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現代日本人が綴るタライバン島史  作者: 黄蘿蔔
第一章
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第一章 第二十一話

 第一章 第二十一話


 チハルはここ数日講義とレセプションで知り合った者たちの仕事を見学して回っていた。メルイーウから渡って来た政府高官たちは島で豊かながらも原始的な生活を送っていた住民たちに、この時代最高峰の知識を伝え短い期間ではあるが確かな地盤を築きつつあった。


 しかし農業や軍事などは数か月で結果を出すのが難しい。農業に携わる者がこの数か月で行えたことと言えば検地と整地、そして栽培されている作物の調査、軍事に携わる者ができたことは連日の軍議と、戦場になりそうな場所の視察、徴兵と新兵の訓練くらいである。


 チハルは農事担当者には石灰と硫酸銅を配合した≪ボルドー液≫の作り方と使用法を指導し、軍事担当には栄養学、特にたんぱく質の摂取が兵士の肉体づくりに有効であり、脚気防止に玄米を、特にニンニクと混ぜ合わせて食べるとよいことを教えていた。


 ボルドー液は1882年にボルドー大学の植物学教授ピエール=マリー=アレクシス・ミラルデが盗難対策として植物に硫酸銅と石灰を混ぜた溶液を散布したのが始まりで、液を散布された植物に当時流行していたべと病の被害がなかったことから偶然発見された。その後数年の試験を経て1885年に論文を発表、その後世界中で使用されることとなる。安価で効果が高く、しかも植物表面に長期間残留して効果が続くことから現在でも広く使用されており、また通常の使用量では人体に影響を与えないため非常に安全であり、有機農法でも使用が許可されている。べと病のようなカビだけでなく各種細菌にも効果があり、2000年代まで茶葉やイネの特定の病気にはボルドー液が唯一の特効薬とされているものもあった。また近年の研究により植物そのものを活性化する作用があることも分かっている。


 栄養学の歴史の先駆けとされるのは、≪質量保存の法則≫でおなじみのアントワーヌ・ラヴォアジエである。彼は度重なる燃焼の実験の結果、人間の生命活動は呼吸で取り入れた酸素を燃焼させることで得るエネルギーを消費して行っていることを突き止めた。その後近代に入ってから生命維持に必要な三大栄養素や必須アミノ酸、ビタミンなどが相次いで発見された。特に≪ビタミンB1≫を発見し、脚気による死者を減らした鈴木梅太郎の功績は大きい。ビタミンB1は1910年に発見された。ニンニクの成分アリシンとビタミンB1が結合した≪アリチアミン≫はビタミンB1の誘導体で、ビタミンB1そのものよりも吸収が良く体内で長時間効果が持続するという特徴がある。1951年に武田薬品工業により合成された。


 玄米をニンニクと合わせて食べるだけではどれだけアリチアミンが合成されるかは疑問だが、何もしないよりは良いだろう。


 チハルはここ数日部屋に閉じこもって、ヴィキペディアを見てはメモを取り、眠くなったら眠り、起きたらまた同じ作業を繰り返すというのを繰り返していた。チハルの机にはメモが散乱、積み重なり、どこに何を書いたメモがあるかチハルにももう把握できていない。知識が膨大過ぎて調べるだけで一苦労なうえ、チハルが知らない知識も多くそれを理解するだけでかなりの時間を消費してしまう。

 チハルは一度机を離れ、日課のストレッチをゆっくりと時間をかけて行い、体を伸ばした。一息つくと侍女たちを呼び、メルイーウ語のレッスンを受けた。それが終わると再び机に向き直り、鉛筆と紙を整理して深呼吸を行った。


「よし、一回整理しよう。」


 チハルは元の世界の身の回りにあったもの、行った行動をまずは一日単位で書き出してみた。


 朝起きる。ベッド、目覚まし時計、カーテン、シーツ、枕。

 着替える。シャワー、下着、シャツ。

 朝食。冷蔵庫、水、ガス、パン、卵、果物ジュース。

 仕事。パソコン、株式、先物取引、携帯電話。

 休憩。ゲーム、体操、書籍、楽器。

 再び仕事。パソコン、投資、成績評価。

 夕食。レストラン、バー、買い物、通販、スポーツジム、サークル活動、ドライブ。

 帰宅。映画、DVD、BD、テレビ、通販、ゲーム、料理、デート、夜遊び、飲酒。

 風呂。タオル、温水、パジャマ、乾燥器、洗濯機、洗剤、シャンプー。

 就寝。音楽、消灯、電気。


「うーん、やっぱ電気とネットにどうしても依存してんなぁ。」


 今度はそれぞれの単語を紙の中央に書きそれから思いつく単語を枝状に伸ばしていく。≪マインドマッピング≫と呼ばれる手法で、頭の中を視覚的に整理するのに効果的な手法だ。例えば「ベッド」を中央に書き、そこから原料、木材、木材加工、塗料、ヤスリ、カンナ、ノコギリ、電動ノコギリ、金属、ネジ、ゴムといった枝を伸ばしていく。また別の方向にはシーツ、化学繊維、ナイロン、一枚布、紡績、羊毛、スプリング、マット、防虫、漂白、洗濯、しみ抜きなどの枝を伸ばす。他にも高級ベッド、綿、網、夜の営みといったベッドから連想されるものにも枝を伸ばしていく。伸びた枝の先にある単語、ノードからは再び関連する単語の枝を伸ばしていく。例えば「スプリング」から金属加工、ばね、針金、鉄、ステンレス、ニッケル、コバルト、チタン、合金、銅、錆、防錆、鏡面加工、イオン、炎色反応、サスペンションなどといった具合にだ。


 マインドマッピングという手法は近代に入り、イギリスの著述家トニー・ブサンによって考案された。1950年代に人間の記憶は機械とは異なる方式で行われているということが提唱され、1960年代にその理論を発展させて概念記憶という考えが生まれた。この概念記憶を図示したのが概念マップと呼ばれる図で、これをアイディアの整理に用いたのがトニーブサンのマインドマップである。個人で作るのもよいが、マインドマップが本領を発揮するのは数人から十人規模の≪ブレインストーミング≫と呼ばれる会議においてである。多数の乱雑な意見を視覚化し、意見の重複を防ぎ、奇抜なアイディアを切り捨てず、最終的な判断を助けるのに非常に有用なツールとなる。


 チハルは丸一日をかけてすべての単語のマインドマップを作り、それから数日はそれを一日中眺めて過ごした。


「んー、やっぱまず農業、次に工業、衛生、医療か。それから金属加工、化学ときて、最後に電気なんだよなぁ。」


 チハルは元の世界でも久しくやってなかった鼻鉛筆をしながら、椅子の背もたれにもたれかかった。数人いる侍女は部屋の隅でチハルの与えた数独を解いたり、編み物をしたりしながら談笑している。決してチハルの邪魔をしようとしない良い女たちである。


 チハルの考えは中世から近代の至るまでの世界の技術史をそのままなぞっているのだが、農業や工業に関しては一朝一夕に進歩が望めるものではない。少なくとも数年単位で開発や検証が必要で、農業に関してはタライバン島では一応自給自足ができているので、急ぎで技術開発が必要な部分でもない。


 製鉄などの金属に関する技術は工場の建設から始めなければならないが、チハルに知識や設計図があっても、実際にそれを作る工人たちが原理を理解していないと、細かい調整ができずにおそらく失敗する。歴史を変えるほどの技術を再現するにはおそらく十年単位の試行錯誤と、それを維持するだけの資金、なにより情熱が必要であろう。しかもそれらの先端技術は相互に関連しあっているので、どれか一つを完成させたところで応用できる範囲は極めて限られてしまう。


「まさに"巨人の肩に乗る"ってやつだな。改めて思うけど、いい暮らしさせてもらってたんだなぁ。」


 チハルは机に向き直り、マインドマップを整理して傍らに避け、新しく二枚の白紙を並べた。片方には≪外交≫、そしてもう片方には≪内政≫と大きく中央に書き、それぞれを眺めた。


「んー、結局、これなんだよなぁ。現世じゃ歴史はほとんどやってないけど、この二つは過去の例に学ぶしか手がない。やだなぁ、勉強する気がしねーなぁ。」


 チハルは学生時代から歴史や社会という科目に強い苦手意識があった。中学校時代の教師が変態的かつ暴力的で、それに反抗してテストを白紙で出してからこれらの科目を学ぶ気が全くなくなってしまった。経済を独学で学んだ時も「経済史」には全く手を出しておらず、そのため経済理論には詳しいがマルクスやエンゲルスといった学者が何を考案し、主張したのかさっぱり分かっていない。外交を学ぶなら外交史を、内政を学ぶなら内政史を紐解く必要があるが、チハルはそれを学ぶのに躊躇してた。


 チハルは二枚の紙を一通り眺め、鉛筆を動かした。しかし外交から戦争、軍事、交渉といった枝を、内政からは経済、失業という枝を引っ張り出したきりすぐに鉛筆を動かす手が止まってしまった。この分野におけるチハルの知識のなさを如実に表したマインドマップである。


「今って1600年頃だっけ?つーかこの頃、日本は何してんだ?平安時代?じゃねーよな?なんだっけ?戦国時代?鎌倉時代ってあったか?卑弥呼っていつだ?」


 ヴィキペディアで調べれば一発なのだが、チハルにはその情熱がわいてこない。恐るべし中学時代の変態暴力教師の呪いである。


「んー、戦国時代?あ、そういやあったな。≪信長のなんちゃら≫ってゲーム。」


 チハルは席を離れて壁際で充電していたイアイパッドを起動させた。ほとんど遊ぶことがなかったためフォルダーの奥にしまい込んでいたが、ふとそんな名前のゲームがあったことを思い出し、ためしに起動させみた。


 荘厳な音楽が流れ、タイトル画面が表示される。


≪信長の衝動 16 疾風伝≫


 チハルはヘルプを開き操作法やマニュアルを確認してみた。実際に起きた歴史を元にしたターン制のシミュレーションゲームらしい。チハルはペラペラとヘルプのページをめくりながら、ある場所で目を止めた。


「……エディット機能?このゲームでは地形や武将、外国との関係をエディットし、自分でゲームを作ることができます?弱小国から成り上がるもよし、強大国で初めて無双するもよし、あなたの好きなゲームをプレイしてください?ん?これは、ゲームをいじれるのか?上級者はマクロを組むことで生産物や軍事ユニットのカスタマイズも可能です?おお、なんだこれ?」


 チハルはページを戻し、ゲームのプレイ方法を確認した。


「内政コマンド?外交?軍事?農業に築城に登用?って、コレ、ゲームだけど、やけにリアルだな。」


 チハルはゲーム画面に戻りチュートリアルをプレイしてみることにした。


 羽柴藤吉郎という小柄な男がいろいろな知識を教えてくれるらしい。


 そして数時間。チュートリアルを終えたチハルは、王宮に使いを出しイ神官を呼び出した。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「イ神官!これ、この単語を翻訳してください。」


 チハルはゲームプレイに必要な単語を抜き出し、イ神官に渡した。


「ドウシタンデスカ?」


「いやいや、俺にもよくわからんのじゃけど、これ、翻訳してよ。あ、いや、翻訳はあとでいい、これ、説明するからちょっとやってみて。」


 チハルは思わず故郷の言葉を話してしまった。いつもは標準語だが、興奮するとつい出てしまうチハルの癖だ。


「ジャケ?ン?コレハ、ヒホウデスネ?サワッテモ?」


「いい、触ってもいい。んでこれ、ゲームなんだけど、俺も今さっき気づいて始めたんだわ。そしたら外交に内政って、一番知りたいことがあってさ。」


「コレハ、イャワトノコトバ?ワタシハ、コノジガヨメマセンネ。」


「あ、そうだった。じゃあ、この数字は分かるか?」


「ソレハ、マエニチハルドノニオシエテモラッタノデ、ワカリマス。」


「これが資金、これが兵力、ここが食料の数だ。」


「ウン?」


「んで、これ、地図なんだけどここに敵対してる国がある。相手の国の資金、兵力、食料の数はこう。ココとココが城の場所らしい。」


「ウン?タクサンアリマスネ。」


「イ神官、イ神官ならどう攻める?」


「ハ?」


 チハルがイ神官に見せているのは信長の衝動のジェネレーターで適当に作ったマップと自国の他には一国しかない簡易のゲームである。彼我の戦力差を20倍ほどに設定してあるが、技術力は自国の方がすこし勝っているという状況にしてある。


「イヤ、イミガワカリマセン。」


 チハルは少し時間をかけて画面の見方を教えた。一回のターンでとれる行動は内政、外交、戦闘のそれぞれ一つずつで、それを行うと一か月時が進む。画面の見方を理解したイ神官は、その絶望的な彼我の戦力差にあきれてものを言えなかった。


「コレハ、タタカッタラゼッタイマケマスネ。」


「ちなみに兵力は細かく分ければ歩兵、弓兵、騎馬、鉄砲がある。」


「イヤ、フツウニカンガエレバ、カテナイデス。」


「ならばどうする?」


「ニゲマスネ。」


「どこに?」


 地図には自国と相手の国以外の土地は残っていない。


「ウーン。ココカラミギハナイデスカ?ソウデスカ……、ドウシマショウ。カテナイデスネ。」


「内政や外交も可能だ。」


「オクリモノヲ、オクッテミノガシテモラエマスカ?」


「やってみるか?金はこれだけ持っている。宝物がこれだけだな。星が多いほど価値が高い。」


「ジャア、コレトコレ、ソレト、カネヲコレダケオクッテミマス。」


 チハルはパッドを操作し、イ神官の選んだ宝物と金を相手国に献上して機嫌を取る外交作戦を実行した。画面に装飾が施された着物を着た外交官が現れ、怪訝な顔をしている。


「"これっぽちか?"と言っている。」


「コレッポッチ?」


「相手はこれだけよこせと言っている。今の金額の五倍だな。」


「ゴバイ?!クニノカネノハンブンデスネ。」


「どうする?渡すか?」


「ンー、デハ、コトワリマス。」


「よし、断った。今回は何もなく帰ってもらったぞ。」


「ミノガシテモラエマシタカ?」


「いや、交渉はうまくいかなかった。あとは内政か、どうする田んぼを作ったり、整地したり、民の心をつかんだりできるぞ。ただし金が要る。」


「ンー、デハハタケヲツクリマス。」


「よし、では相手のターンだ。」


 チハルとイ神官はその後数ターンを内政や外交に費やし時間を稼いだが、最初につくった畑が完成する前の四ターン目に敵国がせめて来た。


「攻められたぞ。相手の戦力は……、6万。こっちは4千だ。」


「ロクマン?イヤァ、マケマシタ。」


「まだわからんぞ。こっちには城がある。相手の食料がなくなるまで持ちこたえれば勝ちだ。」


 チハルとイ神官は圧倒的兵力差を埋めるため籠城戦を選択した。ちょうど天候が悪かったこともあり、半月ほどの籠城でこちらの被害は約半数。相手はほとんど数を減らさなかったが、兵糧が切れたのか自国に逃げ帰っていった。籠城中に開拓済みの畑や生産設備が壊されてしまい、自国にはほとんど何も残らなかったが、一応滅亡は免れた。


 その後イ神官は畑を再生産して内政の充実に勤めようとしたが早々に資金が尽き、宝物と兵糧を売却、兵力不足を補うために徴兵も行ったが、民心が低くほとんど兵が集まらず軍事力は元の水準まで回復しなかった。そして約一年後に再び敵国から大兵力が送り込まれ、プレイヤーはあっけなく滅亡した。ゲーム開始から30分ほどのプレイであった。


「イヤー、コレハムズカシイデスネ。」


「だろ。ただこれが、今のメルイーウ王国の現状みたいなもんだ。」


「ナルホド。チハルドノハ、コレヲツカッテテキヲタオシマスカ?」


「いや、正直俺もこの状況からは勝ち目が浮かばん、が、宰相や参謀ならどうだ?勝てなくとも、負けない戦は出来るかも知れん。現実に合わせたデータを入れれば、もっと現実を模したプレイもできると思う。間に海を挟んだりな。」


「ソウデスカ?デハ、コレヲホンヤクスレバイイデスネ?」


「うん、頼む。できたら俺が仮王宮に説明に行くわ。あと今の遊びについては他言無用で頼む。」


「ワカリマシタ。」


 イ神官がチハルに渡されたメモを手に部屋を去った。仕事の速いイ神官のことだ、明日には翻訳済みのものを持って再びここを訪ねてくるだろう。


「うし、じゃ俺もプレイしてみるか。」


 その後数時間一人用ゲームをプレイしたチハルは、信長の衝動の現実に即しすぎたリアルさに驚き、様々な戦略を学んだ。ある程度ゲームに慣れると、先ほどイ神官がプレイした戦力20倍の設定でプレイしてみたが、何度やっても一年程で詰んでしまうのでプレイを諦め、今度は地形エディットに取り掛かった。


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