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現代日本人が綴るタライバン島史  作者: 黄蘿蔔
第一章
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第一章 第十二話

投稿日の設定間違えて一日ずれちゃいました。

楽しみにしてくれていた方はごめんなさい!

 第一章 第十二話


 チハルがサクシードに依頼したものは、日本の井戸水をくみ上げるときなどに使われる手押しポンプと付属品であった。これ自体で井戸の水を楽に汲むことができる。アイディアの概要を聞いてサクシードは喜び、すぐに試作品を送ってくれた。これもすぐに交易路に乗るらしい。


 日本で手押しポンプが発明されたのは大正時代のことで、西洋では第一次世界大戦の少し前から用いられ始めている。水道が普及していない地域では今でも普通に使用されており、構造がシンプルでほとんど故障しないことと、電気が不要で災害時にも使用できることから、今でも量産されている。


 チハルはこの手押しポンプも王に献上した。王都奪還の暁には更なる褒美を取らすことを約束され、たいそう喜ばれた。


 この手押しポンプは井戸の水をくみ上げるのに使うものだが、チハルの狙いは別にある。このポンプを水を詰めて密閉した箱につないで中の水をくみ出すと、箱の中に真空をつくることができる。真空になった部分に密閉した袋を入れておくと、気圧の関係で中の袋が膨張し、その袋につながれた管で外部の空気をくみ出すことができる。簡易式のエバポレーターを作ることが可能なのだ。


 チハルはこれを使ってまず氷を作ってみるつもりである。最終的な狙いは別にあるのだが、それには同じ仕組みでより強固な装置が必要となる。まずはそれほどの低温を必要としない氷から試してみる予定だった。


 チハルは毎日罪人に麻薬を投与するのを続けながら、再び研究室に籠った。今回は助手もそろえての作業だ。


 蒸留して濃度を上げたエタノールに濃硫酸を加え、脱水縮合反応を起こしてジエチルエーテルを得る。このジエチルエーテルをポンプでくみ出した低気圧の箱の中で気化させるとその気化熱で周囲の温度が下がる。エーテルが気化する周辺に金属の製氷皿を置いておけば、そこにある水が氷るという仕組みだ。


 また得られたエーテルには麻酔作用があり、無痛での手術が可能になる。チハルはまだ試してはいないが、戦場では大活躍するだろう。軍部に紹介して実験を行ってもらう予定である。またエーテルは有機溶媒としても使うことができるので、今後の実験にも幅が出ることだろう。これもすべて硫酸のおかげである。


 ちなみに現代の冷蔵庫やエアコンも同じように気化熱を利用して低温を得ている。ポンプが手動か電動か、また気化熱を得る効率が段違いではあるが、基本原理は同じである。


 チハルは数日の試行錯誤の末、氷を得ることができた。現状では装置が大型になってしまうので、これをそのまま海外に売ることはできないが、もし学者が集まればその機能に腰を抜かすことであろう。現状ではひとかけらの氷を得るのに数時間の肉体労働が必要だが、いずれ動物や水力を用いて使用できるように改良する予定である。


 チハルはこの世界に呼び出されてから初めて氷を目にすることになり、たいそう喜んだ。チハルの助手の大部分は王都出身の官僚で、故郷の雪を思い出し感慨にふけった。


 何度か目に完成した氷は王に届けられ、飲料に氷を混ぜて飲むという史上初の贅沢を王にもたらせた。もちろん、本当に最初に氷水を飲んだのはチハル、そして毒見の官僚であるのだが。王は氷の製造に非常に驚き、チハルに更なる褒美を取らせた。チハルが得たのは豪華な布と玉を設えた帯である。これを着て王宮を歩けば王から下賜されたものを身につけているとしてだれもがうらやむことだろう。暑苦しい夏のタライバンに住むチハルには大して価値のある物ではないが。


 同じころ、薬を投与していた罪人たちに変化が表れ始めた。薬の効果が切れると幻覚や幻聴に苛まれ始めたのだ。数日前から食事もほとんど摂っていないらしく、水をかけるだけで体も洗っていないのでひどい悪臭がしている。口を開けば「薬をくれ、さもなくば殺してやる」といった汚い言葉ばかりだ。完全に中毒である。


 現代に生きていたチハルであれば、罪の対価が薬物中毒というのは倫理的ではないと切り捨てただろうが、ここにきて法のない生活にさらされ、馴染んでいくうちに自分の奥深くに眠っていた実現欲や残虐性というものが目覚めたのだろう。その自覚もあった。現代知識を駆使し、自分の手でこの時代にないものを作り上げていく万能感、そして数か月先に迫った追跡軍との戦闘への恐怖といったものが、彼の頭のネジをいくつか飛ばしてしまったのだろう。いきなり異世界に呼び出されて、もうすぐ戦争ですから力を貸せと言われ、チハルがなお正気を保っていられるのは発明や実験に没頭し、侍女らと寝屋をともにしているおかげである。その戦争からも逃げ出す気が満々なのであるが。


 チハルはなるべく罪人たちとは目を合わさないようにし、その行動を記録した。素人判断ではあるが、罪人たちはどれも動画サイトで見たことのある薬物中毒の患者の様子にそっくりである。チハルは残りの薬を焼却、廃棄し、投薬を止めた。薬が切れて数時間から数日もすれば立派な廃人の出来上がりだ。そうなれば罪人たちをサクシードに合わせ、被害者やその家族に見せても良いかどうか判断してもらうことにするつもりであった。最後の最後で人任せなのは、チハルにも罪の意識が残っているからである。


「やっちまったか……、半分は真面目だったんだがなぁ。実際この様子見ると、これで戦争を回避できる気がしないや。やっぱり静脈注射ってのが悪いよなぁ。アヘン栽培して売りつけたほうがよさそうだな。イギリスさん、えげつねぇっすわ。」


 チハルはサクシードに罪人らを引き合わせた。


「むぅ。これは……。幸福になる薬をやっただけでこうなるのか?」


「そうですね。今でも、薬をやればすぐに幸せな気持ちになるでしょう。ですが、その反動がこれです。」


「うむ、酷いものだな。」


「僕の世界で禁止されている理由が分かりましたか?そして、僕がこれで戦争が避けられるかもしれないと思った理由も。」


「うむ、納得だ。人間を見ている気がしない。いや、その……、もう壊れておるのであろう?」


「そうですね。たぶん、元には戻りません。この状態が罰になるのかは分かりませんが、彼らをどうするかはサクシードさんに任せます。そこの判断は、僕はできません。」


「うーむ、こいつらはな、手足を切り取られて三寸刻みにされても足りぬような奴らだ、殺すのは最初から決まっておる。ただ、こういう怖し方というか、方法は知らなかった。人を動物にしてしまう薬か、恐ろしいものよ。」


「僕も詳しくは知らなかったんですが、もう作らないと思います。作り方も、まぁ、いずれ誰かが考え付くものですが、誰にも教えるつもりはありません。残った薬も焼いてしまいました。記録は、お任せします。」


「分かった。この者らの処理は任せよ。」


「サクシードさん、えーっと、殴、いやビンタですね、平手でこう、思いっきり僕を殴ってもらっていいですか?」


「んむ?どうしてだ?」


「全然足りないと思うんですが、何か痛みを受けないといけない気がするので。」


 チハルの目には涙が浮かんでいた。最初は戦争を止められるかもしれないという建前だった、だが本音を作れるなら作ってみようかという遊び半分であった。法もない、罰する人もない、自分で使わなければどうとでもなるだろうという甘い考えから生まれた結果が目の前の罪人たちである。行動を封じられ、理性を失ってなお、人間の形をしてうごめくものが三体。それらがチハルをようやく現実に引き戻した。


「分かった。いや、では、打たせてもらおう。」


 サクシードが大きく振りかぶり、その平手が目をつぶったチハルの頬を打った。チハルはそのまま肩を震わせながら振り返らずに部屋を後にした。薬物の王≪ヘロイン≫の開発と使用、その罪の重さはチハルの肩にずしりとのしかかっている。


 サクシードは罪人らの首を刎ね、被害者や関係者に見せつけた。この一件はすべての記録が廃棄され、表に出ることなく幕を閉じた。

 ヘロインは1874年にモルヒネから合成された。当初は咳止め薬として使われ、1898年には製薬会社から販売もされている。当時は経口投与が一般的であったため、モルヒネよりも安全であると言われていたが、注射器による使用が広まると強烈な麻薬作用が引き起こされることが知られ、厳しく規制されることになった。


 この世界ではそれよりも300年ほど前に未来から呼び出された男によって合成、使用までされたが、その記録が表に出ることはなかった。

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