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津軽藩以前 (1568-1576)  作者: かんから
鹿角合戦 永禄十二年(1569)秋
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第二章 第五話 他国者とは

 小笠原に与えられた屋敷は、かつて逃げ去った農民が住んでいたところだ。年貢を払いきれずに、どこかに消えた。そんなあばら屋の庭先。

 ……彼は標的の藁巻きをめがけ、ひたすら槍を前に突く。えいやえいやとも掛け声を発せず、寡黙な様は際立っていた。

 その姿を横に、屋敷の中で科尻と鵠沼が話し込んでいる。両人とも同じ信州の出で、このたび小笠原を支えるという名目で大浦家にもぐりこんだ。


 科尻は言う。


「……次の戦は、羽州の鹿()(づの)と聞く。」


 鵠沼は応える。


「ああ。安東が南部から土地を奪った。その仕返しだ。」


「ここで小笠原殿が目立つように活躍してくださらんと、企みは潰える。」


 ……二人は、万次の手駒。


 小笠原の戦働きと誠実さで、周りの信頼を勝ち取る。その裏で科尻と鵠沼は企みを進める。


 本来なら、かつての一揆は勝てていたのだ。二人の中に、その自負はある。


 相川西野の乱。他国者が相川と西野という二人の大将を中心に蜂起した事件。万次も裏で協力していた。勢力が外ヶ浜より津軽西浜に及んだとき、こちらでも決起する約束だった。


 ところがいとも簡単に郡代を討つことができたので、敵を甘く見るようになった。そこに気のゆるみが生まれる。あろうことか相川と西野は主導権争いを始めたのだ。


 その隙をついて、今の郡代である石川高信が大軍を率いて攻めてきた。なるべくして、負けたのだ。


 故に、仲間割れがおきていなければ十分に勝てていた。相手が大軍といえど、前郡代を寡兵で討った経緯がある。

 

 二人は、木窓より小笠原を覗いた。彼は真剣そのものである。


 鵠沼は少し静かめに訊ねた。


「小笠原殿は、どうする。」

 

 科尻は答える。


「奴は、知らない方が幸せさ。戦のみ考えていればいい。」


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