第一章 第九話
まだ南タライバンに法という概念はありません。
第一章 第九話
「スウドク?」
「そういう遊びですよ。楽しめると思いますよ。あ、神官長にも、コレを。」
「オォ?!」
「ドウヤルノデスカ?」
「縦と横、こういう線です、この中に同じ数は入りません。それとそれぞれの四角、この枠ですね。この中にも1から9まで、同じ数字は入りません。」
「ホウホウ。ホカニハ?」
「それだけです。今ある番号から、開いている場所に入る数字を予想して全部のマスを埋めるだけです。あ、こっちの星がついている問題の方が難しいので、先にこちらからやるといいと思います。」
イ神官は神官長にも数独のルールを説明した。同行していた者も興味深そうにのぞき込み、いつの間にか宝物庫の中に立ち止まって話している。同行の宝物管理官や護衛も興味深そうに眺めていたので、チハルはその場の全員にあらかじめ準備していた数独の問題を配った。流行ればイアイパッドにインストールしている数独問題集をコピーして売るつもりだ。
「カンタンデスネ。」
「そう思うならやってみてください。あ、できたら同じのを作って仲間で競争すると楽しいですよ。」
「……。」
「ミライノアソビカ?トキイテイマス。」
「そうです。僕らの世界では大流行していました。ほかにもナンクロとかカックロとかいろいろあるんですが、それはまぁ数学の勉強してからの方がいいでしょう。」
「……。」
「仕事もあるでしょうから。ハマるのはほどほどに。」
「ダイジョウブデス。タブン、スグオワリマス。」
チハルは一瞬だけ、ニヤリと口元をゆがめた。チハルが準備した問題は途中数度の二択を迫られる中級の問題と、さらに上位の技術を組み合わせて使わないと解けない上級の問題である。おそらく神官になるくらいならエリートなんだろうと予想したチハルの意地悪さが垣間見える問題の選択であった。どれも解きなれているチハルでさえ30分以上かかる難問である。ルールを初めて聞いた神官らにはおそらく解くことができないだろうと考えていた。
「もちろん!全部解けたら教えてください。新しい謎解きを与えましょう。」
チハルは何の気なしに数独を神官に渡したのではない。狙いは王家の一族とのパイプ作りである。メルイーウやタライバン島にも将棋に似たゲームはあったが、囲碁はなく、チハルの居た世界のようにルールも洗練されてはおらず、民衆に圧倒的に支持されているゲームというものはなかった。チハルは王宮に娯楽を提供することで、王家の一族につながりを持つ算段であった。
数独は1985年に日本の会社が発明したロジックパズルである。ナンバープレイスとも呼ばれ、2005年にイギリスで爆発的に流行した後世界的に広まった。今では世界各国で懸賞付きの専門雑誌が作られているほどの人気ゲームである。
その後倉庫を出るまで、神官らは未来の娯楽について質問してきた。さすがにARゲームの説明は省略したが、いくつかのボードゲームやカードゲームには彼らも興味津々だったようだ。彼らが新王朝の追跡から逃げ延びることができれば、彼らとゲームを遊ぶ未来もあるのかもしれないなどとも考えていた。
倉庫を出るとチハルは神官と別れ、護衛と共に自室のある建物へ戻った。護衛のものには初級者向けの数独を数枚渡した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
チハルはこの数日自室でずっとヴィキペディアの記事を読んでいた。チハルは現代日本で生物、化学系の大学を卒業し、経済学を独学で修めてからここ数年は株式や先物のトレーダーとして生活してきた。それなりの資産も蓄えており、市場の開かない時間はすべて趣味に充てられる余裕のある生活をしていた。タライバン島に呼び出されてから、自分のためというよりはサクシードや王家に協力するために時間を使ってはいたが、衣食住は保証されており、現代技術をゼロから再現していく過程にそれなりの充実も感じていた。数か月後に王家を追って大群がやってくるという状況でさえなければ、もう少しこの生活を楽しめているのかもしれない。
追跡軍。追手。王家の滅亡。
チハルの内心には、ずっとこれらの単語が引っかかっていた。
チハルにはヴィキペディアや未来の教科書という豊富な現代知識があったが、それらは戦中を生き残ったり外交を優位に進ませるものでは決してない。科学や武器の知識は豊富にあるが、なにより時間がなかった。サクシードによると現在は海峡の波が高く大群を送ってくることができないが、波が静まる数か月後、もしくは潮の反転するその半年後に新王朝が数万を超える追跡軍を送り込んで来るだろうということだ。対するメルイーウ王家の残存軍は数千、南タライバンから徴兵してもせいぜいが一万弱。数か月、もしくは一年以内に実現可能で戦況をひっくり返すような技術はないし、あったとしても教えるつもりがなかった。
チハルが捜しているのは最低限自分とサクシードが生き残り、可能なら南タライバンへの被害を少なくし、その後新王朝のタライバン島への干渉をなくせる王家の静かなる滅亡の方法である。サクシードさえ生き残ってくれれば、という願いは、日本語が通じる数少ない現地人で、いくらかの友情も感じており、船乗りであるためチハルの開発した技術を他国に売ったり、最悪の場合逃亡した先での生活も容易であろうという打算があってのことである。
チハルは王一族が素直に投降し、引き換えにその他のメルイーウ国民が帰国、または南タライバンでの生活を許されるのが一番ではないかと考えている。まことに現代日本人らしい発想ではあるが、この時代の人々にはあまり受け入れられない考えだろう。
「王様の性格にもよるんだよなぁ…。」
王様が後世に名君と呼ばれるような人ならそういう選択もありだろうが、何せ王家を滅亡に追い込んだ人である。自己中心的で家臣や国民のために自分を犠牲にするという考えには到底至ってもらえないだろう。
「うーん、やっぱりなぁ。サクシードさんか民衆に立ち上がってもらうのが一番だよなぁ。でも俺も殺されちゃうかもなぁ。」
チハルは寝台に寝転んで足を組んだまま宙を見上げた。部屋の隅に座っていた侍女が近寄り、チハルにキセルを勧めた。
「あ、ありがとう。(メルイーウ語)」
「普通、私たちにありがとうは言わないわ。あなた、不思議ね。」
チハルお気に入りの侍女が、そう言った。チハルがこの世界に呼ばれてから今まで、チハルの身の回りの世話をしてくれていたものである。すべて処女であり、チハルをもてなすためにそれを捧げてくれた女性たちだ。王家で今代の通門者をもてなすための専門の教育を受けてきた者たちであるらしい。男性もいたそうだが、どうなったかは知らないらしい。処刑されてはいないので、女性貴族用の愛玩奴隷などとして生きながらえているのかもしれない。
チハルは彼女たちを通して簡単なメルイーウ語を覚えていた。数字や挨拶、簡単な日常会話なら身振り手振りを交えながら可能だ。かいがいしく世話を焼いてくれる彼女たちに一抹の情も覚えている。
チハルはキセルを一服して煙を眺めた。
「亡国の王様かぁ。んー、あ?」
チハルは何かをひらめいたようだ。
「いや、さすがに悪手か。でも法もないしなぁ。サクシードさんに聞くだけ聞いてみるか。いや、しかし……。でもまぁ聞くだけなら。」
チハルは部屋を出てサクシードを尋ねた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
外出が自由になっているためサクシードはすでに自身の仕事に復帰していたが、伝令に用事があることを伝えるとすぐにやってきた。チハルの住む建物の一室では王宮の許可を得ればサクシードなどの外部の人間とも面会が可能になっている。
「うむ、して今回はどういう?」
「あ、今僕の部屋にあるタバコがありますよね?あれってどういう植物の葉っぱから作りますか?南タライバンにありますか?」
「ああ、ダライ草だな。俺もやるのでな。今も持っておるぞ。」
サクシードは懐から煙草入れを出してチハルに渡した。チハルはそれを開けて中身を取り出し、乾燥させた葉を広げてみる。
「うーん、これだけじゃ分からないですね。」
そうすると脇に持っていたイアイパッドを起動し、サクシードに画面を見せた。
「これって生だとこういう葉っぱですかね?」
「うむ?おお、そうだ、これがダライ草だ。南タライバンでは対岸からの民が持ち込んでな。今では川沿いに大量に生えておるわ。チハル殿がやっておるのはこれにまた別の香草を混ぜたものだな。高級品だぞ。」
「あー、やっぱり。」
チハルがみせたのは大麻の画像である。チハルを陶酔させていたのはやはり大麻を主としたタバコであったようだ。
「それで、コレと、あとはコレ、こういう植物から採れるものは知っていますか?」
チハルはイアイパッドの画面を切り替え、いくつかの植物の画像を見せた。
「うむ?コレは…、おお、よく知っておるな。これはこちらの言葉でブラドラという。薬として使う。こっちは麦ではないか?」
「ブラドラっていうんですか?この植物は南タライバンにありますか?」
「ないが……。メルイーウからさらに南に言った国で採れるぞ。在庫も少しあったはずだ。痛み止めに使うアームムという薬だ。」
「そうですか、では麦は?」
「郊外で栽培しておるが、どうするのだ?」
「サクシードさん。まず、これ、ください。それと、罪を犯したり、重病だったりしてすぐに死ぬ予定の人がいれば、そういう人も用意していただけますか?」
「どういうことだ?」
「僕はこれから歴史にのこる罪を犯します。が、もしかすると戦争を避けることができるかもしれません。」
「うむ?」
「一度効果を見てもらえますか?僕一人で背負うには……、罪が重すぎます?」
「どういうことだ?」
「麻薬を作ります。」
現代人の倫理観でこの時代を生きると、たぶんすぐ死にます。




