ、かつ服の中に多数の武器を隠し持つことができる執事服が開発された」
「つまり、執事とはかつて、最強の人類を指す言葉だったと言っても過言ではないわけだ」
「はえぇ……そんな歴史があったなんて……」
「僕のこれは、当時の真似事に過ぎませんが」
「いいや、今朝の投げナイフといい、魔力障壁を突破する力といい、君は十分に執事を名乗るのに値する人間だと私は思うよ。並の魔法使いでは相手にもならないだろう。戦うのなら、相応の覚悟が必要だ」
「まるで僕とやりたいと言っているように聞こえますが」
「ははは、覚悟が必要だと言ったろう? それに今の私では敵わないさ」
「なんだか、私にはついていけない世界が展開されています……世界は広いんですねぇ」
「今はそんな存在が味方でいてくれて心強いよ。クリス、キャミィ、あそこを見てくれ」
ディヴィーナは、少し離れた場所にある、建物に囲まれた広場を指差した。
設置されたライトに照らされたその場所には、ガラの悪そうな冒険者たちが集まっている。
「黒の王蛇の集会ですね……絵に描いたような悪そうな人たちが集まってます」
「だけど見た限り、そこまで強そうな冒険者はいない」
「ああ、ランクで言えばFからDまでの集まりといったところか」
「でも一人だけ――格上が混ざってるね。あの赤くて長い髪の女性……」
「髪の色がディヴィーナさんとそっくりですね。あれが妹のリジーナさんですか?」
「ああ、間違いない」
リジーナは広場の中央で、他の男たちと並んで立ち、何かを待っているようだ。
取り囲む冒険者たちもまた、彼らに何かが起きるのを、静かだが異様な熱気で見守っている。
「妹さんの冒険者ランクは?」
「私と同じBだが」
B……ディヴィーナも、B?
今朝、槍に纏っていた魔力の高さだけならBでも納得できる。
けれどそこに、僕の[スカイフィッシュ]を九発撃ち落とすだけの技量があれば、ランクAに届きそうなものだけれど。
「Bってことは、あの中ではかなり強いほうなんですね」
「だからこそ不安なんだ。このままリジーナが誰かに奪われて、遠くに行ってしまうのではないかと」
「ディヴィーナは、自分も黒の王蛇に入ろうとは思わなかったの?」
「クリスさん、とんでもないこと聞きますね」
「今日の焦りようからして、ディヴィーナの妹に対する愛情は相当なものだと思ったから」
ディヴィーナは目を細め、遠くのリジーナを見つめながら考え込む。
僕は、その遠くの光に、淡く照らされた横顔を見て、“強い感情”の存在を知った。
「考えなかったといえば嘘になる。だが、私には姉としてのプライドのようなものがあってな。私がリジーナに寄り添うのではなく、リジーナに寄り添ってほしいと願う気持ちとでも言うべきか」
「自分の側に引き寄せてしまいたい、と?」
「独占欲ですねぇ」
「幼い頃から、私たちは二人で生きてきた。両親も共に冒険者だったが、二人は依頼の途中で賊に襲われ命を落とした。それから世界に存在するのは、私とリジーナだけになったんだ。独占欲も湧くさ」
重く、深く、まるで泥沼のようではないか。
彼女の言葉、一つ一つに込められた想いは、きっと僕らがここで、耳で感じられる限界よりもずっと大きい。
「そこは、子供二人で生きていけるほど優しい世界じゃない。食いつなぐためにゴミを漁り、喉が渇けば泥水を啜り、時に似たような立場の他人と奪い合い、殺し合うことだってあった」
「けれど、啓示の日に人生は変わった、と」
「そうだ。二人で魔法使いになれた日、世界が初めて太陽に照らされたような気がしたよ。嗚呼、しかしそれは同時に、破滅の始まりでもあったのかもしれない」
「何かあったんですか?」
「世界が広がってしまったんだ。私たちだけの世界に、異物が入り込んできた。リジーナは、その異物に惹かれてしまった」
「ボーイフレンドができたんだね」
「それだけならいいさ。しかしその男は、黒の王蛇の一員だった。リジーナをそそのかし、私たちの関係を破綻させただけでなく、彼女の人格を薬で穢そうとした。おかしいだろう。リジーナを穢していいのは私だというのに」
「……はい?」
キャミィは『聞き間違いですかね?』と聞きたそうに僕のほうを見た。
僕は首を横に振る。
ああ、まったく、僕としたことが、ちょっとばかし読みが甘かったか。
とはいえ、どうしようもないよ。
このタイミングで黒の王蛇が僕のことを察知していたのだとしたら、それはつまり、例のグリフォンを倒したことでも、雑魚魔物を殲滅したことでもなく――屋敷から出た時点で、すでに彼らに情報が渡っていたと考えるべきなんだから。
「裁かなければならないと思った。私たちの世界に入り込む異物は、異物らしく無残に死ぬべきだと」
「こ、殺したんですか? リジーナさんのボーイフレンドを」
「ああ、殺した。まずは足を突き刺した。次に手を突き刺し、身動きが取れないようにした。凍りついたズタボロの手足を害虫のようにばたつかせ、涙声で命乞いをしながら這いずり回る姿は、それはもう滑稽だった」
「あのぉ、私、そこまでは聞いて……」
「だがまだ動けるということは裁きが不十分だ。次に耳を落とした。鼻も削いだ。両目は最後に潰した。視覚による拷問は効果的だからな。しかし目が見えない状態もそれはそれで恐ろしいものだ」
「ですから、そんなグロい話を聞かされても困ると言いますかっ!」
「キャミィ、こっちに」
僕はキャミィを抱き寄せ、ディヴィーナから距離を取った。
右手に短剣を構え、その切っ先を彼女に向ける。
「やだクリスさん、大胆……」
目をハートにしてる彼女はもう無視しよう。
その度胸があれば、僕が心配する必要もないだろうから。
「そして私は突き刺したんだ、その男を。何度も、何度も、何度も。けれど気は晴れなかったッ! むしろその男が死んだことを呪ったッ! なぜ死んだ! 私はまだ罰をくだせていないのに! 必要な裁きはッ! まだ満たされていないというのに、なぜ、なぜェッ!」
「ひいぃっ、あの人おかしいですよぉっ、サイコパスです!」
「本当にそうかもね」
少なくとも、頭がイカれているというキャミィの言葉は正しい。
ディヴィーナは顔を上気させ、うっとりした表情でリジーナを見つめていた。
そのリジーナは、歩み寄ってきた男から渡された薬を、口に放り込み飲み込んでいる。
「救わなければならない……助けなければならない……リジーナは、リジーナは私のものであるべきだッ! だから誰の手にも届かない場所でっ、血の繋がった私しか関係を結べない存在へと!」
ディヴィーナの瞳が赤く光る。
一方で、広場ではリジーナがうずくまり、苦しんでいた。
その腕には血管のように赤い筋が浮かび、光を放っている。
「ど、どどっ、どうなってるんですかこれぇっ!」
「魔薬の効果かな」
「でもディヴィーナさんの薬は一時的なものだったのでは!?」
「その前から使ってたとしたら?」
「え……あ、もしかして、最初から黒の王蛇の手下だった!? で、でも薬でこんなことになっちゃうんですかぁ!?」
「人の心を操るためだけに、魔石なんて高価なものを使うなんてもったいないから」
「副作用!」
「むしろ、こっちのほうが本命なのかもしれない」
魔石による魔力の強化。
しかし許容量を超えた魔力を与えられた人体は、変異を起こす。
溢れ出した魔力が血液に溶け込み、発光。
全身に模様が現れる。
また、体に満ちた魔力は一時的とはいえ、身体能力の破滅的向上を実現する。
しかしここまでいくと、理性は崩壊し、凶暴性を発露し、そして二度と元に戻ることもないのだろう。
誰が、どんな目的でこんなものを作り出したのかは知らないけれど――
「そしてクリス・ティヴォーティ、お前はそれを邪魔する存在だ。私たちだけの世界に至る道を阻む敵だッ!」
「どうしてそこでクリスさんがっ!?」
「そう言い聞かされてるんだろうね、黒の王蛇の幹部あたりに」
「普通、それを鵜呑みにしますぅ? ていうか何か言ってることが矛盾してません!? 異物とかいいながら黒の王蛇の構成員がずらっといますしぃ!」
「矛盾していようと、お前が邪魔だから、リジーナを救うためにお前を殺さなければならない! たとえ異物の力を借りてでも、悪質なる異物を取り除くために、この場所でぇlッ!」
「わけがわかりませんよぉっ!」
「理屈などどうでもいいッ! お前を殺す、お前を殺す、お前はリジーナを穢した人間だ、リジーナの初めてを奪った人間だ、そうだ、そうに違いない、そうに決まっている! お前のせいで、お前のせいでリジーナはあぁぁぁぁあああッ!」
ディヴィーナは槍を握り、僕に向かって突進してくる。
その穂先に渦巻く氷の魔力は、今朝見たものとは比べ物にならない。
「うひえぇぇぇええっ! 来ますっ、来ますよクリスさぁーん!」
涙声のキャミィをそこに置いて、[アサシンダイヴ]を発動。
僕の姿はそこから消え、気づいたときにはもう手遅れ。
背後から風刃斬首で首を狩らせてもらうッ!
「遅いんだよ異物がぁッ!」
「なっ――」
もう振り返った!? まるでアサシンダイヴの発動を読んでいたみたいだ。
槍の柄で殴りかかってくるディヴィーナ。
魔力障壁を持たない僕は、それを食らえば氷の魔力と槍の打撃を一緒に食らうことになる。
だから――ナイフの柄で繰り出された槍を叩く。
風刃痛打、爆発的に生じる空気の流れは、僕とディヴィーナをそれぞれ真逆の方向に吹き飛ばした。
「クリスさんっ!」
キャミィが叫ぶ。
僕はその勢いで、リジーナたちのいる広場のど真ん中に着地した。
「ウ、ウウウゥゥウ……お姉ちゃん、お姉ちゃあぁぁぁぁああああんッ!」
リジーナの咆哮が、ピリピリと空気を震わせる。
黒の王蛇の構成員たちは、イカれた目をして拳を天に突き上げ、『ウオォォオオオッ!』と盛り上がった。
なるほど、確かにこれは儀式だ。
ただの傭兵団ではなく、薬のトランス効果のせいかすっかり心酔して、カルト宗教みたいになっている。
その声に呼び戻されてか、ディヴィーナは吹き飛ばされた場所からひとっ飛びでこちらまで跳躍し、私の前に着地した。
姉妹が並ぶ。
共に槍を構え、赤い髪を揺らし、紅の瞳を妖しく光らせながら、僕に殺意を向けてくる。
「相手は賢者リーゼロットの執事だ、一筋縄ではいかないだろう――そう聞いていたが、こうも容易く罠のど真ん中に飛び込んでくれるとはな」
「お姉ちゃん……お姉ちゃん……」
「ふふふ、いい子だリジーナ。とても素敵な姿になれたね。もう私しか見えないだろう? 私だけを愛しているだろう?」
「お姉ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃんの邪魔するやつは……殺さないと……」
「そう、そうだ。あいつを殺そう。あいつを殺せば私たちはまた元の形に戻ることができる。二人だけの世界に。なあに、案ずることはないさ。戦力差は圧倒的。きっとあいつも、本心では涙を流して逃げ出したい気分だろうから」
好き勝手言ってくれるなあ。
僕は自分の意思でここに飛び込んだっていうのに。
「ふっ、ふふふふ……あははははっ……」
「なぜ笑う、異物。気でも狂れたか?」
「『道は過酷であるほど近道である』――僕の師匠の言葉さ。屋敷を出てから僕が最も恐れていたのは、“何も起きないこと”だ。殺すべき悪がこそこそと隠れて、いつまでも尻尾を掴めないことだ」
全方位から敵意を向けられるこの状況――嗚呼、高揚する。
胸が躍り、体温が上がり、口角も自然とつり上がる。
数日前まで、何も出来ずに縛られていた僕とは違う。
無力感に臍を噛んでいた僕とは違う。
進める。切り開ける。“リーゼロットのために”生きられる。
これがどうして笑わずにいられようか。
「しかしお前たちはリーゼロットの執事である僕を過剰に恐れ、愚かにも姿を現した! だから泣く理由など一つもない。僕は撒き餌になれた。この理想通りの状況において、心から笑ってみせよう! ははははッ! あははははははッ!」
「相手もヤバいですが、クリスさんもかなりクレイジーです……でもきゅんと来ました!」
無論、挑発の意味もある。
薬で頭がイカれた彼女たちに、そのような作戦を使ったところでどれだけの意味があるのか、という疑問もあるが。
だがいつの間にか取り巻きの雄叫びは消え、冷たい敵意があたりに満ちていた。
誰かが弦を軽く弾くだけで、一斉に全員が飛び出してきそうな、火薬が粉塵となって舞い散る殺意の空間だ。
着火したのは――無論、その首謀者であるディヴィーナであった。
「異物が……異物が……異物が異物が異物がどこまでもぉぉおおッ! 死ねよぉぉおおおおッ!」
姉妹が同時に槍を振るう。
ディヴィーナの冷気とリジーナの熱気が絡まりながら僕に迫った。
そして同時に、周囲を取り巻いていた冒険者たちが、手を前にかざして、僕めがけて魔法を放つ。
開戦を告げる爆轟が、深夜のティンマリスを揺らした――
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