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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Little Red Riding Hood

作者: 藁部

 山に囲まれた田舎の村。住んでいるのは皆、顔見知りだけ。そんな田舎の森の奥で、今日もまた、銃声が鳴り響く。銃声の後に聞こえるのは、鳥の鳴き声と飛び立つ音、動物たちが逃げていく足音。

 子供のころから当たり前のように聞こえてくるその音に、疑問を持つことなんて無かった。村は山に囲まれているせいか、あまり裕福とはいえない。その裕福ではない中でも貧富の差はあり、農家、猟師といった食べ物を確保する家は自然と恵まれていた。

 俺の家はそのどちらでもない。森の木を切って薪を作る。ただのキコリの家。生まれた家がキコリだったから、銃の扱いなんて知らないし、作物の育て方も知らない。斧を振ること、それだけが唯一できること。

「アル!」

 可愛らしい声で俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。振り向かなくても誰かわかる。朝から森の入り口で待っていた人物がやっときたのだ。彼女を待つ時間は何時間でも苦にはならない。


――――――あぁ。愛おしい


「遅かったな。何かあったのか?」

 彼女は笑って首を振る。お婆様と少し話しこんでしまっただけ、そう言って、俺の前を通り過ぎ森に入っていく。

 週に一度、俺と彼女は一緒に森に入る。彼女は、体の悪い祖母の薬草を摘むために、俺は木を切るために。

 黙々と、淡々と、ただ薬草を摘んでいく彼女。やはり、いつもとは様子が違った。いつもなら、うるさいくらいに話しかけてくるのに。

 何かあったのか。何度そう訊ねても、ただただ首を横に振るだけだった。

 日が暮れて来る。もう帰らなければいけない。最後にもう一度だけ訊ねるが、彼女は首を横に振るだけで、返ってきたのは無理して作られた笑顔だった。

 彼女を家の前まで送り届ける。門の前で名残惜しく別れ、俺は自分の家へ帰った。

 次に彼女に会えるのは一週間後。来週になれば、彼女はいつものような笑顔を俺に向けてくれるだろうか。


 一週間が経ち、彼女との約束の日。その日は雨だった。いつもなら、雨の時は次の日や、次の週に延期する。だけど、その日は、その日だけは、彼女が待っているような、そんな気がした。

 雨の中を森に向かって走った。走って、走って走って走って。


――――――やっぱり。君はいた


 お気に入りの白いワンピースをまとって、絶え間なく降り続く雨を受け止めていた。

 俺はその光景を、不謹慎にも、とても


――――――とても、美しい


 と、思ってしまった。

 俺の近づいていく足音に気がついたのか、彼女はゆっくりと顔を上げる。その瞳はすぐに俺を見つけ出した。そして、彼女はとても無様な笑顔を作る。

 泣いていたのだろうか。でも、涙なのか雨なのか、彼女自身もう分からないのだろう。

 駆け寄った俺は、彼女の左手を無造作につかむ。そのまま森に彼女を連れて行く。森の奥へ。どこに向かうとも分からないまま、このままずっと、何処までも、彼女を連れ去ろうと思った。

「待って!止まってアル!」

 力の弱い彼女では、普段斧を扱う俺の力には及ばない。それでも、彼女の言葉に、俺は逆らえない。とても強い、そして、とても弱い力で俺を引き留める。

「私、結婚するの」

 思考が停止した。彼女の手をつかんでいた手に、力はもう入らない。拘束を解かれた彼女は、ここ一週間に起こった出来事を、堰を切ったように話し始める。

 先週、結婚の申し出があったこと。

 今朝、その申し出をお婆様が承諾したこと。

 相手は、村一番の猟師の息子であること。

 一ヶ月後、結婚式が行われること。

 頭の悪い俺は、何一つ理解なんてできなかった。できなくてよかった。最後に彼女が言った言葉以外。

「結婚は、お婆様が決めたことだから、逆らえない」


 いつか、こんな日が来ることは分かっていた。

 彼女はとても美しい。

 彼女はとても綺麗だ。

 彼女はとても清らかなのだ。

 そんな彼女に思いを寄せる男は多い。俺も、例外ではなかった。

 それでも、彼女にとって俺は特別だと思っていた。そう、思い込んでいた。

 きっかけは些細なことで、ただ家が近くにあって、ただ年が近かっただけ。ただそれだけのことだったけれど、彼女と俺は他の人よりも多く、ずっと多く一緒にいた。

 彼女が俺に笑いかけてくれて、彼女が俺の名前を呼んでくれる。俺とした約束を守ろうとして、俺のためだけに彼女の時間を使ってくれる。俺が求めなくとも、彼女は声を聞かせてくれる。俺が手を差し出せば、その手を迷い無く取ってくれる。つないだ手から伝わる体温は俺だけのもので、頬を赤く染めて恥ずかしがる表情も俺だけのもの。

 俺だけのものなのだ。

 俺だけの。

 俺だけのものだった。

 彼女は特別だった。俺にとって。そして、みんなにとっても。

 どんなに思いを寄せたとしても、一緒になれないことは分かっていた。

 それでも、彼女と一緒にいることができるだけで俺は幸せだった。たとえ、この思いが叶わないとしても。叶わないことが、分かっていても。

 彼女と一緒に生きることが叶わなくても、今この瞬間だけは、夢を見ていたかった。


――――――それなのに俺は


どうしようもないくらい

欲張りになってしまっていた


透けるような白い肌の彼女を

汚れのない、清らかな彼女を

穢されるなんてこと


――――――耐えられる訳がない


誰かに穢されるくらいなら


――――――俺が、この手で穢してあげる


 目の前で、雨に濡れながら泣き続ける彼女の手を、再びつかむ。

 今度は離すことの無いように、強く。彼女の細い腕が折れてしまう、ギリギリまで強く。

「痛いっ!痛いよ、アル」

 か細い声で訴える言葉は、俺の耳に届くことはない。

 恐怖に歪んだ彼女の顔も美しいと思った。

 空いている手で彼女の肩をつかみ、動きを制限する。つかんだ肩から彼女の震えが伝わってくる。言いようのない罪悪感に心が蝕まれる。罪悪感に完全に溺れる前に、彼女の首に顔を埋めた。

 雨のにおいと彼女の香りが混ざるその場所に、俺の印を刻む。

 印を刻んだその口で、彼女の唇を犯す。その瞬間、泣いている彼女と目があった。

 もはや、抵抗もせず、逃げようともせず、俺に批難の言葉一つも浴びせない彼女は、静かに泣いていた。


――――――俺が、泣かせた


 彼女は俺に、こんなことを望んでいた訳じゃない。

「ごめん」

 咄嗟に出たのは、ありきたりな謝罪の言葉。その言葉とほぼ同時に彼女の制限を解く。つかんでいた彼女の手首は、赤くなっていた。痛々しい赤。

 だけど彼女は手首の赤を気にする素振りは見せること無く、自分の赤い唇に手を運ぶ、唇で一瞬止まった手は、次の動きで首筋についたもう一つの赤を隠すことに使われた。そのまま彼女は、俺とは目を合わすことなく、森の入り口へ走っていった。


 月日は流れる、何が起きようとも、何も起こらなくとも。

 眠ることをしなければ、明日が来ることはないだろうか。

 永遠に眠り続ければ、明日を迎えなくても良くなるのだろうか。

 何をしようと、俺がどんな抵抗をしようと月は沈み、日は昇った。鳥のさえずりと共に、今日もいつもと同じ銃声が聞こえる。その音に何の疑問も持たない。言いようのない憎しみが募るばかりだった。

 彼女の結婚の話は、次の日には村中の周知の事実になっていた。だが、彼女に酷いことをした俺を責めるものは一人もいない。ただそれだけの彼女の優しさに、また、どうしようもないくらい、好きになる。

 俺ができる罪滅ぼしは、彼女にできる限り会わないこと。それくらいだった。

 いくら会わないようにしても、もともと家が近い彼女とは顔を合わせないわけにはいかない。だが、彼女は俺には、俺だけには話しかけてこなかったし、俺も彼女に話しかけることはしなかった。

 ただ家が近くにあって、ただ年が近かっただけ。ただそれだけの関係は、脆く、儚く、あの日、あの時、あの瞬間に全てが崩れ去った。

 それでも、あの日の直ぐ後に見かけた彼女は、首の隠れる服を着ていて、まだ俺たちはつながっているのだと思えた。そのつながりも、時と共に消えていき、一瞬だけ見えたその場所には、彼女の綺麗な白い肌があるのみだった。

 独占欲の赴くままに、再びその場所に印を刻むことはもう許されない。


 一ヶ月は、あっと言う間だった。


 俺の目の前では空に向かって高々と火柱が踊っている。

 太陽が一番高く昇る前に彼女の結婚式は滞りなく終わった。今は結婚祝いの祭が行われている。

 俺は人の輪の中央にそびえ立つ火柱に薪をくべていた。彼女の周りに人は絶えず、たくさんのお祝いの言葉と品を贈っている。白いドレスをまとい笑顔を浮かべる彼女は、まるで天使のようだった。

 どれくらいの月日が流れようと、彼女へのこの感情は消えることがないのだろう。どれだけ多くの人がいようと、俺の目は一瞬にして彼女の姿を捉えることができるのだから。

 しばらくして、その場には軽快な音楽が流れ出した。皆、思い思いにダンスを始める。彼女ももちろん、あの男と踊るのだろう。そう思い、彼女を見ていたが、彼女は人の輪から外れるように近くの木の陰に入っていった。

 何も考えていなかった。足は自然と動いていた。


――――――最後に、もう一度だけ


 無防備な彼女に近づく。俺が声をかけたのと、彼女が振り向いたのは同時だった。

 彼女は一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに苦しげな笑顔を作った。彼女が逃げずに、そこに居てくれることが信じられなかった。

 彼女に手を差し出す。

「一緒に、逃げよう」

 彼女の顔から笑顔が消える。無謀な提案だった。

 俺たちは、この村で生まれ、この村の中で育った。そんな村の一番の猟師の息子と結婚をした彼女を連れて行くと言うことは、村の全てを敵に回すということで、自分たちの持っているもの全てを捨てること。家族も友人も全てが敵になり、味方は自分たちだけになる。村の外に頼るあてなんて無い俺たちは、逃げたところで捕まるのがオチだろう。

 それでも、俺は彼女と一緒なら、なんでもできる気がした。幸せにする、なんて約束はできないけれど、彼女と一緒にいたかった。

 彼女の頬に涙が伝う。彼女は今、何を思い泣いているのだろうか。

 分からない。

 ただ一つ分かるのは、彼女はこの手を取ることはない、と言うことだけだった。

 小さく、彼女の唇が動く。

「ごめんなさい」

 祭の音に掻き消され彼女の声を聞くことは叶わなかったが、何を言ったのかはすぐに分かった。ただ一言、それだけ言って、彼女は祭の輪に戻っていった。

 行き場を無くした手を見つめる。毎日斧を握っているために、掌にはいくつものマメができては潰れ、いつしか硬くなってマメができることも無くなった。そんな不格好な掌を見つめていると、俺にはこれしか無いのだと、つくづく思い知らされた。


 いつしか祭も終わり、世界は闇と静寂に包まれる。

 彼女が帰って行ったのは、今日から彼女が死ぬまで住むことになるのであろう家だった。

 今頃彼女は、あの男と一緒にいるのだろう。清らかだった彼女に会うことは、もう二度と叶わないのだろう。


 俺に残された選択肢は、一つだった。


――――――これは、君のためだから


 罪悪感はなかった。ただ悲しかった。もうあの頃の彼女に会うことができないと思うと、泣き叫びたい衝動に駆られた。闇に紛れ、息を殺す。まだ祭の余韻に浸っている輩に気づかれないように、新しい彼女の家に向かう。

 彼女の家に着く少し前、厚い雲が月全体を覆い、夜の闇は一層深くなった。窓にかかったカーテンは少しだけ開いていて、そこから中をのぞく。明かりが消えているために、中の様子は見ることができなかった。

その時、雲の隙間から再び光が落ちる。その光で見えた彼女は


 穢されていた。


 彼女は一切の抵抗をせずに男を受け入れる。俺だけのものだった彼女が、今まさに他の男のものになっていた。

 しばらくして、男が家の外に出た。理由は分からないが、俺にとっては好都合だった。男の姿が消えるのを待って、家に入る。

「おかえりなさい」

 彼女のいる寝室に行くと、俺を見ることなく、感情のこもらない声で彼女が言った。俯いたままの彼女は着崩れた寝間着を直そうとする素振りはない。直したところで、意味がないと思っているのだろう。

「助けに来たよ」

 俺の声を聞いて、彼女は顔を上げた。まず驚いたような顔で俺を見た。そしてその顔はすぐに脅えた表情に変わった。

 彼女の目に俺は、どのように映っているのだろう。

 彼女は必死になって言葉を絞り出す。

「こないで。こっちに、こないで」

「助けに来たよ」

 俺は満面の笑みを作って同じ言葉を繰り返した。彼女の言葉は耳に入ることはない。

 一歩、また一歩と彼女に近づいていく。彼女は俺の顔と手元を交互に見る。これから自分に起こることを想像でもしているのだろう彼女の目からは、次から次へと涙がこぼれ落ちていた。

 彼女に近づくにつれ、窓から差し込む月明かりは徐々に強くなる。月が完全に顔を出した頃、彼女の瞳を覗き込めば俺の顔がはっきりと見えた。俺の頬には血が付いていて、床に目をやれば手にしていた斧から滴り落ちたのだろうか、血が点々と続いている。

 血まみれで斧を持つ俺の姿は、彼女にとって恐怖でしかないのかもしれない。


――――――怖がる必要なんて無いのに


「大丈夫。もう君は自由だよ」

 彼女は、俺の言っていることの意味が分からないようだった。尚も泣き続ける彼女の頬に手を添えて、涙を拭う。俺の掌に少しだけ血が付いていたようだ。彼女の頬にも血の赤が移る。


――――――あぁ。君はとても赤が似合うね


「君のために俺、頑張ったよ。この結婚は、お婆様が決めたから逆らえなかったのだろう?」

 俺の言葉を聞いた瞬間、彼女の身体の震えが一層強くなったのが分かった。

 何を思って震えているのだろうか。


――――――そろそろ俺の、俺だけの彼女を返してもらおう


 抵抗もせず、逃げようともせず、言葉を知らない赤子のようにただただ泣き続ける彼女に向かって、俺は斧を振り上げる。


 迷いはなかった。


 斧が振り下ろされた場所からは、止め処なく血が溢れ出していた。その血は彼女の髪をつたい、肩に落ち、彼女の全てをみるみるうちに赤に染め上げる。

 そんな彼女はまるで


――――――赤いずきんをかぶっているみたいだ


 俺は、銃の扱いなんて知らないし、作物の育て方も知らない。斧を振ること、それだけが唯一できること。

 俺は、穢れてしまった彼女を救う方法なんて知らなし、清らかな彼女を取り戻す方法も知らない。唯一知っているのは、この世界から彼女を助け出す方法だけ。

「ごめんね。俺ができることは、これだけだから」

 誰に言うでもなくこぼれた言葉は、言い訳と言うには無理があった。既に彼女の瞳から光は失われていて、そんな彼女に手を伸ばす。

 彼女に手が届く少し前、毎朝のように聞いていた銃声が俺のすぐ後ろでなった。振り向かなくても、自分の胸から流れ出す血で何が起こったのかはすぐに理解できた。

 朦朧とする意識の中で、彼女に再び手を伸ばす。

 僅かに残った力で彼女を抱きしめた。まだ暖かい彼女は、俺を抱きしめ返すことはない。

 とても美しく

 とても綺麗で

 とても清らかな君に、たった一言だけ伝え忘れた言葉を最期に贈ろう。


「愛しているよ。赤ずきん」




~Fin~

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