第一章 第十四話
第一章 第十四話
王と側近たちへ現代哲学の講義を行うことになってから、チハルはイ神官からメルイーウの文化を学び、現代のヨンデル先生の質問をこの時代と世界にアレンジする作業に取り掛かった。鉄道やトロッコ、臓器移植などの概念はないので、それらをこの時代に合わせた言い回しに換える必要がある。
「そういえば、イ神官はメルイーウのどこ出身なんですか?」
「ワタシハ、オウトカラスコシミナミニアルトコロデスネ。ウツクシイミズウミガアリマス。」
「帰りたいとは思いませんか?」
「シンカンニナルトキニ、カゾクトワカレハスマセマシタ。モウニドトアエマセン、ミズウミハ、マタミテミタイデス。」
「そうですか。ところで、メルイーウで信仰されている神様はどういうものなんですか?たった一人?それともたくさんいますか?」
「カミハタクサンイマス。ソレゾレノシゴトヤマモルヒトガキマッテイテ、カミサマニモシゴトヤ、カンイガアリマス。ニンゲントオナジデスネ。」
「神を研究する学問はないんですか。」
「アリマス。オウトノシンカンガヤッテイマスネ。ココニハヒトリモキテイマセン。」
「ほう、そうなんですか。王都にも相当な神官が残っているんでしょうね。」
「シンカンダケデ、スウマンニンイマス。オウキュウニハイレルノハイチブデスガ、イロンナチイキニモイマス。ゼンブアワセルトスウジュウマンニンデスネ。」
「数十万!?そんなにいるんですか?その中で一番偉いのが神官長?すごいですね。イ神官もかなり上の人でしょう。」
「ホントウハシンカンチョウノウエニモウヒトリ、ダイシンカンチョウガイマシタ。ガ、オウトニノコリマシタネ。イキテイルカ、シンデイルカワカリマセン。ワタシハ、マァ、シンカンチョウニハカナイマセンガ、オウキュウニハハイレルミブンデスネ。」
「ほおー、二人ともすごいんですねぇ。あったことがある他の神官さんたちもさぞかしすごいんでしょう。ほー、へー。」
「イエイエ、ソレホドデモ。」
「ところで……、王都に帰られると、本当に思っていますか?」
イ神官の顔色が変わった。デリケートな質問であるのは重々分かっていたが、チハルがこの質問をしたのはたんなる好奇心からだけではない、王に近しい人が王都奪還の可能性をどれだけ信じているかというを、講義のためにも知っておく必要があった。未来の知識とはいえ、王の前で下手な発言をすれば、(実はチハルはあまり心配していないのだが、)チハルの首が飛んでしまう。その辺の質問内容をイ神官とすり合わせておく必要があった。
「チハルサン、トテモムズカシイシツモンデスネ。ワレワレブンカンハ、グンジニクワシクナイノデ、ヘタナコトヲイエマセン。」
「あー、そうですね。すいません、答えなくていいです。この手の質問はしない方がいいですね。」
「ソウデスネ、サケルホウガブナンデス。」
「ではこちらは?メルイーウにも税がありますか?税金。どういった形で払っていますか?兵役とか?」
「アー、ソレハ……。」
チハルの疑問にイ神官が答え、それを受けてチハルは講義で使う質問票を作っていく。チハルは「大学の時のプレゼンの準備してるみたいだな」と感じ、少し頬を緩めた。イ神官に「ナニカオカシイコトデモ?」と指摘されたが、「ただの思い出し笑いです。」と答えてすぐに作業に戻った。
作業は連日夜遅くまで行われ、多くの試料が作られたのであった。この時チハルの使っていた筆が壊れてしまい、チハルは≪鉛筆≫、または≪万年筆≫の作成を決意した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
チハルは数日をかけて質問票を完成させ、イ神官を通じて講義の準備完了を王宮に伝えてもらった。王都からの返答によれば高官らのスケジュールの調整に数日かかるらしいので、それまでは自由に過ごすことができる。
「ならば!もう一つ度肝を抜いてやりますか!」
チハルはサクシードに黒鉛と陶芸用の粘土を取り寄せてもらい、≪鉛筆≫の作成に取り掛かった。細かく砕いた黒鉛とデンプン粉を混ぜ合わせ、それに粘土を加えて気長に混ぜ合わせた。もちろん作業は助手たちにも並行させて行っている。黒炭の粉を混ぜた粘土がかなりの固さになったら、今度はそれを細長くのばし、天日で乾燥させる。現代のものよりも倍ほど太いが鉛筆の芯の完成である。
乾燥時に大きく曲がってしまったものは除き、それに細長く切って糊をしみこませた紙を巻いていく。一般に芯を挟む部分は木製であるが、今回は均一な太さの芯が準備できなかったため紙巻のペーパー鉛筆を作るつもりだ。彫刻刀で先端を細く研げば立派に鉛筆として使える。
チハルはすらすらと紙に線を引いてみた。
「うーん、やっぱ薄いなぁ。しかも何か引っかかる。」
チハルは試作した鉛筆で紙に文字を書いてみたが、どうもその使用感に納得がいかないようだった。現代の鉛筆の芯には黒鉛と粘土の他にも書きやすさを増すためにいくつかの成分が加えられており、それがないためどうしても使用感に差が出てしまう。しかし実験に付き合った助手たちはその完成に驚いていた。
「センセイ、これはすごいですね!一つください!」
チハルは助手たちに自身を"センセイ"と呼ばせていた。メルイーウ語での簡単な意思疎通はすでに可能となっている。
「いいですよ!コレ、短くなったらここをこうして、削る?そうそう、それでまた使えます。」
「面白いですね!コレ」
「でしょ!これを量産してください。あ、王様が使うものは、一番外側にこのきれいな紙を巻いてくださいね。」
「分かりました。」
チハルはこれを初回の講義でお披露目する予定だ。王が同室する可能性があるので刃物を持ち込むことができないため、あらかじめ削っておいたものを各人に数本ずつ提供する予定である。
「これで≪鉛筆≫は完成、と。それと……。」
チハルは中庭に出て、あらかじめ乾燥させていたあるものを実験室に持ち込んだ。
「助手さーん、これ、これ使ってみて。」
「なんですか?」
「今書いた紙、これをこうしてこすると……。」
「おお、消えました!」
チハルがもう一つ準備したのはパンを乾燥せた≪消しゴム≫である。合成樹脂が準備できないため古くから使われていた≪消しパン≫で代用することにした。この時代のものでは紙をかなり炒めてしまうが、一度書いたものを消せるというのは学習にとって非常に有用である。
現在のような黒鉛を使った鉛筆が発明されたのは16世紀の終わりごろのヨーロッパであり、チハルの居る世界ではすでに西洋で生まれている技術である。ただし初期の鉛筆は黒鉛をただ削ったものを木軸に詰めただけのもので、必ずしも使用感に優れているものではなかった。チハルが作ったような黒鉛粉を粘土に混ぜて作るカルノー式鉛筆と呼ばれるものは1795に登場する。粘土を使った鉛筆芯は加える粘土の量によって高度や黒鉛の濃度を調整することができ、鉛筆の硬度と呼ばれるものが生まれた。チハルの世界では、これも今から200年ほど先の技術である。
消しゴムは鉛筆とほぼ同時期に生まれた。当初はチハルのようにパン屑が使われており、天然ゴムを使ったものは1770年に生まれた。現在は天然ゴムを使った消しゴムはほぼ作られておらず、すべて合成樹脂を使ったものに置き換わっている。
チハルはすぐにサクシードを呼び、製造法を伝え、量産体制に入った。書きなおしができる鉛筆は教育や簡易の記録用として普及すれば教育や記録に大きな進歩が生まれるだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あー、そうそう、そのままそのまま止まって止まって。動かないでくださいね。」
「こうか?」
「そうそう、目は、ここ、ここを見て。」
チハルは招いたサクシードを椅子に座らせ、その横から完成したばかりの鉛筆を持った腕を伸ばして片目をつぶった。鉛筆には親指が添えて伸ばされている。美術の授業でよくやるアレだ。
チハルはキャンバスに向き直ると、鉛筆の腹を使ってスッスッと線を引き始めた。行っているのはサクシードのデッサンである。
チハルは子供の頃から手先が器用で、芸術方面にも一般以上の水準の技量を有していた。鉛筆を使ったデッサンもお手の物である。ただし色彩感覚に難があったため、色をつけさせると途端に作品の水準が下がってしまうのだが。他にもギターやピアノなど一通りの楽器は趣味レベルで修めている。
チハルはそのまま線を引き続け、10分ほどサクシードと会話を楽しみながら、秀作を一つ作りあげた。
「ほう、大したものだな。」
「鉛筆デッサンなんてしばらくやってませんでしたが、どうです?似てるでしょ?」
「うむ、しかしこれは面白いな。ははは、俺の肖像画など一枚もないが、これはすばらしい、誰にでも使えるというのもいい。何より安いわ。はっはっは。」
「あ、でも影武者がいるんですよね?こういう肖像はまずいですね。捨てましょう。」
チハルはすこし照れくさそうに書き上げたばかりのサクシードの肖像をかるく丸めてしまった。
「お、おいおい、構わんぞ。俺が持っていればよい。返せ。もったいないわ。」
「そうです?じゃあ、はい、どうぞ。あ、サイン入れないと。こうこうこうと。」
「うむ、恥ずかしいものであるが、記念に取っておこう。」
「書いた僕もなんだか恥ずかしいですね。」
「はっはっは、せいぜい大儲けさせてもらおう。そういえば、あと数日で王宮で講義ということであるが、準備は大丈夫か?」
「あー、そうですね。バイトで家庭教師してたこともあるんで、まぁ、大丈夫でしょう。」
「バイト?家庭きょ?なんだ?」
「教師ですね。先生?師匠?人にものを教えてたことがあります。ちょっとだけですけど。」
「工人で、商人で、教師か?まったくチハル殿はよくわからんな。」
「バンドやってたって言ったら、楽師も加わりますか?」
「楽師?はっはっは、もう何でもありだな。すごいものだな、未来というのは。」
「僕の生まれた国はそういうのがとにかく自由ですから。」
「ふむ、うらやましいと言っていいか、分からぬが……、400年の差とはかくも差のあるものであるか。」
「あ、そうそう、講義がうまくいったら、一度市政の人にも同じことをやってもよいか許可を取るつもりです。そしたら質問票を印刷して本にしてもらえますか?」
「それはよいが、字を読めるものは少ないぞ?」
「ああ、そうでしたね。それで、タライバンの言葉は文字がないんでしたっけ?うーん、あ、それなら絵本にしましょうか。」
「エホン?」
「そうか、そうだ!≪絵本≫にすればいいんですよ。」




