第四章 第五話 妻との別れ
「守り切れなかった。」
信直は妻の翠姫に対し、深く頭を下げた。妻にしてみれば、まったくわからない。
「離縁してくれ。」
翠はかたまった。夫になんとか頭をあげさせようと伸びていたその手は、宙に浮かんだ。
“万民の為だ”
いくら言葉で飾ろうとも、事実は変わらない。“私の何がいけなかったのですか” と問い返すも、答えはさらに過酷だった。
“そなたの父が、望んだことだ”
愕然とした。
誰よりも幸せを願っているはずの父が……言うはずない。
つぐらのゆりかごでは、子がわめく。
信直は、目を合わせない。誰もいない横の方を向くだけ。翠は、わが子をあやさない。赤子はひたすら泣く。
その日のうちに、翠姫はわが子と共に家来に連れられ、三戸へ出発した。このことにより兵は動かず、晴政も矛を収めた。
信直は主君晴政の変わりようを恨み、九戸の行いを恨んだ。
いつしか心の中に、鬼が生まれた。それはまだ小さく未熟であったが、太い角を生やし尖った爪を持つ。
呪った。妻を奪い、己を不幸にした全ての者を。いつしか流行り病が糠部全体に広がり始めた。それは無縁な領民を殺めていくのだが……民は噂しあった。
“信直の祟り”
晴政は、酒を多く呑むようになった。その口髭にはひどい匂いがこびりつき、会う人すべてを戸惑わせた。
とある初秋の日。晴政は出戻り娘の翠を呼びつけ、ともに酒を呑もうとした。
翠は何もかも信じることができない。すでに夫は夫でなく、父は父でない。感情を持たないのが一番と、無表情で晴政の酌をした。




