第一章 第十六話
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第一章 第十六話
「姫様?」
「うむ、わらわも参加するぞ。席は空いておろう?どこじゃ?」
「姫さま、さすがにお戯れが過ぎます。」
さすがに見かねたのか宰相のクダレムが側に寄ってきて、姫という女性に物申した。チハルにはあまり聞き取れなかったが、何を言っているのかはよく分かった。
「そうじゃ、この者が今代の通門者であろう?名は……、なんといったかチハル?チハルじゃ、そうであろう?ふむ、なかなかの美男じゃな。おぬしがあれじゃ、数独とかいうのを作ったのだろう?ほれ、何とか言ってみい。」
名前の部分だけ聞き取れたチハルが、女を見据えた。
「そうです、チハルといいます。姫様。」
「姫様などとかしこまらんでよい。別の世界から来たのだろう、この国の風習とは違うのじゃ、普通に接してよいぞ。ほれほれ。」
チハルの目の前で女が手のひらを揺らして挑発するような仕草をした。普通に接してよいと口ではいいながら、自分と相手の身分の差を考えて遊んでいるのだろう。チハルは側にいたイ神官に内容を翻訳させて、女の言うことを理解した。
「普通に?OK?では。」
スパコーン!
チハルは手にした講義資料をクルクルとまとめて、女の頭をひっぱたいた。もちろん痛みは感じないように手加減はしてあるが、いい音が教室に響き渡る。その音の後、教室内が静まりかえった。女は頭を押さえてきょとんとしている。
チハルは内心「やったぜ!」とガッツポーズだが、重臣たちにすれば自国の姫に対するとんでもない狼藉である。軍属の者たちの一部が腰を上げようとしていた。こういう時は勢いに任せるのがよいとチハルは瞬時に判断した。
「講義を聞くならさっさと椅子に座りなさい。翻訳!」
傍らのイ神官にすぐに翻訳させ、女に空いた席に座らるよう促した。
女は頭を叩かれたよりも講義へ参加を許されたのが嬉しかったのだろう。にっこり笑ってチハルを見た後、飛び跳ねるようにして席に向かった。
宰相のクダレムがチハルに小さい声で何か言っている。
「あ、僕の世界ではうるさい学生にはああするのが普通です。普通。翻訳お願いします。」
「……。」
クダレム宰相は涙目でチハルを見たが、がっくりとうなだれて席へ戻った。
そうこうしているとチリンと鈴の音がなり、その音がだんだんと大きくなってきた。教室内の全員が起立し、胸に手を当てて首をうなだれている。全員王との対面が認められている身分らしいが、やはり入退室時にはこうして敬意を払うのが普通なのだろう。イ神官は平伏しようとしているが、いちおう対面での通訳を許されたので、チハルが引き上げて立たせ同じような仕草で礼を示すよう促した。
立ち上がりもせず、敬礼も取っていないのは姫と呼ばれたあの女だけである。チハルがちらりと横目で見ると、女は目を合わせてにっこり微笑み返した。チハルがその美貌に一瞬ドキリとしたのは秘密である。
しばらくすると扉が開き、王が現れた。姫以外の全員がさらに首を下げて礼を尽くす。王は従者を従え最奥の席に向かった。途中自分の娘が紛れ込んでいることに気づき驚きと叱責の視線を向けたが、娘は目をそらして肩をすぼめ体を小さくしたので、王は小さくため息をつき自席に腰を下ろした。いつものことなのだろう。おてんば娘を持った父親として、また王としての気苦労が察せられる。
王が腰を下ろすと全員が立礼を解き、それぞれの席に着席した。チハルは教室の隅に待機していた助手に支持し、あるスイッチを入れさせた。部屋の四隅に備え付けられた大型の扇風機が回り、教室内に心地よい風を起こした。それと同時に教室内が驚きに包まれた。扇風機はサクシードに量産させているのだが、いまのところ王とチハルの自室にしか備え付けられていないので、この場にいるほとんどの高官たちは目にしたことがあっても稼働しているのを見るのは初めてのはずだ。
「えー、それでは、講義を始めます。が、その前に。皆様の机の側にあるコレ、これの使い方を説明します。」
チハルはイ神官との打ち合わせ通りに、鉛筆と消しゴムの使い方の説明を始めた。
「あまり力を入れすぎると折れます。なので適当な力で書いてください。芯が短くなったらこの部分を刃物で削れば新しく使えますが、この部屋では帯刀が許されていないので、予備を用意しています。自由に使ってください。」
全員が初めて目にする鉛筆を手に取り、全員がチハルの説明通り紙に線を引き、全員が同じように驚いた。そしてパンを乾燥させた消しゴムの説明が始まる。
「それと、こちら。本来は樹脂を使いますが、今回は簡単にこちらで代用します。これで先ほど書いた線をこう、こすってみてください。紙を破かないように。軽くからゆっくり力を込めてください。線が消えると思います。どうです?そうそう、間違えたらこれで線を消してください。」
全員が再び驚いた。今まで墨を使って文字を書いていた人々には相当な衝撃だったようだ。鉛筆で細く線を引け、そして消せる。これで墨壺を持ち歩かず、衣服を汚すことなく、いつでもだれでも細い線を引ける。創作や記録の文化はすぐに大きく変わることだろう。
チハルとイ神官はは一通りの説明を終えると、一呼吸置きゆっくりと発言した。
「これから僕が行うのは、未来の賢者たちが僕の時代に伝えた哲学というものです。最初に断っておきますが、この哲学というものは、敵に勝つための方法でもありません。知らなくても幸せに生きていけますし、この時代の人にとってはむしろ知らない方がよかったと後悔することの方が大きいかもしれません。途中気分を害することもあるかと思いますが、ぜひ寛容な心で講義を楽しんでいただきたいと思います。」
「……。」
イ神官が手元のメモを流麗なメルイーウ語で読み上げた。
「僕からのお願いはただ一つです。"考えることを止めないでください"、これだけです。それでは講義を始めます。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まずはこういう状況を考えてみてください。」
チハルは黒板にチョークで横向きに大きくYの字を書いた。今まで壁に貼られていた鉄板は一体何かと気になっていた一部の学生が驚いている。
「あなたは馬車に乗っています。不幸なことに馬が暴れ出し、あなたの力では馬車を止めることができなくなりました。手綱は効くようなので、方向だけは指定することができます。さて、ここで目の前の道が二つに分かれており、片方の道には5人の人が、もう片方には1人の人が見えます。どちらもあなたの馬車には気づいていません。このまま進むとどちらかの道の人たちをひき殺してしまいます。」
チハルは学生らの理解を確認しながらゆっくりと説明した。黒板の図には適宜、図や線が書き足されていく。全員が十分に状況を理解できたのを確かめるとチハルは最初の質問を投げかけた。
「では、みなさん、こちらの道に馬車を進ませるという人は軽く手を挙げてください。」
チハルは教室の大部分が恐る恐る手を挙げるのを確認すると、そのうちの一人を指さし発言を求めた。
「えーっと、すみません、そこの方。お名前は?フーローさん?ではフーローさん、なぜこちらの道を選んだんですか?」
「……。」
「5人の命の方が1人の命より大切であるからだ。(イ神官の通訳:以後同じ)」
手を挙げたほとんどの人が彼の意見に頷いた。
「五人の命は一人より重い?他の人も同じ意見ですか?え~ッと、先ほどのクダレムさん、あなたもそうですか?」
「うむ、おそらくほとんどのものが同じ意見であろう。」
チハルはほかにも数人の意見を聞いたが、誰もが同じ答えだった。ちらりと王の方も見てみたが、涼しい顔で軽くうなずいているだけだった。姫と呼ばれた女もそうだ。
「……、分かりました。それでは、皆さんの場所を変えてみましょう。皆さんは今までこちら、馬車に乗っていましたが、今度はここ、この道の脇、ここにいます。人が1人の方の道は消してしまって……、今度は一本道です。道の先にはまた5人の人がいます。こちらの道の先から馬車がやってきました。あなたはここから見ています。さきほどと同じように馬が暴れています。」
チハルは学生たちの顔色を見ながら説明を続ける。イ神官の通訳もうまくいっているようだ。
「今度はあなたはそれを見ているだけです。いいですか?そんな時、ふと、あなたの横に、"太った男"がいて、同じように迫りくる馬車を見ています。あなたはここ、馬車がこう来ます。分かりますか?そのあなたの横に太った男です。想像してください。」
先ほど発言したフーローも頷いている。
「今回はこうです、あなたがもし隣の太った男を小突いて道に投げ出せば、馬車はそこで止まり、こっちの5人の男は助かります。さぁ、ここでこの男を突きだすという人は、もう一度手を挙げてください。この男を突きだせば、こちらの5人の命は助かります。どうですか?」
教室内の人々が質問の意図に気付いてざわついた。誰もが近くの席の人と顔を合わせ手を挙げるのを戸惑っているようだ。その中で一番先に先ほど発言した宰相クダレムが手を挙げた。
「では、クダレムさん、先ほど五人の命は一人より重いという意見でしたが、この場合はどうですか?」
「……。」
「私なら突き出す。そしてその男のことを祀り、死後も称えるであろう。」
「なるほど、死後、祀ることで五人の命を救うと。ではメルイーウの法では、あなたはどうなりますか?」
「む?そうだな、裁かれて死罪になるかもしれぬ。それなら私とその男二人の命で、五人の命を救うことができる。」
「同じように5人の命は1人ないし2人よりも重いということですね。では、手を挙げなかったフーローさん。どうして意見が変わりましたか?」
「うぅむ、難しいな。大声を出してはいけないのか?5人に馬車が来ていることを知らせれば、助けられる。」
「はい、そういうのはナシです。」
「では、我は傍観するだろう。理由は……、うむ、そうだな。我は文官でな、自分の手で人の命を奪うのは慣れておらぬ。もっとも自分の仕事の結果として人が死ぬことも……、もちろんあっただろう。そういう時はなるべく人が死ぬのは少ない方がいい。」
チハルは手元の出席者リストを見ながら、返答した。
「そうですね、フーローさんは海事……、の仕事の人でしたか。なるほど素晴らしい意見です。他に意見がある人はいますか?軍人さんの意見も聞きたいですね。どうでしょう?」
チハルは顔をさっき顔を覚えたばかりの軍参謀タクトを指さし、発言を求めた。
「む?そうですね、全員味方で同じ地位であると仮定するなら、もちろん人死には少ない方が良い。後で馬車の管理者を処罰するにせよ、5人よりも少ない犠牲で済むなら、そのほうが良い。私なら、男を押すでしょう。」
突然の質問に少し戸惑いながらも、軍参謀タクトはそう答えた。
「なるほど。それも軍人として厳しい意見です。タクトさん、ありがとうございました。」
チハルは教室内を見渡し、軽い困惑にある学生らに向かって大きな声で述べた。
「今、こうして2つの質問をしましたが、途中で意見を変える人がいましたね?半数ほど……、ですか?ここにいる皆さんなら、どちらの意見もそれなりに納得できるものだと思います。……、では、なぜ多くの人が途中で意見を変えることになったのか、その理由を説明できる人はいますか?」
チハルの思惑に反して教室内の半数以上が手を挙げた。王の面前で、自分たちが試されていると感じているのだろうか?メルイーウ王国の頭脳と呼ばれる人々が集っているのである。チハルはここにきて中途半端はせず、徹底的に徴収らの正義を暴いてやろうという気になった。
「では、そこの方。お名前は?」
「都察管理官オレイン・イウである。二つの状況を比べた場合、1人の側の、最初は道の上、次が自分の隣という状況に違いがある。また自分が初めから当事者か傍観者から当事者になるのかという違いもある。人は突然舞台にあげられると、冷静な判断ができなくなるものよ。」
すると突然別の席から反対意見が上がった。
「いや、それはおかしい、突然当事者にされたことよりも、自分の手で人を殺すのを良しとしないからだ。最初は結果、次は過程が問題なのである。」
「いやいや、……。」
教室内が収拾のつかない議論の渦に飲まれかけた。おそらく軍議などはこのようにして行われるのだろう。チハルはこれも予想しており、収拾のための作戦はすでに用意してある。
イ神官に目配せして、チハルは演台の下から木製の槌を取り出した。≪ガベル≫と呼ばれる木槌で、(日本では使われないが)裁判所の判決を出したり、聴衆の注意を引くために叩くあれである。もともとは鈴を使う案もあったのだが、イ神官に王の来訪を告げる鈴と混同されるとして却下された。
コンコンコン。
チハルが木槌で演台を叩くと聴衆らが議論を止めて演台の方を振り返った。一部はすでに立ち上がり、議論の相手と向き合って唾を飛ばしていた。
「さて、実はこの問題にはこれから先の未来の賢人がある答えを出しました。今から150年ほど先の未来、西の国で一人の哲学者が、こういうことを述べます。」
チハルはコホンとそれっぽい咳ばらいをして、英語をローマ字読みでそれっぽく発音してみせた。
「"The greatest happiness of the greatest number"。(テ gレアテst ハッピネs オf テ gレアテst ヌンベール)」
聴衆が目を丸めたのを確認し、チハルは黒板にこの語を書いた。発音があっているかどうかはまったく気にしていない、あくまで迫力重視である。最後のベールの部分はそれっぽく巻き舌を効かせて発音した。
「最大に多くの人の最大の幸福、これこそが未来の賢人の出した"正義の一つ"です。」
1748年にイギリスで生まれた哲学者、ジェレミー・ベンサムが提言した≪功利主義≫の根幹をなす言葉である。各人の幸福は比較できその総量が大きくなる方が人としての正しい行いであるという考えである。
「皆さんは無意識のうちに、自分の罪の重さや、死ぬ人の命の重さを計算し、天秤にかけ、そして判断を下しました。……、と思います。賢い皆さんのことでしょう。こちらの一人が自分の友人であった場合、政府の高官であった場合、そして……、もっと高貴な方であった場合、こちらの5人が10人なら?100人?1000人なら、もっとたくさんなら?こちらが自分の家族なら?敵なら?そういったことまで考えたはずです。」
教室内がしんと静まり返った。
「そしておそらく、そういう場合でも、……要は人間の幸福や罪を勘定すれば選択が可能である、と考えたことでしょう。」
チハルは黒板にチョークを力強く走らせた。
「それを≪Utilitarianism、功利主義≫と言います。」
単語に大きく丸をし、聴衆の顔を眺めた。全員がほほうと納得した顔である。
「皆さん、これが"正しいこと"に対する答えの一つです。おそらく軍隊などでは受け入れやすい考え方だと思います。どうでしょう?」
軍属のものたちはドヤ顔で頷いている。チハルはそれを確認してから、小さく咳ばらいをした。
「次はこれが成り立たない状況を見てみましょう。」
チハルはちらりと窓の外を見て、日の傾きから時間の経過を計り、イ神官を見て頷いた。
「それでは少し休憩します。30分ほどですかね。隣室に軽食と水を用意しておいたので、お腹がすいた人は隣室へ。では、僕は一足先に隣室に失礼します。」
チハルは唐突に休憩を切り出して講義を一区切りし、イ神官と連れ立って隣室へ向かった。
各種学会などでよくあるレセプション方式である。隣室にはチハルが大急ぎで準備した黒糖クッキーと飲料が準備されていた。王様のものは別に取り置きしてあり、すでに毒見が済んでいる。後で届けさせる予定だ。




