「三友 龍馬」三友財閥の御曹司の大学生
八丈島空港にあるレンタカー借りた車で島を一周しながら三友 龍馬は思った。東京の道を走れば、狭い道路、のろまな車に、邪魔な一般国民ばかりだった。邪魔ったら、ありゃしない。人のほとんどいない八丈島の田舎道を、薬でハイになりならが時速200Kmで飛ばしても注意する輩はいないが、さっきは道路で一人を轢き殺しかけた。
ここで一休みして、もう一発キメるか。それとも、このまま突っ走るか。時間はもう少しあるしな。予定時刻になれば、今いる八丈島から船に乗って「地獄島」に向かう予定だ。それにしても、「地獄島」に招待してきた安野雲兵衛というのは、何者だろうか。
「地獄島」を買える程の財力があるので、俺と同じく上流階級の上級国民に違いない。上流階級の元総理大臣や話題のベンチャー社長も参加するのだからな。
俺は、日本3大財閥の1つの三友財閥の御曹司として生まれ、幼稚舎から慶応大学までストレートに進学した。現在は慶応大学商学部2年生ではあるが、将来を約束されており、三友財閥の三友銀行にも内定が決まっている。
今回は三友銀行の頭取である五行 銀時からの直々のお誘いにより「地獄島」での「日本同時多発テロ事件」における「功労者の会」への参加が許された。「日本同時多発テロ事件」での「功労者の会」に参加するのに、俺は特に何か実績を出した訳でもないので五行銀時の付き沿いの役割だ。
俺は、昔に薬物をキメながら車を運転して事故を起こした・・・いわゆる「渋谷スクランブル交差点自動車事故」を起こしてしまった。御曹司の上級国民ではあったが、派手にやり過ぎたため、いつも通りのもみ消しが出来そうになかった。
しかし、「日本同時多発テロ事件」が起きたおかげて一般国民の関心がなくなり、無事にもみ消しが成功した。「日本同時多発テロ事件」には感謝したいと思う。免許証も無事で剥奪されることはなかった。
内定先の三友銀行の関連でいえば、「日本同時多発テロ事件」で新宿にある都庁に飛行機がぶつかり倒壊した。そのときに、都庁の三友銀行の賃貸契約した物件も一緒に倒壊したようだった。
しかし、「日本同時多発テロ事件」の一ヶ月前に都庁の一部の3階分を借り、崩落当日には改装のため従業員がいなかったらしく、三友銀行の被害者は出なかったようだ。さらに、賃貸物件の保険金によってかなり儲かったらしいことを噂で聞いた。そのため、三友銀行は事前に情報を知っていたため、金儲けをしたという陰謀説も出てきたようだ。
陰謀説といえば、一つ面白い話を発見した。
俺の家の禁書棚にある「日本歴史封印史」を読んでいたら、「地獄島」の記述を見つけた。「地獄島」は日本の市町村で最も人口の少ない村のある島として知られていたらしい。元総理大臣で四宗教の教祖である四宗竜王はここの村の生まれのようである。
「地獄島」の名前の由来は、108人いた村人全員が変死したようで、その光景が地獄絵図のようだったことから名付けられた。島の村の一部の人間には、流罪にされた皇族の血筋が流れており、幼児時代の四宗竜王は島での唯一生き残った人間であったようだ。生き残った後は皇族の「四宗家」の養子となり育てられたようである。
「地獄島」では実際に、伝染病が流行ったのか、誰かの手によって大量虐殺が行われたのか正確なところはよくわかってないらしい。
ネットで調べてみると、昔にあった噴火爆発によって村人は八丈島に避難したが、食糧難のため虐殺されたような歴史があった。そして、噴火により岩だらけの状態になり「地獄島」と呼ばれるようになったようだ。
現在の村の跡地に四宗竜王は邸宅を建てたということが書いてあった。きな臭い感じのある島だ。
「地獄島」に向かうための船の時間も迫ってきたので、空港にあるレンタカー屋に車を返却した。一人で早めに八丈島に来て、爆走運転を楽しんでいた三友龍馬は、少し疲れていたため、大きく伸びをした。
タクシー乗り場で前に並んでいた、どこかで見たことがある気もする強面おじさんを見つめつつ、空港から船の港に向かうタクシーに乗り込んでいった。