はじめに
こんにちは。
現代自由詩人の潮風 詩央です。
タイトルにも含まれている、"現代自由詩"という言葉は、潮風の造語で、いわば"普通の詩"を言い換えたものです。
普段、自分たちが書いている詩、はどのようなものなのか? それを考え、まとめたものが、このエッセイとなります。
基本的には、「なろう」内の活動報告や詩集で断片的につぶやいていた内容、それに加筆修正し、一つにしたものなので。
潮風のページを見てくれている詩人さん、読者さんには、真新しい理論はそこまでないです。そもそも特別なことを書いているわけでもないですけど。
(今回の軸となるレイアウト技法も、活動報告でちらっと先出ししていますので。ただし、この技法を加えたことで、詩の要素をまた練り直すはめになりました。なので、過去の活動報告と一部異なる箇所が出てきますが、矛盾ではなく、切り取る角度の違いとご理解下さい。)
と、ここまで語っておいてなんですが、この詩論は、むしろ今まで詩を書いたことのない、あるいは読んだこともない方に読んでほしいです。ほんとです。
理由は3つありまして、1つは単純にエッセイとしても楽しめる読み物にしたいということ。1つは潮風自身が、詩は誰でも書けると考えていて、詩作を全ての方におすすめしたいということ。1つはほとんどの詩人さんは、おそらく独学で詩を書かれているはずで、またそれが醍醐味でもあるということ。そもそもの詩作の本質として、他の人の詩論はあまり意味がないかもしれません。潮風がすごい詩を書けるならともかく、ヘタクソですので……。
ただ、だからこそ今回、詩論を書こうと思ったわけですが。もちろん普段詩を書かれている方も、何か再発見があるかもしれません。詩の定義に乗っ取った、普遍的で不変的な理論にしたいので、独自の変な理論は、明確に切り離して語るに留めるつもりです。
この詩論のテーマは"選択肢という可能性"です。
自分の書いている詩はこういう詩なんだ、もしくは、こういう詩もあるんだ、今度書いてみようかな。そう思ってもらえるようなポエムセオリーにしたいです。
まえがきが長いのも、潮風の詩集の特徴なのですが、最後に、初めての方もそうでない方もとっつきやすくなる魔法の言葉を唱えて、そろそろ次のページへと移りましょうか。
それではみなさん、
Here we go!!!!!(次頁へ→)
今日ライブ行きます。