普通の人とは
シンプル、という言葉に惹かれてしまう僕はきっと、周りの目や間違うことを恐れて生きてきたのだと思う。
間違いという認識は日々変わっていくもので、実際に今の社会の仕事に対する若者と高齢者の意見は対立に近い状態にある。
だから、歳を重ねじっちゃんばっちゃんになった僕達ゆとり世代は、その時代に生きる若き社会人の思想からは外れ、嫌われているのだと思う。
全員とは言ってないですけどね、と、こんな感じに指摘されてしまいそうな部分へ予め自分で解説を入れておく行為はインターネット全盛期を走る僕等の世代が身につけるべくして身につけたネット社会を快適に生きる術なのだと思う。
ここまで文字を打ち、僕は「思う」という表現を多用してることに気が付く。
「思う」というのはどこか第三者の目線で話を完結へと導いている、それはきっと自分自身が否定されることを無意識に恐れているのだと、僕は思う。
話題を最初に戻すけれど、僕は昔から無自覚に変わり者だったらしく、言ってしまえばイジメを受けていたこともあり、小さい頃から普通というカテゴリーにとても憧れを持っていた
それが影響してか、タイトルは忘れたけど、確か、シンプルなノートという意味が書かれたエッセイ本を中学生の頃に購入した。
その内容は最高につまんなかった、これだけはハッキリと記憶している。
でも、毎日のように手に持って登校してはブックカバーもせず、見せびらかすように常備して校内を歩いた。
それは、中学生の僕が必死に変わり者を否定する周りの目への反抗だったのだろうが、
そんなとこが変わり者だったのだと、今になって気が付きました。