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津軽藩以前 (1568-1576)  作者: かんから
資料室
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出来事紹介

”この出来事をちょっと詳しく知りたい”っていうときに参照してくださるとうれしいです。



〇 相川西野の乱


 この出来事は、正直ネットで調べてもほとんど出てこないと思われます。南部側の資料で出ているのみです。でているとすれば・・・青森県の”担ぎねぶた”として青森工業で2008年に運行された「西野・相川の合戦」っていうのでお調べいただくとでます。あれ・・・相川西野、西野相川、どっちが正解か?私もわかりません。資料によっても異なるのです。


 相川と西野、この二人を中心として反乱がおきました。詳しい年代は不明。津軽郡代の津村氏を討ち果たし、外ヶ浜(現青森市から竜飛岬辺りの沿岸部地域)一帯を勢力下にいれてしまいます。横浜町あたり(青森県のね。神奈川県ではなく。)でも不穏な空気が流れます。もし南部の軍勢が外ヶ浜を目指して向かって来れば、横浜町あたりの軍勢とともに野辺地で挟み撃ちにしてしまおうという魂胆です。


 しかーし、もくろみ通りにはならず。あろうことか、相川と西野。互いにきそい合いせり合い、対立してしまうのです。そこへ南部高信の登場です。反乱を見事に鎮圧しました。


 それからは津軽郡代の地位を引き継ぎ、石川というところに腰を据えます。”石川高信”の誕生です!



・・・でも、この”津軽郡代”ってのも本当にあったのかわわからないんです。郡代といえるほど南部氏は津軽において力を持っていなかったという話があります。・・・ということで、この相川西野の乱もあったかどうか信憑性に欠けてくる・・・(泣)



〇 偽一揆


これは、実際の話ではありません。ごめんなさい。ただ・・・為信の力が認められるような出来事はあったと思われます。


 為信が久慈より婿殿として入ってからというもの、地位は弱かったでしょう。だって、いずれは義父のY遺伝子を受け継ぐ義弟がいるんですもの(笑)10年以内に当主の地位を返上。ここ辺りのことは津軽側資料において、意図的に薄くなっています。


 隠しておきたいんですよ。どんなことをして幼子を追い落として、大浦家を乗っ取ったか。うす汚いことをしたのか、他の力学的動きがあったのか。今となっては定かであらず。


 あろうことか、その抜け落ちた部分をこの津軽藩以前という物語に描きたいと思ったわけだ(えっへん)手始めに”偽一揆”という話を創作して、初期の動きを充ててみたんです。


 本当のことを書いている部分としては・・・万次を代表とされる、浮浪者というか・・・ヤクザ?との付き合い。為信と彼らとのつながりは、今後の行動を左右します。戦の最中に敵兵の家族が住まう家屋敷を襲わせて戦意をそいだり、敵城主に賭け事を教えて丸め込んだり。・・・これこそ本当ですよ。”津軽一統誌”という津軽正史にしっかりと書かれています。(隠されることなく)


 そこも隠してあげろよ・・・と思ったり。ともかく、為信ときな臭い奴らの間につながりはあった。そのつながりができたタイミングはわからない。これを”偽一揆”に求めました!以上です。



〇 鹿角合戦


 まず、”鹿角”ってどこ?ってなります。バカの角じゃないよ、とか言ってみる。馬は入ってないよ。


 秋田県です。安東氏の勢力範囲です。・・・とはいっても、南部氏がとったり、安東が取り返したりを繰り返してます。はい。この話をもって、南部家中の顔合わせにしてみました。ここで三日月うんちゃらの南部晴政君、九戸や信直といったメンツが初登場。ちょっとした紹介を含めた話にしました。



〇 屋裏の変


 ねえねえ、”屋裏”ってどういう意味?私にもわかりません、残念ながら。誰かが屋根裏にでも隠れたのかね?殺されまいと。


 簡単に言うと、南部信直と九戸兄弟はずーーっと対立してます。互いに戦火を交えた最初の出来事です。これにはさまざまな説や捕らえ方があります。南部根元記など南部の歴史をきれいに書かれた書物では、当然のごとく信直は良く書かれます。南部藩の”根元”を作った人物ですもん。争い自体、なかったことにされてます。


”争いはあったが信直は悪くない”って側の資料では、九戸兄弟に攻められてー、ひたすら恭順しー、”私に逆らう気はないのです”とひたすら頭を下げる。それでも相手は攻めてくる。助けてーーーってな感じ。


最後に、完全なる対極。なんと書かれているでしょう???


晴政とその子も一緒にころしちゃいます♬さあ、何が本当なんでしょう。



〇 野崎村焼討


津軽為信を詳しく知っている方ならわかると思います。家来に突然”あそこの村を焼け”と命令する。家来は慌てる。罪なき村を燃やすいわれはないと。それでもついてきた者たちは・・・意のままに動く集団というわけです。


ただね・・・津軽一統誌で示されている年には疑問あり。大浦家に婿としてきてすぐに、命令したことになってるのよ・・・。大胆ね。って言ってられない。信頼も何も、家来からしたら為信がどんな人かわからない時点だよ。そらあ、いくばくかは久慈から連れてきた仲間はいるでしょう。それでも圧倒的に大浦旧来の家来衆が多いわけ。


これこそが、正史にかかれていてもなかったのではないかと疑われる一因。



〇 堀越騒動


 元亀二年(1571)決起説でいうところの、”謀反”ですよ。ちょっとごめんね。めんどくさくなったから、ウィキから少し抜粋。


”弘前藩の官撰史書である『津軽一統志』によると、元亀2年(1571年)5月5日、自分の支城の堀越城から出撃、2キロメートルほど離れている石川城を突如攻略し、南部宗家である三戸南部家当主・晴政の叔父にあたる石川高信を自害に追い込んだ(生き延びたとする説[2]もある)。”


ウィキペディアってこういう時に役立つ♬


私の書いた本編では、別ルートを歩みます。元亀一年(1570)にすでに石川高信が病没。次子の政信が跡を引き継ぎ津軽を統治うんぬん・・・。津軽側資料と南部側資料をつなぎ合わせようという意図で書きましたので、まったく新しく映るかもしれません。津軽側は年代においてその多くは正しいが、出来事としては粉飾が多い。南部側は出来事としては正しいが、年代においては齟齬がある。こういう印象を持ってます、正直。(もちろん他にも揺れはあるが)


例えば津軽側の主張では浪岡の館をさんざん燃やしたといってるくせに、発掘調査において燃えカス一つもでてこない。南部側の主張では、津軽為信が初めて謀反を起こしたのは天正一八年(1590)だと。えっと、豊臣秀吉が小田原を攻めたのが何年だっけ?同じ年です。小田原に為信の使者がいけていないことになりかねない。


互いに嘘つき合ってる・・・(汗)はい、以上です。



〇 大千同盟


 大浦と千徳が結んだ同盟のことをいいます。文献によると”大浦と千徳で津軽を二分する”とかっこいいこと言っちゃってますが、果たしてそうなのか。別称”永禄の約”とも申しまして、1561年の出来事としています。


 もしこれが本当の話にしちゃうと、為信以前に謀反の計画があったことになる。(1567年に養子に来たので)為信より先代というと・・大浦為則です。彼と千徳政氏が手を結んだか。


 ここでうなっちゃうわけですよ。そのころより大浦家には南部に逆らう意思があったのかどうか。考え方として、為則死後に”やっぱり無理ちゃう”っていう意見が噴出。為信は謀反派として、逆らう家来を征した。どうなんでしょ。


 今作に置いては、津軽の一角を占める千徳氏の名分は保ちつつ、実際のところは大浦への従属としています。真相は闇の中。



〇 大光寺の戦い


 大光寺城は、もと大光寺光愛のお城。この人物には多説あり、毒殺説、讒言後退去するが長命を得る、戦死説・・・とりあえず詳しいことはわかっていない。一方で、その家臣に滝本重行という男がいたことははっきりしていると。滝本ってのが・・・ものすごい男で。津軽為信の大敵、永遠のライバルともいえます。初めて刃を交えたのが、この”大光寺の戦い”ってなわけ。


 滝本は為信と同じく、武勇知略に優れる男。違うところといえば、滝本は忠義に生き続けたこと。主君の遺子(=光愛の子)を守り続けた。対照的に、為信は義弟(=義父の遺子)を殺した。”溺死”させたと資料面でも残っています。そして南部に逆らった。


 のちに六羽川合戦において、安東まで味方につけて為信を追い詰めます。本気で為信は死にかけます。ゲームでも出してもいいと思うんだけどね・・・最近のやつだとイベントで石川城を落とすとかはあるけど、滝本さんまでつけてやってもいいんじゃない?と感じたり。

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