第一章 第五十一話
本日は二話更新です。
第一章 第五十一話
チハルたちが出発してすぐ後から、南タライバンの住人たちは機会があれば毎日水平線の彼方を眺めるようになった。子供から老人まで、人も亜人も機会があれば白波を立てる海の向こうに目を凝らしたのである。
理由はもちろん対岸からやってくる不審な船がいないかを見つけるためだ。
そしてチハルたちが出発して10日後、未だ潮も凪がない風の強い日の早朝、水平線の向こうから幾つかの狼煙が上った。メルイーウ軍が拙攻で出している小型船からの報告の狼煙である。風が強いのでそれほど煙が立ち上るというわけではないが、水平線近くから斜めに立ち上る黒い煙は南タライバンの住民らの胸に不安をかき立てた。
「来ましたね。」
「うむ。では手はず通りに。」
「全軍に通達!武装したまま待機!指示通りに旗を立てよ!」
斥候の小型船は全部で14隻、それらの船を海岸線から数km置きに等間隔で配置し、水平線の彼方まで物見に出している。船には軍でも視力がよいというものと操船のために雇った住人が一人ずつ乗っている。最初に一本の狼煙が上がってから30分ほどすると、その両脇、数km離れた別の斥候の船からも同じように狼煙が上がり始めた。
タクト、クダレムをはじめとするメルイーウ王国の高官らは仮王宮を出て港に設置した軍議用のテントに移動した。
港に近い場所に待機していた軍が動きを見せると、まずは港で作業を行っていた者たちが仕事を放り出して海岸線から水平線に目を凝らし、漁師たちは軍とは別に狼煙を上げて漁に出ている船を呼び戻した。港に泊めてある船のマストに上って海の向こうに目を凝らすものもいる。
市街の各戸に狼煙の件が伝わると、住民らはそそくさと店をたたみ、家族全員を家に呼び戻した。住民でもある程度裕福な者たちはあらかじめ準備してあった荷物を荷車に乗せ始め、逃げるつもりのない者たちは家族らと共に家に籠って門を閉めた。
軍にも市街の住民にも大きな緊張が伝わっていった。
狼煙を上げた船が港に近づいて来はじめると、すぐに水平線の彼方に豆粒のような小型船が現れた。最初は一粒だった豆粒はすぐに二粒になり、三粒になり、次第にその大きさは砂粒大からゴマ粒大に、さらにしばらくすると船の輪郭が徐々に明らかになり始めた。
「来たぞ!赤と青の旗だ!あんな船見たことない!敵だ!」
停泊中の船のマストに上っていた港湾労働者が下にいる仲間たちに向けて叫んだ。先行してきた小型船の輪郭がはっきりと見えるようになると、その後から後続の本体、兵をたっぷり詰め込んでいると思われる箱型の大型船がやって来た。徐々に数を増やす同じような形の大型船が全部で25隻、小型船は50隻前後まで数を増やした。水平線の彼方を埋め尽くさんばかりの船団である。
「大型船は対岸の"盾型"で間違いないですね?はい、小型船は50?もっと?ええ、分りました。引き続き監視をお願いします。」
「フォーシュの船団の約半分だな。」
「ええ、大軍です。」
軍議中のテント内には報告が飛び交っている。タクトはそれらを逐一まとめ上げて王宮に報告が必要なものとそうでないものをより分けたり、敵軍の兵力や陣の形を予想したりと忙しくしていた。軍の上層部は各自に割り当てられた兵を指揮するためにすでにテントを離れ、テント内にはタクトの他に数人の記録官や文官がいるのみである。
斥候の船が帰ってくると敵の船団はいよいよその全貌が明らかになった。
現時点での予想兵力3万。全軍に予定通りの絶望が広がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数時間後、敵の船団から派遣された数隻の小型船が港にやって来た。どの船にも赤と青の三角旗をマストに掲げている。異民族による新王朝南方軍の旗である。先頭の船が港に接舷すると船から飛び降りてきた労働者らがロープで船を固定し、甲板から渡し板が伸びて桟橋に固定された。それを見守るメルイーウ軍の者たち。
船から数人の文官と武官が降りてき、開口一番大声で叫んだ。
「大ジル国タライバン討伐軍のセンジン・レンシャウである!軍の指揮官と話がしたい!案内せよ!」
染み一つない青い軍服をまとった軍人らが船から現れ、センジンと名乗った男の両脇で剣を鳴らした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「センジン?センジン・レンシャウか?」
交渉用武官として呼び出された南方軍総括のチャンモ・リューが追跡軍の男を見るなり目を丸くした。
「うむ、チャンモ殿か、あなたが出てくれるなら話が早い。」
「まさかおぬしが交渉に出てくるとはな。」
追跡軍が派遣したのはチャンモの元同僚、旧メルイーウ王国で南方軍を率いていた軍人であった。官位こそチャンモより少し低いが、お互いよき軍人として尊敬しあっていた仲である。
「早速だが、交渉に入らせてもらう。降伏せよ。全軍武装解除して王家の者を指し出せば、それ以上は何もせぬ。宝物も回収させてもらう。帰りたい者があれば船に乗せよう。こちらも王家が交替してごたごたしておる、人手は足りん。望むなら以前と同じ位で仕事も出来よう。どうだ?」
「……。言語道断である、な。忠誠を忘れたか。」
「しかしチャンモ殿、考えてみてくれ、四千からの兵がおってもこちらはすでに三万、明日には倍だ。詰んでおる。やれることはないぞ。」
「……聞きたいことがある。」
「こちらの内容を伝える以外のことはするなと言われているのだがな、まぁ、旧いよしみだ、聞くだけ聞こう。」
「"捕縛"の命がでているのは王族と、どこまでだ?」
「うむ、それも言っておかねばならぬな。王と妃、太子のすべて、それと…、旧王家で四位以上の官位を持つ文官と7位以上の武官、チャンモ・お前も入っておる。」
「うむ。」
「それとすべての記録官と宝物の管理官。あとは……王の逃亡に手を貸したという商人、なんだったか?サクシード・ジュアン。そしておるかどうかは知らんが今代の"通門者"、若い男であるという話だったな。あとはなんだったか、細かいことはこれに全部書いてある。」
センジンが懐から紙を取り出してチャンモに渡した。
「断った場合は?」
「もちろん戦闘になる。交渉期限は明日の昼まで、もう一度船を出すのでそれに返答してほしい。」
「わかった。」
「俺の仕事は終わりだ。俺もいくつか聞こう、チャンモ、親父殿は?」
「……死んだ。病でな。」
「そうか……。墓は?」
「ない、公にはしておらん。が、いまさら隠すことはない。」
「そうか、てっきり交渉にはミンチ殿が出てくると思っておったのでな。冥福を祈る。」
「かたじけない。」
「個人的な話だが、心から投降を勧める。王は処刑されるだろうが、それ以外は命までは取られまい。帰りたいと思っている兵もいるだろう。通門者に賭けたのだろうが、武器を作ったという話も入って来ん。よほどのことがなければ戦況は覆らんぞ。」
「分かっておる。では、明日返答しよう。」
「うむ、それと、夜になったら数発港に向かって砲撃することになっておる。陸には当てぬようにするが、船を出しているなら戻しておけ。ではな、帰る。戦闘にならんことを祈るよ。」
チャンモと短い会談を終え、センジンは天幕を後にした。
センジンの足音が遠ざかると、タイミングを見計らったようにタクトが天幕に入って来た。
「ご苦労様です。」
「ふぅ……。」
緊張を解いたチャンモが椅子に浅く腰掛けた。
「自分でやればよかったのに。」
「いやいや、顔見知りのチャンモさんでないと、ああは行きません。」
「それで?どうです?」
「それほど兵力差はなさそうですね。三万、というのは嘘でしょう。多くても半分、今日の船には一万くらいでしょうか。半分は操船に必要なので、兵力は五千といったところでしょうね。対岸も本当にゴタゴタしているみたいです。今夜あたりにはこちらの斥候も戻ります。対岸の様子を聞いてからでも良いでしょう。」
「あちらの船、喫水が浅すぎです。兵力を偽装するなら石でも積んでくればいいのに。」
チャンモがにかりと白い歯をきらめかせた。
「ただ明日には兵が増えるというのは本当でしょう。潮が凪ぐのは10日ほど。夜のうちに泳げるものを船に近づけて兵力を探らせましょう。」
「兵力が五分なら地の利のあるこちらが有利です。誘い込んで討ちましょうよ。」
「それでも五分ですよ。チハルさんにもらった知識を活用して何とか戦闘を避けましょうか。」
「んー、負けないと思いますけどね。」
「ここで勝っても後にはつながりませんよ。」
「久しぶりに戦えると思ったのになぁ。」
「慎重過ぎて悪いことはありません。では、宰相と話があるので、チャンモさんは自分の軍へ。」
「はい。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
タクトはクダレムをはじめとする高官らと作戦の打ち合わせを行っていた。対岸から戻った斥候から討伐軍に向かう軍の編成が遅れているという報告も受けていた。
「本当にやるのか?」
タクトの作戦案を聞いたクダレムが驚きの声を上げた。
「時間を稼げれば十分です。反論は?」
「……。」
「では、この手で行きます。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大ジル王国から派遣された船団の甲板では、討伐軍の指揮官とその部下が月明かりに談笑していた。
「ミンチ殿亡き後、息子のチャンモが軍をまとめているらしい。かの名将タクト殿もここに渡ったそうだが、さすがに此度は手もなかろう。」
「こちらの兵力の偽装がばれているのでは?」
「それも織り込み済みよ。こちらの兵を少なく見積もって戦闘を仕掛けてくるのなら明日やってくる本兵団で返り討ち、大人しく降伏するならそれでよし。それで陸将のセンジンを交渉にやったのだ。」
「なるほど、さすが指揮官様。」
「はっはっは。」
「指揮官!報告があります。」
甲板でくつろぐ指揮官たちの元へ、小走りで伝令の兵がやって来た。
「船首へ!島で何か動きがあったようです。」
船首にむかった指揮官は港に設置されていた多くの松明がせわしなく動いているのを見た。
「どういうことだ?」
「分かりません、が、先ほどからああして松明の火が動いています。少しずつ南へ動いてるようにも見えます。」
「南へ?」
指揮官が目を凝らすとなるほど松明のかすかな明かりが島の海岸沿いに流れるように移動しているのあ見えた。
「船か?いや……、陸だな。走って南へ向かっているのか?港の方も騒がしい。なんだ?」
「偵察が戻りました!」
「うむ?なんなのだ?」
「王が、王が逃げたそうです!」
「なぬ?」




