第一章 第四十八話
すいません、寝坊しました。
第一章 第四十八話
「ここで一日滞在する。明日の早朝また出発だ。俺は親父に話があるのでな、夜までには戻る。それとチハル殿は親父に顔通しだけしておくので時間を取ってくれ。」
「はい、今からですか?」
「うむ、後で休める方がいいだろう。」
チハルたちはルーカンの街に昼過ぎに到着し、手荷物を下ろして宿に向かった。ルーカンには大きな宿がないため、チハルたち以外は軒下で野宿である。亜人や下男は道端で寝るらしい。それぞれ自分のスペースに茣蓙を引いて軽食をとり始めた。
チハルはサクシードの案内で港にある建物の一角に入った。サクシードの父親がここで仕事をしているらしい。南タライバン開拓の功労者でかなりの権力を持っていたそうだが、今は引退してルーカンの街で雑用をこなしているらしい。
「親父、入るぞ。」
ドアの前でサクシードが声をかけ、ノックもせずに扉を開いた。漁師小屋のような簡素な建物で部屋には木製の机と棚がだけが置かれていた。椅子に座っているのがサクシードの父、シリューである。サクシードより一回り小さいが、その双眸には燃え盛る炎のような力強さが宿っていた。シリューは口角をニヤリとし、眉を釣り上げて息子であるサクシードを歓迎した。
「紹介する。メルイーウ王国通門者、チハル・マツオカ殿だ。イャワトの出身で、商人、工人でもある。チョーシューの出身だそうだ。」
「サクシードの父、シリューだ。イャワトには10年ほど住んでいたことがある。うむ、よく来た。まぁ、座れ。」
シリューはサクシードと共に日本に住んでいたことがあり、流暢な日本語を話した。
シリューは二人を来客用の椅子に座らせ、棚から酒と杯を取り出して二人に注いだ。チハルはサクシードに続いて杯をあおり、苦めの酒を一口だけ胃に入れた。
「うぇ、何ですかコレ?」
「ふふ、薬草を浸けた酒だ。疲れがとれる。」
「親父が好きな酒だ。俺も正直苦手だが、ここに来たら飲まないわけにはいかん。はっはっは。」
「チハル殿といったか、よく息子に協力してくれているようだな。礼を言う。それに……未来から来たと言ったか。王国があの体たらくだからな。本来なら王都の宮殿で優雅に暮らせていたところ、こんな田舎でごたごたに巻き込まれた上に逃避行ときた。心中察するぞ。」
「まぁまぁ、もう慣れましたよ。」
「はっはっは、慣れたか。おぬしもメルイーウの王に会ったのだろう?どうだ?あのような奴は滅びるのが筋だとは思わんか?息子が肩入れしおってな、幸いチハル殿が呼び出されたおかげで商会も潤ったがな、そうでなかったら叩き殺しておったところよ。」
「もしかしてメルイーウ嫌い?って、でも僕、姫さまもらっちゃっいました。王様は関係ないですけど。」
「親父は新王朝寄りなのだ。嫌味があっても許せよ。」
「はっはっは。旧王家の頃よりは実入りがいい。それだけで嫌う理由にはなろう。チハル殿は姫を娶ったとな?それは子を産んでもらって王家の復興に担ぎだされるやもしれぬな。どうする?」
「しませんよ。そんなこと。普通に育てます。」
シリューの眼がぎょろりとチハルを見た。
「それよりも。」
「はい?」
「頼みがある。」
「なんでしょう?」
シリューがサクシードの方を見た。サクシードは軽くうなずくと、シリューの代わりに説明を始めた。
「母さまよ。俺の母親に会ってほしい。イャワト人だ。」
「え?あ、そうでしたっけ?お母さん日本人?って、鎖国してたんじゃなかったでしたっけ?」
「うむ、実は数か月前にようやく出国を許されてな。南タライバンに来ることができたのだが、最近体調が思わしくないのだ。知恵を借りたい。」
「疫病とかだとどうしようもないですよ?僕医者じゃないし。」
「おそらく違う。流行り病ではあるが、人にうつるものではないのだ。医者ではないのは承知しているが、会うだけあってはくれまいか?同じ故郷の人と話せばそれだけで楽になるかもしれぬ。」
「あ、まぁ、それなら。いまから?」
「うむ、すぐ近くで休んでおる。頼めるか?」
「行ってみましょう。」
チハルたちは連れ立って病に伏せるサクシードの母が休んでいるという建物に移動した。先ほどシリューと対面したときの掘っ立て小屋のような建物とは違い、高級そうな意匠を施させた朱塗りの柱で建てられた仏閣風の建物に入った。
「へぇ、ここスゴイですねぇ!南タライバンにもこんなのありましたっけ?」
「無いな。あるのはここだけだ。親父が日本の神社に似せて作ったのだが目立つだろう。元々商会の建物だったのだが、色を塗り替えただけでこの目立ちようよ。親父は派手好きでな。」
チハルたちは南タライバンで仮王宮として使われていたサクシード商会の建物よりは小さいが、柱を朱で塗ったせいで建物の独特の重厚感が増した商会のモノだという建物に入った。両開きの大きな門には病を遠ざけ富を呼び込むという一対の神が少しコミカルに描かれており、門をくぐるものを見下ろしている。
チハルは建物の奥に案内され、その部屋で臥せっているある女性と対面した。
「母さま、俺だ。」
ノックもせずにサクシードが部屋に入り、中にいる女性にチハルを紹介した。
「母さま、同郷の者が見舞いにやってきてくれたぞ。起きられるか?」
「はいはい。どうしました?」
寝台に横になっていた白髪交じりの痩せこけた女性が、上体を起こしチハルに向き直った。
「こんにちは、チハルといいます。長州の出身です。始めました。」
「あら、あらあら、これはこれは、遠くからわざわざ。ほんによう来られました。福の母、マツと申します。」
「福?」
「俺の幼名だ。」
「あ、ええ、マツさん、僕の苗字はマツオカです。同じですね。ヒラドの出だとか?お体は大丈夫ですか?」
「あらあら、そうですか。それはそれは。体の方は、はい、こうして元気にさせてもらっています。」
「マツ、嘘はよせ。この方は医者じゃ。病について話すがいい。」
チハルがシリューの方を振り返ると、シリューはチハルの目を見据えて数度頷いた。ここはチハルが医者ということで押し通すらしい。
「あら、そうでしたか。これはまた失礼を。」
「マツさん、気になさらずに。それで……、ここに来てから調子が悪いということですが、どうです?」
「ええ、はい。こう、手足がしびれてしびれて。今ではよく歩けません。ここに来てからです。」
「手足がしびれる?」
「ええ、あとは胸が時々苦しくなります。」
「胸が苦しい、と。しびれに胸が苦しい。ん?」
「どうだ?」
「んー、もしかして南タライバンにも同じ病気の人います?」
「おるな。」
「マツさん、すいません。ここに座ってもらえます?」
チハルはマツを寝台の横に座らせた。
「その……、すごい申し訳ないですけど。裾をめくりますよ。」
チハルはマツの来ていた浴衣風の着物の裾を膝の上までめくりあげた。
「オイ!チハル殿!」
「あれまぁ。」
マツは着物の衽を両手でつかみ、それ以上着衣が乱れるのを防いだ。
「ちょっと膝借ります。上体はそのままで。足プラプラさせて下さい。……そう。」
チハルはマツのあらわになった膝の下数センチを指先で数度、トントンと叩いた。
トン……、トントン、トン。
「何をしておるのだ?」
「黙ってみておれ。」
トントン、トン。
マツの反応が何もないのを確認すると、チハルは下腿部に指を押し当てて浮腫みの有無を確認した。状態の痩せこけように反してマツの足首辺りはプックリと浮腫んでおり、チハルが指を押し当ててると指紋がしばらくそのまま残るほど弾力を失っていた。
「んー、たぶん≪脚気≫ですね。」
「「かっけ?」」
「なんだそれは?」
「ビタミン不足です。」
「「びたみん?」」
チハルにもともと脚気の知識があったわけではない。南タライバンで知り合ったメルイーウの軍人らと練兵の様子を見に行った時に、請われて栄養学の知識を教えていたが。そのときにビタミンやミネラルに関する知識を一通り覚えておいただけである。コレラなどの中世の流行り病に関してはヴィキペディアで一通り勉強していたので、その一環で覚えていた知識からこれだと思うものを伝えただけだ。ちなみにマツを診察する仕草や言葉遣いが現代の医者っぽかったのはドラマの影響とチハルの演技力の賜物である。
「何か足りないのか?」
「マツさんの食事はどうしてます?」
「白米に野菜と、少しの肉か、魚だ。不自由はさせていない。イャワトにいたころより贅沢なくらいだ。」
「はい、アウト―!」
「あう?」
「白米を玄米に変えてください。それだけで治ります。たぶん。」
「むぅ?」
「人体には、本当にごく少し、少量も少量、しかし必ず必要なものというのがあるんです。」
「ふむ?」
「それが白米にはなくて、玄米にはたくさん含まれています。それが足りなくなるとこの病になるんです。」
「ぬ?」
「親父、聞き流せ、チハルがこう言いだしたら俺にもよくわからぬ。が、おそらく正しい。何せ通門者だ。」
「ふむ。」
「えーっと、なんだっけな。豚肉、大豆、昆布か。それと玄米。これを食べるだけでたぶん治ります。たぶんですよ。絶対じゃないですけど、おそらく。」
「なんじゃ、自信がないのう。」
「専門家じゃないですからね。」
「むぅ、分かった。手間をかけたな。マツ、礼を言え。」
「チハルさん、ご丁寧にありがとうございました。これからも福をよろしくお願いします。」
「いえいえ、こちらこそ。いつもお世話になってます。たぶん、治ると思いますので、いつまでもお健やかに。」
「はいはい、あらあら、こちらこそ、久しぶりにちゃんとした言葉を話しましたわ。大変な時期でしょうが、チハルさんもお元気で。」
「帰りに時間があればまた寄りますね。」
「はいはい、よろしくお願いします。」
そういってマツはぺこりと頭を下げた。照れくさそうに頭を書いてチハルは部屋を後にした。シリューが部屋に残ってしばらく看病するらしい。
「どうだ?本当にあれでいいのか?」
「んー、たぶん。僕の時代にはほとんどない病気ですけど。そうそう、あの絶対に必要なモノが足りないとあの病気になるっての、見つけたのは日本人ですよ。遠い未来の話ですけど。」
「ふむ、しかしよかった、治ると聞いて肩の荷が下りたわ。なんだったか、かっけ?か。」
「脚気、白米ばかり食べてるとなる病気です。さっき言った食べ物を食べるとすぐ直ります。」
「うむ、助かった。礼に何か……、そうだな、この屋敷にあるモノなら好きなものを持っていけ。そうだ、横に異人どもを追い出した後に奪い取って来た戦利品がおいてあるぞ。見るか?」
「異人たちの戦利品?西洋の品ですか!?見ます!見たいです。」
「こっちだ。」
チハルは建物に併設された土蔵に入り、サクシードが南タライバンで亜人らを売り買いしていた西洋人を追い出したという時の戦利品をみせてもらった。土蔵には西洋風の家具や調度品が雑然と並べられており、埃をかぶっていた。結構な量の書物もあったが、オランダ語かスペイン語か、チハルには読めない表題だったので無視した。
「そういえば、もしかしてさっきのマツさんの寝台と机も?」
「うん?そうそう、そうだ。異人から奪ったものを使っておる。」
「はっはっ、この辺じゃ見かけない意匠でしたもんね。」
「最初はイャワトノ時のように床に布団を敷いて寝ると言っておったのだがな、今ではあちらの方がお気に入りよ。何かいいものはあったか?どれでも持ってい行っていい。」
「そうですねぇ、食器くらいかなぁ。」
チハルはするすると土蔵の奥に入って棚の上をあさり始めた、その時。
「あ!」
「なんだ?」
「おおおぉおおおぉ!こ、これは!!!」
「なんだ?いいものがあったか?」
「ぎ、≪ギター≫じゃないですか!?!」
「おお、それか?なんやらいう楽器だな。弾き方がわからぬので、誰も手を付けなんだ。そんなところにあったのか。」
「これ、コレください。弦は……、弦が切れてる!び、琵琶とかあります?他の弦楽器の弦でいいですかね?これ!コレください!なんだっけ?この時代なら≪リュート≫?とにかく、これ、これがいいです。」
「そんなものでいいのか?弦なら、港の倉庫に他の楽器用のがあるだろう。それでいいのか?そんな楽器一つでたいそうな喜びようだな。」
チハルが手にしたのは≪ビウエラ≫と呼ばれた西洋の楽器である。チハルはラグビーボールを半分に切った形状の≪リュート≫と勘違いしているが、ビウエラは現代のギターに平たい形状の楽器で弾き方もほとんど変わらない。チハルが手にしたのはビウエラ・デ・マーノ、手のビウエラと呼ばれる六弦の楽器である。現代のギターに通じると形状はほとんど変わらない。名称は後にヴィオラと変化して管弦楽に使われるようになる。名称は後にヴィオラに変化し、管弦楽に使われるようになる。
チハルはすぐに倉庫から出て、服から埃をはたき落とした。始めてギターを手にした少年のように目をキラキラさせてギターをうっとりと眺めている。残っている弦をはじいて音が出るのを確かめたり、チューニングのペグを少しまわして調弦したり、そのはしゃぎようは側にいるサクシードにも伝わった。
「本当にそんなものでいいのか?」
「ふふ、知りませんね?この楽器の威力を。」
「なんだ?威力?」
「まずはチューニング、そして明日、"俺の歌を聞け"です。」
「??」
その後チハルはサクシードの案内で倉庫に眠っていた琵琶や筝に使う弦を大量に手に入れて宿に戻った。
この日チハルは一晩かけて手に入れたギター(正しくはビウエラ)を磨き、様々な種類の弦を通して音の高さを確かめ、調音し、より遅くにつま弾いて侍女たちを困らせた。
「チハルさま、今日は私たちと一緒に寝る日ですよ。そんなもの、明日で良いではありませんか。さ、早く寝ましょう。」
「まて、あと一弦。……、……。……。これ、これでいいはずだ。……。うし!」
「チハルさまぁ!」
この日の当番だというスーとイニーがベッドの上ですね始めた。
チハルは調音を終えたギターを手にベッドサイドに腰掛けると、アルペジオ奏法でコードを引き始めた。
「お前らが最初だ。聞け、他のみんなには内緒だぞ。」
チハルは高校生の頃にギターを始めて最初に覚えた曲、かの有名な≪Let it be≫を小声で弾き語った。聞き取れない英語の歌詞に侍女の二人は目を丸くしていたが、初めて聞く美しい旋律にうっとりし始め、両側からチハルの方にもたれかかった。
「……、どうだ?」
「……はぁぁぁ……。良い曲ですね。これも未来の?」
「うん、いい曲だろ?世界を変えた曲だ。」
「こんな歌もあるんですねぇ。しかしチハルさま、本当に多彩ですね。」
「まぁな。矢でも≪チェンバロ≫でも持ってこいってな。」
「ささ、歌の後は閨の時間です。さ、横になって。」
チハルはギターを手に入れた。




