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習作

作者: ねこ

 雨がぽつぽつと降り始めた。

 そういえば傘は持っていただろうか。

 小さな水滴が肌にあたり弾ける。

 天気予報では晴れだった気がした。

 朝、出掛けの間際、付けっ放しだったテレビから淡々とした声が聞こえていた。それは、今日の天気を解説していたと思う。

 内容は、あまり記憶にない。ただ晴れを告げていた。ような気がする。

 最近記憶が曖昧だ。整理しきれない感情に絡め取られるように、記憶もまたどこかはすぐに隠れてしまう。

 見つけるのに時間がかかる。見つからないこともある。部屋の中にはあるのに、ただ場所がわからない。見つける事ができない。

 もどかしさが空の手にいっぱいになる。


 傘は持っていただろうか。

 雨足は強まっていく一方で、ただぼうと歩いていた私の身体は冷たい雨に濡れ、冷えていった。

 背負ったリュックを前に持ち、チャックを開け、傘を探した。

 雑多な本や書類、無造作に突っ込んだ水筒や文具が手にあたる。

 細長い形状の何かを手にした。たぶん、傘だと思う。

 僅かに開けたチャックから手を抜き、そっと差し出すとそれはやはり傘だった。

 可愛らしい犬がデザインされた折り畳み傘。私には似合わないと、彼女からも散々指摘された。

 まぁ、雨が凌げれば、それでいいのだ。それに傘を見てもそれを差す人を見る余裕など、そうあるものでもない。

 傘を開く。

 頭上を小さな犬が走り回り、パタパタと音を立てた。

 駅に向かう。

 もう身体は濡れて、服は色が変わっている。

 傘を差す意味もないのかもしれない。

 暗い夜道を光が照らす。地面を覆う水面に反射し、少し眩しい。

 水溜りに足を差し込み映る光を砕いた。パシャリと音がして、波紋が揺れる。

 靴にじんわりと冷たさが侵食してくる。風邪を引いてもおかしくないかもしれない。帰ったらお風呂に入って身体を温めたほうがいいだろう。

 ふと、癖で、空を見上げようとして、跳ね回る犬を見た。そういえば、雨天を見たことがない。迫る雨粒をでいっぱいの空って、実際どんな風景なのだろう。

 上を見上げたまま、息を吐く。霧に染まる眼前を白い息が覆う。

 溜息を追うように私は道を歩く。

 家に着くのはいつだろう。きっとあの人は待っている、彼女に申し訳なく思う。

 少し歩幅を大きくとる。傘からはみ出た足元が、じっとりと黒く染まっていく。

 冷たさを忘れ、私は足をさらに早める。

 今はただ、彼女に会いたかった。

 そう思うだけで冷たさが遠ざかり、切なく愛しい暖かさが胸に満ちていった。

 彼女に、ただ会いたいのだ。

 私は傘を畳み、走り出した。

 雨はもう、気にならなかった。







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