第一章 第二十四話
第一章 第二十四話
チハルはここ数日、ずっと心にもやもやしたものを抱えていた。戦争も戦闘も経験したことのないチハルには、実際に準戦闘状態にあるこのタライバン島で、どんな戦略をとれば正しいかどうかを判断する資格も、権利も、能力もない。部外者というわけではない、実際にこの世界に呼び出され、現代知識を駆使して様々な物事にかかわってしまっているのだ。知人も、自分を信頼してくれる人も出来た。身の回りの世話をしてくれる侍女たちはチハルによく尽くしてくれるし、サクシードやイ神官には友情のようなものも感じている。
何かの拍子で歴史の歯車が少しだけくるっていたら、チハルは対岸の新王朝によって呼び出されていたのかもしれない。今よりも豊富な資源や人員を元に、もっと効率的に、もっと便利な未来の技術を再現できたていたかもしれない。メルイーウ王は政治に対してあれこれ口を出す人ではないのかもしれない。元の国では贅沢の限りを尽くして民を苦しめたのかもしれない。しかし数度会っただけの印象ではそれほど残忍な人には思えなかった。暴虐の限りを尽くした指導者というわけではなく、おそらくたまたま時運に恵まれなかっただけなのだろう、もちろんそうでないかもしれない。
運にせよ自業自得にせよ、チハルの知らないところでどんな国が亡びてしまおうとくどうでもよかった。現代にいた頃から政治や歴史には関心のなかったチハルである。外国の事情や過去の歴史が日本にどんな影響を与えようと、自分はそれに乗って儲けられればそれでよいくらいにしか思っていなかった。
「マジで、平和ってことだったんだろうなぁ。」
この時代のチハルは当事者である。これから戦争によって命を散らすかもしれない人々と、大なり小なり関わってしまった。そして自分の命も蚊帳の外に置いておくことはできない。
ふと猛烈な不安がチハルを襲った。呼吸が苦しくなり、めまいがする。チハルはすぐに椅子から立ち上がり、よたよたと移動して寝台に横になった。手招きで室内の侍女たちを呼び、寝台に寝そべらせた。その胸に顔をうずめ、しばらく息を止めて鼓動が落ち着くのを待った。抱きしめられていない侍女は子供をあやすようにチハルの頭を撫でながら、メルイーウの言葉で「ご主人様、大丈夫ですよ」とチハルに語り掛けている。別の侍女はチハルの靴を脱がしたり、水を用意したりと誰もがかいがいしい。
チハルがこの手の不安に襲われるのは、一度や二度のことではない。侍女たちも不安神経症などという病名は知らないだろうが、原因には心当たりがあるようで、その対応にも慣れたものである。
チハルは基本的に侍女たちに対して寛容で、優しく、その上全員に平等であった。彼女らの元々の興味を聞き、未来のデザインや編み物、芸術の技術をこっそりと教え、試行錯誤の末に作品が完成すれば、それを自分で身につけたりして彼女らの努力に答えた。部屋に引きこもってイアイパッドを検索しているときなどは、一日のほとんどの時間を同室で過ごしているのだ。しかも全員美人で忠節の塊。これで情がわかない方がおかしい。
しばらく胸に顔をうずめていたチハルは、落ち着いたのか深く深呼吸をした。
「んー、もう大丈夫、ありがと。」
「いえいえ、これくらいなんでもありません。」
「いや、助かるわ。ありがとね。」
チハルは胸をうずめていた侍女の額にキスをした。
コンコン。
ふと部屋のドアがノックされた。
「ん?客かな?」
部屋の前でどたどたと音がし、どこかで聞き覚えのある声がしたかと思えば、バタンとドアが開いた。
「チーハールー!遊びに来たぞ!クダレムの奴が暗い顔をしておってな、問い詰めても何も言わんので、チハルに知恵を借りに来た。あの男の口を割らせる知識を教えてくれい。」
「お……。」
チハルはベッドに中腰で、その周りにを侍女が囲んでいる。突然登場したショーピンが何かを勘違いするのに時間はかからなかった。
「ひ、昼間っから、盛んじゃのう。わらわは、い、よいぞ、気にせぬ。未来か?やはり未来の技を使うのか?」
「あほ。勘違いだ。わりぃ、お前ら隣に行っててくれ。」
侍女たちがショーピン姫に一礼し、部屋を出て隣室に向かった。きちんとドアは閉められ、室内はチハルとショーピンの二人きりとなった。チハルの部屋の隣室はしばらく前までイ神官や見張りの待機部屋となっていたが、今では侍女たちの寝室や休憩部屋となっている。
「む、チハル、おぬし?泣いておったのか?」
「いや、ない。」
チハルは袖で目頭をぬぐった。自分でも知らない間に涙を浮かべていたらしい。
「むう、どうしたのだ?いや、よい、そのまま、そ、そこに座れ。」
ショーピンはチハルの体を押し、寝台の脇に座らせた。ショーピンはそのままチハルの頭を抱きかかえ、自分の胸に抱え込んだ。
「お、おま、アホ!何する!」
「よいよい、おぬしはこの世界の人間ではない。不安なこともあるのじゃろう。しばしこうしておれ。」
「ば……。」
チハルがその気になればショーピンを跳ね除けるのもわけないことだが、なぜかそれができなかった。自分よりはるかに年下のショーピンが自分を慰めているという事実に少しは恥ずかしくなり、そしてどこかこそばゆい気持ちになった。数秒後チハルの耳にショーピンの心臓の鼓動の音が聞こえてきた。それを聞いて、チハルは急に冷静になった。
「んー、お前の心臓の音、聞こえんだけど。」
「ん?」
「めっちゃ早くね?てか、お前がドキドキしてどうする?」
「む!?」
「お前、もしかして、今、顔赤い?」
「な、なにを言っておる!ない、断じてない!」
「見せろ。」
チハルが上をむこうとすると、ショーピンが頭を抱える手に力を込めて抵抗した。チハルはショーピンの背中から手を回して、脇をくすぐった。
「よ、やめ、ひゃひゃひゃひゃはは!」
思わず手を放したショーピンの頭をつかみ、チハルは自分と同じ高さに引き下げてその顔をまじまじと見た。程よく日焼けした肌であったが、完全に高揚した赤い顔であった。
「ほらな、真っ赤じゃねーか。」
「ち、違う。これは走って来たからそうなっておるのじゃ!」
「いや、ま、それでいいわ。」
チハルはあっけなくショーピンの言い分を飲んで手を放した。ショーピンのチハルに対する好意に気付いたからだ。
「ショーピン、お前、何歳だ?」
「うん?今年で19になるぞ。」
「嫁には行かないのか?」
「む?おぬしもしかして知らぬのか?わらわは結婚しておるぞ?」
「へ?」
「正確には結婚しておった、じゃな。前の夫は王都の戦で死んだわい。」
「へ?」
「ん?聞いてはおらぬのか?わらわは後家であるぞ。」
「ひ、人妻?いや、未亡人?」
「なんじゃ?わらわを少女とでも思っておったのか?王の一族の女は誰も政治の道具であるぞ。16で嫁いで17で夫が死んだ。良い男であったが、子を作る前であったからな、王宮に戻りこうして共に逃げてきたというわけじゃ。」
「……。」
「……?何を止まっておる?」
「い、いや、うん。わかった、理解した。」
「うむ。そういうことじゃ。それでクダレムの口を割らせる方法である。何か良い知恵はないか?」
「ないな。そういう知識はある。しかし今は作れない。」
「ふむ、なるほど、では何かまた新しい遊びを教えてくれ。先日のコワク探し、あれは良かった。あれから他の者とも遊んでみたが、盛り上がるぞ。良いものを教えてもらった。」
「それが本題だろ?まぁ、いいぞ。あ、それと、これだ。お前の方から来るとは思わなかったが、いい機会だし渡しとく」
チハルは机の引き出しから一組のカードを取り出した。サクシードに注文して取り寄せた厚紙に、チハルデザインのキャラクターを版画で多色刷りにした"コワク探しカード"である。メルイーウ語で行動の順番と役割も書かれてある。コワクという怪物がチハルのイメージになかったので、某映画のエイリアンをそのまま模してある。
「む?ほう?おお、コワク探しの札か?なるほど、これは便利じゃ!おお、これがコワクか?!恐ろしい形じゃのう、これ、口の中から口が出ておるぞ?これで人を喰うのか?ほほう、夢に出そうじゃ。っほっほ、見よ、この村人の間抜けそうな顔を!はっはっは、傑作じゃ。」
「まあな、杯の中に石を入れるより音もしないし簡単だろう?それ、やるよ。」
「良いのか?ほむ、うれしいぞ。良い男じゃの!チハルはよい男じゃ!」
「うむ、そう褒めるな。」
それからチハルはあや取りや折り紙を教えてみた。手先が器用なショーピンは、すぐにやり方を覚えたが少し退屈そうだった。
「おまえ、それは俺の国の伝統芸術だぞ。折り紙はすごいのはすごいんだからな。」
チハルの語彙の少なさから会話が少しおかしくなってしまう。しかしショーピンはその意を汲んで答えてくれる。
「とはいえ、これは退屈なのじゃ。コワク探しのようなのはないのか?」
「心理戦か……?んー、俺が知ってるのは……。うん?そういや、お前酒は飲めたよな?」
チハルがニヤリとしてショーピンに尋ねた。
「飲めるぞ。」
「よし、最後のゲームだ。ちょっと待て、準備させる。」
「ん?良いぞ。」
チハルは侍女に小さな杯一つと三つの大きな杯、そしてそれに注ぐための酒を用意させた。チハルが作った焼酎を水で半分ほどに薄めたものだが、それでも10%ちかいアルコール濃度がある。
チハルはショーピンに味見をさせ、それが間違いなく酒で有ることを確認させた。
「ふむ、酒であるな。これをどうするのだ?負けたら飲むのか?」
「んー、それもいいんだがな。こっちに大きな杯が三つ。小さな杯が一つある。」
「こうしてそれぞれの杯に一杯に酒を入れる。」
「ふむ、それでどうする?」
「こっちの大きい三つが俺、そっちの小さいのがお前だ。どっちが早く飲めると思う?」
「はっは!異なことを!確実にわらわじゃ、どうひっくり返ってもこれは勝てぬぞ。賭けてもよい。」
チハルがクスリと笑った。
「では賭けようか。負けたらいうことを聞くでいいか?」
「前と同じじゃな、今度は一騎打ちじゃ、負けぬよ。というか、どうやら勝つ方法があるのじゃろう?逆にそれが知りたい。乗った。」
「じゃあ、規則だ。先に飲み終えたほうが勝ち。」
「うむ。」
「相手の体や杯に触るのもダメ。」
「邪魔をさせないということか?良い。が、しかしそれで勝てるか?」
「これだけだ。もう始めてもいいんだが、そうだな。あんまり不公平だし、一杯だけ先に飲ませてくれ。」
「ん?良いぞ。こんなの一口で飲めるしの。」
「じゃ、やるか、一杯だけ先に飲む、それからなら、いつでも飲んでいいが、それまで待ってくれ。いい勝負をするためだ。」
「分かった。」
「では開始。」
チハルは一杯目の杯を取り、ゆっくりと途中息継ぎをしながら20秒ほどかけて飲んだ。中身は400mlといったところだろうか。焼酎を水で割ったものとはいえ、かなりの量だ。とても一口で飲める代物ではない。
飲み終えたグラスをチハルは逆さにし、空になったのをショーピンに見せ、そのまま……。ショーピンが飲むはずだった杯にかぶせた。
ショーピンが驚きとともにチハルの意図に気付いて目を丸くした。
「相手の杯に触ってはいけない。」
チハルは二番目のルールを復唱し、すぐに二杯目のグラスに手を付けて一気に飲み干した。体にアルコール分が駆け巡る。三杯目に手を伸ばし、ショーピンが妙な機転を利かせないようにテーブルから離れて距離を取った。そして勝ち誇った顔で三杯目をゆっくり飲んでいった。
「ぬ!チハル!キサマ!ズル……、いや、何かあるはずじゃ、んんー。」
「はい、終わり。」
ショーピンが必至で頭を働かせている間にチハルが三杯目を飲み干した。
「俺の勝ち。」
チハルはショーピンの小グラスにかぶせておいた大グラスをはずし、飲めば?とジェスチャーで促した。ショーピンはグラスの中身を喰いといい気に飲み干し、大きく息を吐きだしてチハルに向き直った。
「悔しいのじゃ!どうすれば勝てたのじゃ?」
「ふー、はー、ちょっとまて、思ったより強!うえー。で、なんだ?」
「だからどうしたら勝てたのじゃ?」
「人のお願いを聞かない。勝負が始まった瞬間にグラス、杯を取って飲む、たぶんそれしかないぞ。」
「なんじゃそれは。やはりズルいのじゃ!もう一回やるのじゃ!」
「同じ相手には二度とできない方法、大人の遊びだな。」
「むぅ。未来人はズルいのじゃ、何でもありなのじゃ!」
「じゃ、勝ったからいうこと聞け。」
「んー、その前にもう一杯じゃ。」
チハルが酒樽からショーピンのグラスに一杯注いでやり、ショーピンはそれも一気に飲み干した。
「む、仕方ない。言ったことは守るぞ。」
「そうだなぁ。」
チハルは焼酎を一気飲みしたせいで、ほろ酔いを通り越しすでにかなり出来上がっている。顔も赤く、吐く息も酒臭い。
「何でもよいぞ。ふむ、ドキドキじゃな。」
「ふむ、こういうのはシラフじゃ無理だな。よし、俺も覚悟を決めよう。」
「む?なんじゃ?メルイーウ語で話せ。」
「ショーピン」
「うむ。」
「お前、死ね。」
「へ?」
「死んでくれ。」
「へ?」




