第一章 第五話
第一章 第五話
「サクシードさん、あなたなら王になれると思います。」
「いや、何?」
「あ、メルイーウの王様みたいな、あんな中世の王様じゃないですよ?」
「んむ?」
「世界最初の近代法治国家の君主です。」
「またもや意味が分からぬ。」
「時間は大丈夫ですか?」
「いや、そろそろ……、まずいな。」
「では戻りましょう。」
「いや、しかし……。」
「機会を作ってくれればまた説明します。」
二人は来た道を戻り、それぞれ軟禁中の部屋へ戻った。チハルは侍女の胸を抱き、すぐに眠りに落ちた。サクシードも……寝台に横になって目をつぶった、が、眠ることはできない。
「結局何が言いたかったのか分からぬ。が、俺が?王?」
チハルの持っている知識はおそらくサクシードの想像を超えて膨大なのであろう。しかし仮にそれを十全に使ったとして、王になることなど可能なのだろうか?サクシードの知る歴史物語では、大陸で王朝を開いたものはすべて古代始王に連なる血統を自称していた。自分にはそれがない。
まず将軍が死ぬ。疫病で。それが本当なら、ますますメルイーウ王家に復興の目がない。それが確認できれば、チハルの言うことがまず嘘ではないことが分かる。しかしそれを知っていてなお「逃げろ」ではなく、「国を建てろ」と言う。しかも自分が王だと。
「まったく真意が見えぬ。」
「見えぬ……、が……。」
「面白い。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
チハルは数日をかけて、王室に有利になりそうな情報をイアイパッドで検索していた。元の世界で身の回りにあったものをピックアップし、その歴史や技術を片っ端から調べていた。しかしそのほとんどがすぐには実現不可能なものばかりである。もともと生物学や工学を専門とし、化学や物理も一通り修めたチハルではあったが、トレーダーとして身を立て始めてからはその大部分を忘れ去っていた。ヴィキペディアを読みながら、そういえばこんなこと習ったなと感慨に浸ることもしばしばであった。
チハルが捜しているのはメルイーウ王軍に「軍事的優位を与え」、「比較的早期に実現可能で」、「しかし戦況をひっくり返すほどではない」技術である。メルイーウ王家にはチハルの知る歴史通り滅びてもらうのがチハルにとっては都合がいいと考えていた。
メルイーウ軍も火縄銃のような銃を持ってはいたが、それを改良するなら新しい火薬か雷管などを発明するしかない。しかし半年から一年で新しい技術を使えるような新型の銃は大量製造できない。それならばコンパウンドボウなどの近代非火器の知識を与えたほうが良さそうだ。すでに弓矢に付けて矢の軌道を安定させるスタビライザーと発射を補助するリリーサーの知識は伝えており、すぐに試作、実験が行われていた。近いうちにメルイーウ軍に正式に採用されるだろう。ただしこれくらいで圧倒的不利の戦況がひっくり返るものではない。
では戦術はどうだろうか?圧倒的戦力差に対抗できる戦術となると、チハルにはゲリラ戦術くらいしか思い浮かばない。ただしそうすると戦いは泥沼化してしまう。また南タライバンは敵に明け渡すことになるだろうが、そうすると電池の安定供給ができなくなってしまうのも困る。山に住むという人と敵対する亜人が行うには良い方法だろうが、メルイーウ軍がやって成功するとは思えない。
そもそもチハルは軍事や武器に関する先進技術をこれ以上メルイーウ王家に与えるつもりはない。チハルは王家滅亡をほぼ確信しており、見据えているのはあくまで"その後"である。
「そうすると……。今から作っておきたいのはこの辺りか。」
チハルはメモに書かれたいくつかの単語に大きく丸を付けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
チハルの実験はほとんど毎日繰り返されていた。チハルがヴィキペディアで検索した技術をサクシードや神官に紹介し、その有用性を説き、サクシードに材料を注文し、試作を重ねる。神官からはなるべく軍事に役立ちそうなものを開発するように言われていたが、チハルは常に検討中と答えるだけにしていた。この数か月以内に開発が可能で、戦局をひっくり返すほどの軍事技術などチハルの知る限りない。
チハルの試作品は理論を説明しても誰にも理解できないので、完成するまでそれがどんな機能を持つのかチハル以外には分からない。そのためメルイーウ王家は試作実験にあれこれ口は出してこなかった。
この二週間の成果と言えば、サクシードが提供した磁石と銅線を使った簡単なモーターの開発、そしてそれと電池とを合わせた史上初の≪扇風機≫の誕生だった。一号機はもちろんチハルの寝室に設置されている。二号機は電池とセットで王に献上され、寝苦しい夜の続く夏のタライバンでたいそう喜ばれたそうだ。その対価として数日前にチハルとサクシードの自室への軟禁は半ば解かれ、現在建物内でならほとんど自由に移動が可能である。
チハルの元いた世界では1825年、ウイリアム・スタージャンにより電磁石が発明された。その後さまざまに改良がくわえられ、19世紀の後半に様々な形状のモーターが登場し、それと同時期にアメリカで世界最初の扇風機が登場する。この世界では200-300年ほど未来の技術である。
サクシードとはあの夜以来二人きりで話していない。おそらく王になるという踏ん切りがつかないのであろう。
「それでサクシードさん、頼んでいた磁石は?」
「うむ、これに。」
「これで写真通り、だと、思うんです、け、ど。」
チハルは木枠に部品をはめ込んでいく。
「原理はこれであってると思うんですが、こう……。鳴るかな?」
「これはなんなだ?」
「電話です。」