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2016年/短編まとめ

ヒーローになりたい子供

作者: 文崎 美生

細くて軽い体が飛んだ。

体重なんて感じさせない勢いで飛んで、嫌な鈍い音が響いて、薄汚い壁を伝って落ちていく。

その瞬間に、血管の切れるような音がした。




***




粉々になったレンズを見下ろして、何故かひしゃげていないフレームを指先で摘む。

それを持って、あるべき場所に返せば、小さな呻き声が路地裏に響く。

何でこんなことになったのか、なんて考える必要もなく、ただの反抗期で思春期だ。


お年頃、というやつはどうしてか、身の置き場をなくしてしまうらしい。

いつまでも同じだと思っていたものが分かるような違和感に、胸の奥で真っ黒な何かがグルグルと回る。

そうして吐き出そうとしても嘔吐くだけで、鉛のような重さになって胃に落ちるのだ。


「――、――起きろ」


ぐったりと目を閉じているソイツにレンズのなくなった眼鏡を掛けさせて、弱い力でペチペチと頬を叩く。

手の平に伝わる熱は低い。


(サク)作間(サクマ)、起きろ」


呼び方を変えて声を掛け続ければ、まるでそんな風に呼ばな、とでも言うように目を覚ます。

長い睫毛が上へ押し上げられ、ぼんやりした黒目が俺を映した。

それから、ゆらゆらと左右に動いて状況確認をする。


乱れた髪を整えるように撫でつければ、瞬きと同時に大きく見開かれる黒目。

光のないそれは硝子玉のように透き通っていた。

その目と見つめ合えば、チクチクと産まれる罪悪感。


緒美(オミ)くん、緒美くん」


俺の存在を確認するみたいに繰り返される名前。

ずっと昔からそう呼んできて、いつまで経っても『くん』が取れない。

眉を歪めれば、白くて細い手が俺に伸びる。

ぺたりぺたり、頬と同じくらいの温度を持った手の平が、繰り返される名前と同じように俺を確認していた。


表情の変化が薄い奴だと思っていたが、今日ばかりはそうでもないらしい。

整った眉が中央に寄せられ、使い慣れていない表情筋が震えている。

笑ってるような泣いているような複雑な顔。

こんな顔は初めて見た、と思う。


「ごめんね、ごめん、ごめんなさい。痛い、痛いよね、ごめん」


壊れた人形みたいに同じ言葉を繰り返して、低い温度で俺に触れる。

壊れ物を扱うように頬を撫で、前髪を掻き上げ、俺からしたら左の目に触れた。

指先で赤い液体を拭い、手の平で温めるように傷を抑えている。


良いよ、別に、吐き出した言葉は存外柔らかかった。

それから拙いな、と思ったのと同時に透明の液体が零れ落ちる。

これは久々に見た。

光のない黒目から零れ落ちる光をまとった液体。


別に気丈なタイプじゃないけれど、こうも取り乱すのは珍しくて、子供みたいに泣きじゃくることなんてなかった気がする。

そう考えると普段から感情の起伏が静かな奴だと分かって、対処法が思い浮かばない。

嗚咽を漏らしながらも、俺の顔に触れる手は動きを止めないので、先ずは細い腕を掴む。


すっぽりと収まる細さに、何故かドキリとした。

罪悪感とは違う申し訳なさを感じて、ゆっくりとその手を下ろす。

身の置き場がなくなりつつあったのは、もしかしなくてもこういうことが原因の一つだったのか。

男女の差、なんて今まで考えなかった。


「泣かなくていいから。それより、体打っただろ。病院連れて行くから、立てるか?」


ぼろり、何で落ちてくる、と思ってしまうくらい大粒のそれが地面に染みる。

ゆっくりと視線を落とした黒目は、その染みを見つめて、薄い唇を動かし、だいじょうぶ、と呟く。

どう見ても大丈夫じゃない。


俺としてもなるべく早く移動をしないと、少しばかり体がシンドい。

時折視界が揺れて傾きそうになる。

目の前の体はぐったりとしていて、立ち上がる気配を見せない。

それにしてもレンズのない眼鏡は不格好だ。


溜息を吐き出しながら、体に力を込めて自身の体の向きを変える。

それから力の入っていない俺よりも大分細い体を背負えば、驚いたように腕が拒絶を示し俺の肩を押す。

骨の軋むような痛みに呻けば、慌てて離されるが、相変わらず液体が落ちてくる。


「ヒーローにはなかなかなれねぇな」


軽い体、羽が生えたような、なんて表現は俺らしくないし、コイツには少し似合わない。

俺の肩を離した腕は、ぎこちなく首に回されて、ゆっくりと体を密着させた。

こういうのも何だが、手首を掴んだ時ほど女は感じない。


「ヒーロー、だよ」


「……ヒーローは守るもんで守られるもんじゃねぇよ。俺よりも前に出る馬鹿がいるんじゃ、意味ねぇの」


分かる?つーか分かれよ、続け様に言えば首に回っている腕が力を増す。

鼻を啜る音がして背中の辺りが濡れた。

鼻水付けるなよ、と言ってみれば、付けないもん!と酷く子供じみた声が響く。


だから俺は声を上げて笑いながら、その細くて軽い体を支え直すように揺らす。

もう液体は落ちてこない。

取り敢えず強くなりてぇよなぁ、なんて呟いた大人になれない子供の願望。

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