第一章 第十三話
第一章 第十三話
チハルは氷の製造の功績と、その過程で得たエーテルの麻酔作用がメルイーウ軍に認められ、新たなる官位を授かることとなった。案内にやってきたイ神官によれば、与えられる官位は従六位の工芸なんとか総括なんとかという位で、六位からは王への直接の提言が許されるらしい。下賜される褒美は侍女の所有といくばくかの宝物であったが、チハルにとってあまり意味のないものであった。しかし王への提言が許されるというのはチハルの心を大きく揺らした。
「どうせなら、あれを提案してみるか。」
チハルはイ神官と連れられて仮王宮の王の前へ入った。今回は神官長はいないようだが、高級な文官が数人王と共に入室した。
「……。」
「ツウモンシャ、マ"トゥ"オカ・チハルニジュウロクイXXXXXXノカンイヲサズケル。オモテヲアゲヨ。」
チハルは初めて顔を上げることを許され、王と対面した。チハルには初めて見る人の顔をまじまじと観察してしまう癖があり、今回も王と目を合わせたまましばらくその顔つきを観察していた。王からはなるほど心労からか痩せこけてはいるが、人の上に立つ風格というものが感じられる。反乱を招いたそうなのでその政治能力には疑問があるが、幼少より王として育てられ王として生きてきた生き様というものがその表情から感じ取れた。チハルがこうして国のトップと面会する機会というのも初めてではあるのだが。
「……。」
「ハツゲンヲユルス、ソウデス。ナニカアレバ、シツレイノナイヨウニドウゾ。」
イ神官は平伏したままなので通訳には不便ではあるが、官位の差というものがあるのだろう。
「それでは……。ゴホンゴホン。」
チハルはわざとらしく咳ばらいをし、緊張をほぐしてから王に向き直った。周囲の文官らからの視線が突き刺さる。
「王に未来の賢者たちの知識を授けたいと思います。もし興味があれば、お時間をいただきたいと思います。」
「……。」
「クワシクセツメイシロ、トイッテイマス。」
「僕の持っている書の中に、今より200年から300年先の賢者たちが出した人間についての真理についての知識があります。僕が知っていても意味がないので、せっかくですので実際に国を動かしている人たちに知ってもらおうかと。王様でなくてもよいので、宰相や高級文官ら、武官の人たちでも結構です。そういう人たちに知ってもらえれば有用かと思います。」
「……。」
「ソレヲシッテドウナル?トキイテイマス。」
「分かりません。場合によっては王の意向に沿わない意見や感想が出る可能性もあります。なにぶん未来の知識なので、この時代にどのような影響を与えるのか僕にも予想できま銭。それが嫌ならばこのまま知識は封印します。望まれるのならその知識を削除することも可能です。えーっと、ひとまずここまで通訳お願いします。」
「……。」
「しかし賢者の思考をなぞるというのはそれだけで人生を豊かにすることがあります。氷やエーテルと違い物質ではありまえんが、その知恵に触れるだけで人を豊かにする知識と言うのは僕の時代でもそれほど多くはありません。国の高官らが賢者の知恵を学ぶことには、それだけで意味があると考えます。」
「……。」
チハルは王から目をそらさずここまで言い切った。王はチハルの目を見て、ゆっくりと口を開いた。
「……。」
今度はイ神官が通訳する前にチハルが答えた。
「今のは僕にもわかりました。必要な時間ですね。一日1-2時間、それを10日もあれば一通りの知恵を身につけることが可能です。えーっと、『一日1-2時間、10日くらいで大丈夫です(メルイーウ語)』。」
簡単なメルイーウ語を身につけているチハルは、たどたどしいメルイーウ語で答えた。念のためイ神官も同じ内容を通訳する。
「……。」
王は近くの文官らを呼びこそこそと相談を始めた。どうやら是非を訪ねているようだ。1-2分だろうか、王はチハルを無視したまま、高官と会話を続けた。チハルは跪いたまま王座をぼんやりと眺めていたが、ふと高官の一人が声を上げた。
「……。」
「ドノヨウナナイヨウカ、イマココデカンタンニイエルカ?トキイテイマス。」
「あ、えーっと、そうですね。うーん。」
唐突な質問にチハルは少し戸惑った。ヨンデル先生の講義の内容は一通り頭に入っているが、まだこの時代に向けたアレンジは済んでいない。チハルは少し目を閉じてからゆっくりと口を開いた。
「えーっと、この場にいる皆さんは王のためには命を捨てることも厭わない、そういう人たちだと思います。しかし王は皆さんのために命は捨てませんよね。」
「……。」
室内の警備の者たちが"当然だ"と小さな声を上げた。高官らも多くが頷いている。
「では、メルイーウの国民は王のために命を捨てると思いますか?」
「……。」
王や高官の顔色が変わった。どうやらチハルの思惑通りに興味を引けたらしい。ただし室内は一瞬にして発言を違えればその場でチハルの首が刎ねられてしまいそうな緊張感に包まれた。
「たぶん……、命を捨てるべきだ、と答えるのが正解かもしれませんが……、たぶん実際はそうなりません。なぜだと思いますか?」
「……。」
イ神官が、小声で「チハルドノ、ハツゲンニハキヲツケテクダサイ」と注意を促した。
「このように"こうあるべき"という理想と、現実は多くの場合異なります。というかほとんどがそうです。未来の賢者たちはこれらの質問に様々な答えを出しました。そして人間はこうあるべきだ、という様々な答えが出されました。もちろんいろいろな答え方があるのですが、様々な賢者が出したいろいろな答えを学びたいと思います。それが僕のいう賢者の知恵です。」
「……。」
反応を見るに、王座近くにいるほとんどの高官の興味は引けたようだ。少数は王を侮蔑するなという憤怒が理由かもしれないが。
「……。」
「ソレヲオウガマナブイミヲオシエロ、トイッテイマス。」
「そんなものありません。」
「……?!」
「学びたいから学ぶのであって、意味があるから学ぶものではありません。もし必要がなければ、あの板、イアイパッドからこの知識を消し去ることも可能です。もしそれをご要望でしたら、そうおっしゃってください。今この時代に僕以外に未来の賢者の知識を知る者はいないので、歴史には影響を与えないでしょう。そして数百年後にこの世界の誰かが自然と見つけることとなります。」
「……。」
王は軽く目をつむり、イスに深く腰掛けて鼻から長い息を吐いた。そして再び目を開け高官らに一言二言告げ、口を開いた。
「……。」
「今のも分かります。許可する、ですね。それでは、一つだけ要望があるのですが、よろしいですか?」
「……。」
王の間が再び緊張に包まれた。
「えーと、このままでは通訳しにくいので、イ神官にも面を上げる権利を与えてください。このままでは講義ができません。」
「……?!」
王の口元が緩み、答えはすぐに帰ってきた。
「許可する。」
チハルはにっこり笑って、王に平伏した。そうするよう言われていたわけではないが、王の持つ威風のようなものがそうさせたのだ。
そのまま王が立ち上がる音が聞こえ、チハルの横を通り過ぎながら高官らとともに退室した。チハルの側を通るとき、王が小声で「面白い」と言っていたのがチハルには聞こえた。
この日から数日をかけてチハルは講義資料をまとめ、王とメルイーウ高官らが待つ仮王宮の一室へ向かった。
初日の講義は≪功利主義≫についてである。




