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夏は来ない。  作者: kaizuka
2/3

時計


【五月十四日 月曜日 午前九時十分】


 一時間目の授業中、全く集中していない俺は周囲をぼんやり見渡していた。


 自席は窓側の前から二番目、教室中を見渡すには悪くない席だった。


 俺は、すぐに見つけてしまった。


 俺の位置とは反対の最も廊下側。そして最前列の席に彼女はいた。


 机に突っ伏して顔も見えないが、どこか冷たそうな雰囲気と艶やかな長髪は彼女と断定するのに充分な要素であった。


 新学年始まって以来いまだ席替えのないこのクラスでは出席番号がそのまま席順になっている。

 つまり彼女の出席番号は一番。



 授業終了後、クラス名簿から彼女の名前は『雨宮桜』だと言うことが分かった。



 俺の胸中にはまだ僅かながら後悔があった。自己満足の正当化で彼女を追わず、こうして再び同じ日常に戻っている自分への嫌悪感をうっすら感じていた。




 しかし、それでも俺は彼女へと歩み寄ることは出来なかった。




【五月二十三日 木曜日】


 俺が彼女を認識してから、つまり彼女からの誘いを断ってから、彼女は徐々に学校を休むようになっていた。


 彼女が最後に学校に来たのは一週間前だ。


 いじめの影響だろうか。それとも他に原因があったのか。


 俺は自然と後悔に苛まれた。


 何度も何度も、声をかけていれば、背を向ける彼女を追っていれば……


 無意味にも過去の自分を責めていた。





 その日の帰り道、道端に妙な物が落ちていた。


「……ゴッツいな」


 思わずそう呟いてしまうほど、高級そうな妙に大きい腕時計だった。故障もしてないようで、カチカチと時を刻み続けている。

 その時計は秒針の後ろに〈0523 Thu 15:18〉と書かれている。携帯と時間を見比べた。全くズレはない。


「んー……」


 迷った。まず最初に自分の物にしてしまうという発想は出なかった。とりあえず交番に持っていこうと思うレベルで高そうだったからだ。

 だが、俺の家の周辺から最寄りの交番まではそれなりに距離がある。だから――


 今度でいいか。


 そう言い訳をしてブレザーのポケットにごつい腕時計を突っ込んだ。






【五月二十四日 金曜日 午後三時四十分】


 春らしい陽気が息を潜め、一転して暗い雨雲が漂っている。窓から空を見上げた途端、ぽたりと水滴がついた。


「皆さん、今日はお知らせがあります」


 ラストホームルーム中、担任がやや真剣な声色でそう発した。

 俺のクラスの担任は、若い女性で怒ることの滅多にない良い先生だと思う。

 先生は普段からやたらとニコニコしていてふわふわした雰囲気をまき散らしていた。


 その先生が、普段にはない妙な表情を浮かべていた。


 異常な雰囲気に教室は静寂となり、先生の次の言葉を待った。



 ザァーっと、雨が急に強くなった。



「先日、このクラスの生徒が亡くなっています」




 息が、止まった。




「雨宮桜さんが、亡くなりました」




「……どうして、ですか」


 静まり返った教室に、ザーッと雨音が鳴り出した時、女子生徒が口火を切った。


「……詳しいことは私の口からは言えません」


 彼女の言葉を受け、担任は視線を下げ小さく呟いた。


 呆然としている教室に、先生は続けた。


「通夜や葬式の日程はもう決まっているので、知りたい人は後で職員室に来てください」


 俺は、ただ聞くことしか出来なかった。


 激しく雨粒が打ち付ける窓に視界を移し、目を瞑った。


 現実を、受け入れたくなかった。


「それと」


 沈黙する教室に、先生はさらに続けた。


「何か、言いたいことがある人も来てください」


 その言葉は、今まで聞いた誰の言葉よりも強い意思を感じさせた。


 その時、俺は気づいた。


 俯く先生の目尻から、一筋の涙が落ちたことに。


「今来ないと、必ず後悔しますよ」


 その涙とは裏腹に、震えのないはっきりした声だった。


 俺は、理解した。


 俺の後悔なんて、ちっぽけなもので、なんの努力もしなかった俺には泣くことも出来ないのだと。


「今日は、掃除等は無しです。職員室で待っています」


 そう言い残して先生は教室を出た。


 ガタッとスライド式の扉が閉じられ、僅かに沈黙は続いた。



「……はっ、誰だよそれ」




 静まり返った教室に、ただただ不快なクソ野郎の嘲笑が響いた。


 俺は、顔も見ずに唇を噛むことしか出来なかった。





 帰宅して、制服のままベッドに寝転んでいた。


「……ごめんな。雨宮」


 そう呟き、現実を拒絶するかのように目を閉じた。







「望月君」


 俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。ぼんやりした意識の中で、んぅ、と口を開けずに唸った。


「ねぇ、起きて」


 その瞬間、気づいた。


 間違いない。彼女の声だった。

 反射的にベッドから体を起こし、周囲を見渡す。だが、彼女の姿は見当たらない。

 それどころか、壁すら見当たらない、辺り一面に真っ黒な世界が広がっていた。


 すぐに気づいた。


 これは夢なんだということに。


 だから、彼女はいない。もしここにいたとしても、それは……


 俺の都合のいい、妄想なのだと。


「違うよ」


 口に出していない思考が、その言葉に止められた。

 顔を上げると、見覚えのある艶やかな髪が視界に入った。


「……雨宮、桜」


 彼女は、知らぬうちにベッドに腰掛けていた。



 笑ってしまった。



 自身の、愚かさに。


 現実の後悔から逃れたいがために、こんな夢まで見て、どうにか過去の自分を正当化しようとするクソッタレな性分が、心底嫌になった。


 嫌すぎて嫌すぎて思わず頭を抱えた。


「望月君」


 そんな俺に、彼女は声をかけてきた。


「待ってる」


 その言葉の意味が分からず、思わず顔を上げた。


 そこには既に、彼女はいなかった。

 しかし、彼女がいた位置に一枚の紙が舞い落ちた。


 それには、印刷されたような綺麗な文字でこう書かれていた。


『後悔の時へ 失う物は何も無い』


 その紙を視認した途端、ブレザーの右ポケットからガガガガっといびつな音が鳴り響いた。


「な、なんだ!?」


 思わず声を出しつつも、ポケットに手を入れ音を出すそれを取り出した。



 音の正体は、拾った腕時計だった。



 俺の手のひらに収まってからもそれはいびつな音を立て続けている。そしてその時計はグルグルと逆回転していた。

 秒針が戻り、時針が戻り、背景の日付も目まぐるしく戻っていき――


〈0511 Fri 16:30〉


 時計がそう表示した途端、凄まじい白い光を放ち始めた。それと同時に激しい頭痛に襲われ、右手で頭を抑えた。


「く、くぁ、うぁぁぁ!!」





「っはぁ、はぁ、はぁ……」


 光と頭痛が収まり、目を開くと、見覚えのある光景が広がっていた。


 夕日の射す教室。校庭で熱心に練習を続ける野球部。そして――


「……どうしたの? 望月君」


 心配そうに顔を覗き込んでくる、雨宮桜。


「いや、何でも、ない」


 まだ困惑しているが、大体は理解していた。


 ――戻っている。


 柔らかな夕日の暖かさは、夢とは違う、はっきりしたものだった。



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