001 僕らが変わってしまった日
「今すぐ目の前から消えなさい! この屋敷から出ていって二度と目の前に現れないでッ!」
幼馴染兼、主であるリーゼロットは、執事の僕に向かってそう言った。
いつから僕らはこうなってしまったのだろう。
いつから変わってしまったのだろう。
何を後悔したらいいのかもわからないまま、僕は彼女と“分断”された日のことを思い出していた。
◇◇◇
この世界は、魔力ですべてが決まる。
なぜなら、魔力を使い作り出した障壁で、あらゆる物理攻撃が防げてしまうからだ。
昔とは違い、今はそこらに徘徊する魔物が、その障壁を持つ時代。
高い魔力を持つ職業である【魔術師】や【呪術師】はともかく、【戦士】や【狩人】のような物理攻撃を主体に戦う職業は、もはや時代遅れだ。
一年に一度、十三歳の少年少女たちが教会に集められ、神から“職業”という称号と、それに付随する“スキル”を与えられる。
啓示の日――それが、僕らの人生のすべてだ。
ほんの一日前までは平等に、親しい幼馴染として付き合っていた僕たちも、その日を境に何もかも変わってしまった。
「リーゼロット、おめでとう。君は【賢者】だ!」
「わ、私が……賢者、ですか」
「驚いたよ、まさか私が生きているうちに【賢者】の誕生を見ることができるとは!」
僕の幼馴染であるリーゼロットは、世界でも片手で数えるほどしかいないと言われる【賢者】になった。
最高位の魔力を持ち、ありとあらゆる魔法を自由自在に操れる、名実ともに最強の職業だ。
そして僕は――
「クリス、君は残念だが――【暗殺者】だな」
「暗殺者って、どんな職業なんですか?」
「魔法も扱えず、戦士のように力持ちでもなく、かつては人を殺すことを生業としていた、穢れた職業だよ」
リーゼロットとは対照的に、蔑まれる職業である【暗殺者】になった。
僕はあのときの、神父の見下すような目が忘れられない。
あのときの、周囲の憐れむような目が忘れられない。
ああ、でもあのときはまだ――リーゼロットだけは、僕のことを優しい目でみてくれていたな――
◇◇◇
それから五年が経った。
元々お嬢様だったリーゼロットは、【賢者】の強力な魔法でこの街を守り、英雄となった。
十八歳になり、彼女はとても美しい女性に成長していた。
金色の長い髪を揺らし、絹のようにきめ細やかな肌に女性は憧れ、時折浮かべる勝ち気な表情は男性を魅了する。
体つきは僕から見ても色っぽくて、なおかつ目には見えない――きっと魔力が生み出す“魔性”が感じられた。
彼女に守られているという事実だけで、住民は増えるし、優秀な人材だって集まる。
多少ばかり税を高くしても、『仕方ない』と受け入れてもらえる。
どんどん領地は大きくなり、賢者リーゼロットの名は国中に広まっていく。
一方で僕は、彼女のもとで、執事として働いていた。
一般的に、啓示の日を迎えた者は大人として扱われ、その職業に合わせた道を進むわけだけど、【暗殺者】になった僕を雇ってくれる場所なんてどこにもなかったんだ。
だからリーゼロットは、途方に暮れる僕に『かわいそう』と手を差し伸べ、屋敷で雇ってくれた。
「クリス、クリス! どこにいるの!」
「はい、お嬢様」
リーゼロットの声が聞こえたら、誰よりも早く彼女の前に参上するのが僕の務めだ。
「これ、面倒だから終わらせておいて」
そう言って、リーゼロットは僕に書類を渡す。
国から送られてきたもののようだ。
「かしこまりました」
本来、こういうものは領主本人がやらなければならない。
けどリーゼロットは、街を守るのに忙しいから、僕に任せるのだ。
「それと――このフロア、掃除が行き届いてないわね。あなたが全部やり直しておきなさい」
それは僕の仕事ではないし、どう見ても汚れてはいないけれど、言われたからには仕方ない。
……他の仕事もあるんだけどな、終わるかな。
いや、終わらせないと、今度は何を言われるかわかったものじゃない。
「……はい、かしこまりました」
「何よ今の間は。もしかして私の命令に不満でもあるのかしら?」
「いえ、そんなことは」
「あなた、わかってる? 【暗殺者】なんてどうしようもない職業、幼馴染である私以外は誰も雇ってくれないわよ?」
「わかっております。お嬢様には心から感謝しています」
「心がこもってないわ。本当にどうしようもないわね、あなたって。私がいなければ何者にもなれないくせに」
そういい捨てて、彼女は僕の前から去っていく。
窓から外を見ると、屋敷の前に馬車が止まっていた。
中には、友人である女性が乗っているようだ。
遊びにでもいくのだろうか。
時間がないというのに――僕はリーゼロットが馬車に乗り込むまで、その場でぼーっと外を見ていた。
「あの~……クリスさん、大丈夫です?」
そんな僕の背後から、メイドの女の子が話しかけてくる。
彼女は一年前からここで働き始めた新人で、最初は僕が教育を担当していたこともあって、よく懐いてくれていた。
「ああ、ごめん。平気だよ。少し考え事をしていただけだから」
「そう、ですか。何だか疲れているように見えたので」
「気のせい気のせい」
「よかったら少し休憩しませんか? 他のみんなと、部屋でお茶をしようって言ってたんですが」
「僕、これからここの掃除なんだ」
「掃除って、ここなら私が……あ、もしかして何か不備がありましたかっ!? それをお嬢様に!? だったら私が手伝います! いいえ、手伝わせてください!」
「そういうわけじゃないんだよ」
僕は力なく笑いながら言った。
「不備があったんじゃない。ただ、お嬢様は、僕にここを掃除してほしかったんだ。ひょっとすると、ここである必要すらなかったのかもしれないけど」
「それって……」
「他にも仕事があるから、申し訳ないけど行くね。誘ってくれてありがとう」
「クリスさん……」
笑顔で立ち去る僕は、背中に彼女の視線をずっと感じていた。
僕も、思うところがないと言えば嘘になる。
確かに【暗殺者】である僕を拾ってくれたリーゼロットには感謝している。
けど、僕らの関係は、すっかり幼馴染から“主と奴隷”のそれに変化していて――【賢者】になった結果として、リーゼロットはすっかり変わってしまったのだ。
『私ね、クリスとずーっと一緒にいたいの』
『え、クリスが私のこと守ってくれるの? 嬉しい、じゃあクリスは私の執事さんだね!』
『でも守ってもらうばっかりじゃいけないから……私は、たくさんたくさん、クリスに優しくする!』
思い出すだけ無駄だってわかってるけど、記憶は勝手に湧き上がってくる。
いいや、彼女だけじゃない。
以前は僕に優しかったご両親だって、権力に溺れて、魔力のない人間を見下すようになって。
こんななら、啓示の日なんてないほうがよかった。
ずっと子供のままでいたかった。
そう思わずにはいられない。
◇◇◇
僕は掃除を終えると、リーゼロットに渡された書類の処理に入る。
ちょうどそれを終えたタイミングで彼女は帰ってきた。
頼まれた仕事が終わったことを報告すると、他の日常業務がまだ終わっていないことを叱責された。
「どうしてそんなに使えないのかしら。あなた、ただでさえ【暗殺者】で使い物にならないんだから、せめて私の役に立ちなさいよ!」
よほどストレスが溜まっていたのだろうか、平手打ちもされた。
そして「手のひらが痛い」と睨みつけられた。
他の仕事をやっているうちに、夜が更けていく。
気づけば夕食の時間はとっくに過ぎていて、何か残っていないかと厨房を覗いた。
すると調理長は申し訳無さそうに僕に言った。
「今日も、お嬢様から、食事を出すなと命じられてんだ。すまねえ」
「……そうですか」
「でも、俺が個人的に持ってるパンなら、ここにあるぞ」
「遠慮しておきます」
「何を言ってんだ、これは屋敷には何の関係もない――」
「ですが、見つかればあなたが糾弾されるだけです。それに、一晩ぐらいならどうとでもなりますから」
そう言って厨房を去ろうとした僕に、調理長が言った。
「なあ、クリス……もういいんじゃねえか? お前、十分にやってるよ」
「何の話です?」
「お嬢への義理立てか何だか知らねえが、さすがに限度ってもんがあるだろう。任される仕事量だって他のメイドたちの何倍だ? それだけやれりゃあ、もっといい条件で雇ってくれるところだってある。俺が紹介してやるよ!」
「買いかぶり過ぎですよ。僕はそんなに大した人間じゃありません。魔力だって少ないですから」
「そういう問題じゃ――お、おいクリスっ! 俺の話を最後まで聞けっ!」
今度こそ、僕は厨房を後にする。
その直後、お腹がぐぅと鳴った。
僕はつい苦笑いをしながら、唇を噛み、自分の部屋に戻った。
扉を開くと、大量の書類が積み重なっている。
一番上には『朝までに終わらせておいて』とリーゼロットが殴り書いたメモが乗っていた。
「……今日も徹夜だなぁ」
思った以上に、うんざりとした感情が乗った声に、僕は慌てて口をつぐんだ。
誰もいないからって油断しすぎだよ。
リーゼロットがどこで聞いてるかもわからないっていうのに。
サクッと読める作品を目指したいと思います。
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